『先生』は変わり者だ。  例えて言うなら、犬が鼠を採ってきたり、猫がワンワンと吠える位の変わり者だ。  のんびりとした雰囲気を身にまとって、身長は高くて細面の顔立ちで、黙っていればモデルだってできるんじゃないかと思うくらいの容姿に加え、その経歴だって、イギリスの某有名大学卒業だとか博士号だとかなんだかんだと持っていて、それは到底こんな下町の片隅で小さな探偵事務所をやっているようなものじゃないのに、当の本人ときたら、気に入りなんだと言って今どき流行らないレトロな銀縁メガネをかけて、スーツと言うよりも背広、と言った方が正しいような、そんなどこか古臭い恰好ばかりして、のんびりとした笑顔を殆ど絶やすことなく、今も呑気に新聞を読んでいる。 「先生、猫、探しに行かれるんでしょう?」  淹れたばかりのほうじ茶(これも、先生の一番のお気に入りだ)を執務机の上に置きながらそう言うと、先生はにっこりと微笑んでありがとう、という言葉を口にした。  慣れたことではあるけれど、こんな風にしていると、一瞬大正時代にでもタイムスリップしたんじゃないかとさえ思えてくる。 「うん、そうですねぇ」 「まだ行かなくていいんですか?」 「うん、まだ大丈夫。きっと彼女は、まだ寝てると思いますしね」  探偵事務所なんてこんなものだ。どこかの小説に出てくるような名探偵みたいに警察の捜査協力要請がかかる――なんて、滅多にあるもんじゃない。大抵は浮気調査、身元調査、行方不明のペット探しにストーカー監視、最近は盗聴器の発見とか、そんなものばかり。どれもこれもがそんな日常生活に怒る小さな事件で、小説や漫画に在るような壮大なドラマがあるものなんて殆どない。  僕がお手伝いをしているこの探偵事務所にやってくる依頼も、そんなものばかりで正直財政はかなり厳しく、本来ならこんなにのんびりとしている暇はない、はず…なんだけれど。  先生が言うように、今一番初めにこなすべき仕事は行方不明の猫探しだ。なんでも室内で蝶よ花よと可愛がっていたペルシャ猫が、昨日朝、締め忘れていた窓から脱走してしまったらしい。  クライアントの中年女性は両手に巨大な指輪をいくつもしていて、絵にかいたような『成金』という感じで、正直横で話を聞いていた僕も辟易するほど、依頼の詳細の5倍量は自分の家の自慢話を聞かされたのだけど、先生はそれを全てどこか胡散臭い笑顔で受け流し、軽くこう言ったのだ。 「それでは、明日の夕方おいで下さい。そうですね、17時頃なら大丈夫でしょう」と。  人間もそうだけど、獣の捜索…特に野良猫の多い昨今では、家庭内でしか暮らしたことのない猫は、『なわばり』というものを知らずに、他の猫から追われる恐怖心から、本猫の意志とは裏腹に遠くに行ってしまうことが多いからその捜索は困難なはずで、そんな風に普通は1日2日で見つけられるものじゃない。だけど、うちの先生は『一味』どころか二味も三味も違うのだ。まぁ僕も、そこに惹かれて殆ど押しかけ助手状態で、ここにいるわけだけれど。  不本意ながら、ペット探しの名人と言われるうちの先生は、相手が犬でも猫でも鳥でも、その捜索に2日以上かけたことがない。いつもふらりと出かけたかと思ったら、帰ってくるときには必ず、目的の『相手』を腕の中に抱いている。時々抵抗されて傷だらけになってくることもしばしばだ。だから僕がペット用のキャリーケースを用意しても、それだと相手に警戒されてしまうからと、持って行ったためしがない。 「まだ寝てる……ですか。そういうセリフ、何度聞いても不思議ですね。先生は聞き耳頭巾でも持ってるんですか?」 「はは、そうだったらもっと便利なんですけどね」  動物の言葉なら何でも分かると言う昔話を持ち出すと、とにかく古くさいことが好きな先生は、新聞から顔を上げて、僕が淹れたほうじ茶をすすりながら笑った。 「動物の行動パターンと言うものは、そう急に崩れるものじゃあない。ましてずっと家の中で暮らしていたというのなら、昨晩はその物珍しさか…それとも他の猫に追われた恐怖に怯えて、夜通しあちこちを巡っていたはずですからね。今頃は歩き疲れてぐっすり眠っていることでしょう」 「それはそうかもしれませんけど。でもだからって『彼女』がどこで眠っているかなんて、そうそう分かるもんじゃないですよ、普通は。まして、そこから人間の事件まで解決してきちゃうなんて」 「そうですか? 本来単純なことなんですよ、物事の本質と言うものは。『彼女』の行動パターンを少し考えれば、何時にどのあたりにいるかなんて分かるものですよ」  先生は僕に向かってにっこりと笑うと、もう一度、ほうじ茶を口にした。 「推理もそうです。ひとつひとつは実に単純なことなのに、それらが重なってしまうと真実を見誤りやすくなるだけですから。私はそれをひとつひとつ解いているだけですよ」 「……はぁ」  言っていることの意味は分かるような気もするけれど、それができる人間が一体この世に何人いるか、この人は本当に分かっているんだろうか。猫探しをしに行って、殺人事件を解決してきたりなんてしないだろう、普通の探偵なら。  そう、この先生は小説に出てくる名探偵のように警察から捜査協力要請なんて派手なものは入らないけれど、猫探しに行って、そこからたまたま居合わせたその場で、どんな不可思議な事件でもあっという間に解決してきてしまう…そんな人なのだ。  新聞の取材も警察の色々な申し出も、『目立ちたいわけではないので』と言って笑って断っているけれど、少なくとも僕は、この人以上の探偵を知らない。あの有名な日本の名探偵にだって、イギリスの名探偵にだって負けないに違いない。…尤も、財政も預かる助手の身の僕としては、せっかく恵まれた見目をしてるんだから、少しくらいカッコつけてメディアでもに露出して、もっとお金になる仕事を増やしてほしい、と少しだけ思う時もあるけれど。 「さて。それでは、そろそろでかけましょうか」  読んでいた新聞を丁寧に折りたたむと、先生はゆっくりと椅子から立ち上がってそう言った。どうやら、いよいよ件の猫を迎えに行く頃合いらしい。 「はい。じゃあ僕は今月の事件の書類整理、しておきますね」 「うーん……申し訳ないんですが、それは明日にしてくれませんか。今日はちょっと、君の助けがいると思うんですよ」 「え?」 「『彼女』の確保はね、私だけではちょっと無理そうなので。構いませんか?」 「はい!」  自分の助手に、助力を頼んで構わないかと聞くなんて可笑しな話だけど、こういうところが実に『先生らしい』。  僕はクス、と笑ってジャケットをひっかけると、古めかしい執務机を後にして、これまたどこかレトロな帽子を被った先生の後に続く。  この間の事件…飛んで行ってしまった鳥を探しに行った先で、「たまたま」みかけたジョギング中の女性が殺された現場で、あっという間にその事件を解決してしまったもの、行動調査をしていた人物の会社の悪事を「たまたま」発見して、その証拠取りにまで至ったこと…等々。事件遭遇体質と言えばそれまでだけど、この先生だからこそ、遭遇した事件だったともいえる。尤も先生の探偵としての功績は上がっても、収入に直結するわけではないのが残念だけれど。  さて、今日はどんな事件に遭遇することやら。  不謹慎と叱られてしまうかもしれないけれど、先生と捜査に出かける時のこの昂揚感だけは、きっと一生かかってもぬぐえそうにない。