眼鏡をかけていることが、ウィークポイントになっている気がする。  私がそう思うのは、隣の席の男子も眼鏡をかけているからだ。人を見た目で判断してはいけないと言っていても、初対面でまず見るのは顔だ。中身が透けて見えるのなら、「見た目で判断しない」などと無茶なことは言わなかっただろう。人を見た目で判断するのは失礼かもしれないが、印象というものは何よりもまず「見た目」だ。でなければ、「身だしなみを整えなさい」と大人が口を酸っぱく言うはずがない。  朝から憂鬱な溜息が零れてしまう。  一週間前から眼鏡デビューをしてしまった。眼鏡をかければ頭が良いとみられてしまう。だから、授業中の時以外は眼鏡をかけないようにしているのだが、それが逆効果を発揮しているようで、非常に心苦しい。  私は、数学が苦手だ。赤点は何とか取らないように復習はしている。予習はしない。何度も数学に頭を侵食させたくない。  そして、私がもっと嫌なのは、隣の男子。さっきも言ったが、こいつも眼鏡をかけている。なんと、私と同じメーカー、色違いのデザイン。  たまたま偶然の結果に、クラス中は色めきだち、私と隣の眼鏡をからかう方に走った。  これは、まずい。  非常に、まずい。  何よりも、私はこいつのことをよく知らないし、こいつは私のことを苦手のようで避けてくるし睨んでくるし、同じ部活の後輩は何かと突っかかってくるようになったし、妹からの「彼氏出来たの?」攻撃は鋭さを増してくる。  うむぅ。  手を組んで頬杖をする。  黒板を、眼鏡越しに睨みつける。  さっき教室に入った時の黒板には、でかでかと私の名前とこいつの名前があった。しかもご丁寧にハートの傘つきで。  古風にも程があるでしょ。暇なのか。……暇なんだな。  高校二年生という学年は、高校生活に慣れて、受験もまだ遠いかなーって感じ。もう大学も卒業して広告会社に勤め始めた長女は、高校二年生をそう説明してくれた。  つまり、中だるみというわけだ。だらだらして太っちゃうんだろ。ぶにぶにとワイシャツ越しに腹をつまむ。 「……間食を減らそうかな」 「なに、ダイエットすんの?」 「うわっとお!?」 「……見事なリアクション芸だね、清」 「う、るっさいなー! 考えごとしてたんだから、いきなり声かけないでよっ!」 「かけなきゃ会話が始まりませんが?」 「私が気付くまで待ってよ!」 「待てない」 「……なら、しょーがない」 「でしょ?」  さらりとした真っ直ぐ伸びた黒髪を背中に流す和風美人。橘知彩。 入学式の時に人目見た印象は、そんな感じ。桜色の着物に紫の袴を履かせて、桃色のリボンで髪を結んだら、見事な女学生が出来あがるだろうなあと着物フェチな私は思った。  見た目以上に中身が濃密で、むしろ男装してホストになってしまえばいい程の男前な性格をしているけれど。 「ってか、ちー坊、朝練は? バトミントンあるんでしょ?」 「あー。昨日の体育で突き指しちゃったの。だから朝練はお休み」 「突き指!?」 「あー、あんた、別件で体育休んでたんだっけ?」 「田中先生とお仕事してたからねー。って、病院行ったの?」 「行きました。そんな心配しないでよ、あたし後方支援だし」 「いや、前線に出ないからいいけど、でも日常生活に支障ないの?」 「ちょっと痛いだけだよ。全治4日くらいだし」 「訓練休めるの?」 「情報系は出るけど、実技は難しいね」 「……ちー坊、バディ誰だっけ?」 「ん? ハンサムだよ?」 「じゃあ、ハンサムのメアドで教官全員にメーリスしちゃってさ、今日から4日間の実技ずらしてもらえば?」 「補講にしてもらうってこと? 出来るの? 座学じゃないのに?」 「私は出来たよー?」 「っていうか、実技の教官全員のメアドを知ってるのが信じられない」  肩を竦めて、マジマジと見下ろしてくる。それを乾いた笑いを浮かべて誤魔化す。うははは、やば。冷や汗が流れた。 「……あんたって、けっこう裏情報知ってるよね?」 「ほ、ほら! お兄ちゃんとお姉ちゃん、卒業生だったから!!」  声がひっくり返った。  脳裏で兄の冷たい声が響く。「お前にスパイは向いていない」なる気もございませんけど! 「まー、いいけど」  半目でじっとりと見つめられる。ああ、顔が整っているぶん威力がすごいです! 顔を逸らして、頬に刺さる疑問の視線をどうにかやり過ごす。その時、教室のドアがガラリと開いた。  音は教室を静かにさせた。  入ってきたのは、金髪頭がトレードマークの眼鏡のあいつだ。  私の隣の席に座る。かけている眼鏡は私と同じメーカーで、同じデザインで、色が違う。私は青。奴は赤。弦の部分はピンクでよくよく見ればストライプが入っていておしゃれ。私のはフレームも弦も青。シンプルなもの。それでも骨格の何もかもが同じで、いわゆる「おそろい」になってしまっている。 「おはよう、平君」 「ああ。おはよ」  茶色の瞳が横に動く。何かを見透かしているようで、何事にも興味がなさそうな瞳。  相変わらず慣れない。  瞳の動きやら、ちょっとした仕草で、何を考えているのかは多少分かるものなのに、こいつはちっともわからない。無味無臭。中にはそういう人間もいるもんだよとお姉ちゃんが言ってたけど、十六歳から十七歳の若人にこんな老成しきった森のような瞳をしているのがいるのか。仙人じゃないのか。 「おはようございます、平義将君」 「……おはようございます、源氏清さん」 「……だからさー、なんで、そう不機嫌なの? 平氏とか、源氏とか、平成の世で言うのやめようよ」 「てめえにはわからねえよ」  顔を逸らされた。  うーん、今日も失敗か。というかストレートすぎるんだろうな。  そう。実は、私は源氏の血を引いているのです。と言っても名ばかりで、私の家は分家。宗家は今でも政治の中枢を担っていたり、裏の御意見番みたいなことをして、今日も元気に日本を支えているらしい。平氏もしかり。というか、聞いた話では、平氏はもっと暗部のほうを請け負っているらしい。そんな大人の事情だらけな話を詳しく聞くつもりはなかったので、右から左へと聞き流していたけども。  でも、あの時ちゃんと聞いておけばよかったかもしれない。  そうすれば、義将君がなんでこうも不機嫌になっているのか、理由がわかったかもしれない。  だからと言って、彼と理解しあって、仲良しこよし出来るとも思っていない。 「あのさ、ヨッシー」 「ああ?」 「……」  すごい怖い目で睨まれた。ニックネームをつけたのがいけなかったの? 「私のことは源ちゃんでいいよ」 「もっとマシなのないのか」 「あー。じゃあ、マコでお願いします。ヨッシー」 「もうそれで呼ぶのは決定なのか」 「ものすごく温度下げてるのはわかってるよ……」  すごく寒い……。 苦笑を滲ませ、ぶるぶると肩を震わせて、二の腕を摩る。 ヨッシーも同じような苦笑を浮かべて、盛大に溜息をついた。 「お前は俺に何を求めてるんだ? 仲良しこよし? そんな訳ないだろう。それとも、笑っているのか?」 「わからない?」  私がどうしてこうヨッシーを構っているのか。  おそろいの眼鏡という偶然でクラス中から夫婦扱いされているのが不愉快という訳じゃない。変なことになって困っているけれど。 「わからない」  頬杖をついて、私を醒めた瞳で見つめるヨッシーは、とても大人びていた。 「私もわからない」 「……おい」 「だからね。理由が知りたいの。こうやって、もっと話かけて、ヨッシーの話を聞けば、理由が分かると思う」 「本当にそう思うか?」 「思うよ。知る事が悪いのか、良いのか。それを決めるのはあなたじゃないよ、ヨッシー」  茶色の瞳が「そうか?」と尋ねてくる。悟りを開いているような静かな眼差し。怖いとも思うし、綺麗だとも思う。 「だからね、ヨッシー。まずは距離を一歩詰めるために、眼鏡のデザインを変えようか」 「……は?」 「いや、ほら、おそろいだと個人差が開かないじゃん。もっと私たちらしさを押しだすような眼鏡のデザインにするべきだと思うんだよ、お互いに」  ヨッシーが顔を覆った。  あれ?  思わず、腕を組んで静観しているちー坊を見やる。  ちー坊は視線を逸らした。目を合わせてくれない。ぱちぱちと瞬いてもこっちを向いてくれない。 「……おそろいもとても素晴らしいけれど、私はヨッシーのほかの眼鏡も見たいんだ」  顔をヨッシーに戻して、とりあえず何か言おうとして、眼鏡の話題を続けた。 「あいたっ!」  後ろにいるちー坊に頭を叩かれた。 「えっ、なんで!?」 「眼鏡から離れなさいよ! っていうか仲良くなりたいの次にそれなの!? あんたどれだけお揃い嫌なの!?」 「だって私よりおしゃれな眼鏡なんだもん!! 私だってシンプルなブルー眼鏡よりも、赤とピンクのスタイリッシュおしゃれ眼鏡かけたいじゃんか!!」 「くっくっくっく……」  ヨッシーから低い声が聞こえてきた。  地獄の底から這い出してくる白い手。そんなイメージが、私の脳裏に浮かんだ。  ぐるっと顔をヨッシーに向ける。  ヨッシーは顔を覆ったまま、低い声を出しながら、肩をぶるぶると震わせている。  怒っている? 「え、えと……平義将様? いかがなされました……?」 「く、くっくっくっくっくっ……あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」  顔をあげたヨッシーは、目尻に涙を溜めて笑いだした。  あのクールで無表情でミステリアスな平義将が、口を大きく開いて笑っている。  これは、どういうことだ。 「お、おま……っ、くくっ、は、はははっ……! ば、馬鹿じゃねえの!? 眼鏡っ? 眼鏡……っひー、ははっ、くくくっ! 俺の! 眼鏡が! おしゃれで悔しかったのかよっ……!」  とても、ヨッシーが苦しそうだ。 「……そういう事なんですけど……えーと、何か可笑しいですか?」 「可笑しいだろ」  真顔に戻ったヨッシーの一言に、私は頷くしかなかった。  大笑いした名残の涙が、まだ目尻に溜まっていたけれど、もうその目はいつも通り。 「お前、可笑しい」  ヨッシーの目元が、緩んだ。  その瞬間。私の体温は一気にうなぎあがり。あ、無理。 「清?」  椅子から立ち上がる。ガタンと耳にうるさい音があがった。それで、教室が静かになった。 「おしゃれな眼鏡になってやる!」  とりあえず何か言おうと口を開いて、出たのがそれだった。ポカンとしたヨッシーの顔を見下ろして、私はヨッシーに背中を向けて廊下へと逃げ込んだ。  頭が真っ白だ。今までこんな風になったことがないから、どうすればいいのかわからない。  とにかく走ろう! そう思って椅子から立ち上がって、教室を出た。逃げたとも言う。敵前逃亡は武士道不覚悟で切腹しなければいけないかもしれないが、逃亡というより、これは混乱だ。混乱している。  あれは反則だ。  目元が緩んで、ヨッシーは笑った。あの笑顔は、反則だ。 「ヨッシーかわいいよおおおおおおおおお!!」  反則です!