雪月章 ねえ、知ってる? 月はふたつあるんだって。だから私は夕暮れまでひと眠り。 月はふたつあるんだって。だから私は夜明けまで眠れない。 「帰るぞ小雪、まーた風邪ひくだろうが」 「もとくん、月がきれいだよおー」 そう空を眺める小雪、つないだ手は氷の様に冷たい。 倒れてから数カ月。幾分元気をとりもどしたようにみえる彼女は、俺の宝物だった。1 今夜は小雪の仮退院。月を見上げながらゆっくりと自宅へ向かって歩く。 「ねえ、もとくん。どうして月は二つあるのかなあ」 「二つ?」 「眠れない夜には黄金色の月、朝になると薄く白い月。毎日病室から見られるのよ。毎日二つの月だけが時計のない私の部屋で時間を教えてくれる」 月明かりに輝いた小雪の長い髪の毛があまりにキラキラとして綺麗で、俺はつなぐ手にぐっと力をいれた。 「植田基時くーん、授業終わったよー」2 夕焼けのなか、一人の少女に基時は起こされた。顔は逆光でよく見えないが、澄んだその声で有乃小雪だとわかった。 「帰りの会も寝てたよね。どこでも寝られるっていいなー」そう言いながら、教科書をカバンにいれる小雪。 「お前毎日教科書持って帰ってんの?」 「やだ植田くん、明日から期末テストだよ」 「えー、マジで?」 ここはドのつく田舎の高校。 ひとつしかない小学校から高校まで、周りのメンツはほとんど変わらない。 高校三年生、小雪と同じクラスになったのは小学校から数えてこれで三回だ。 幼馴染の俺達、小さい頃はよく小雪にちょっかいをだしては泣かせてたっけ。どうしても俺だけをみて欲しかったんだ。独占欲、その頃からもう俺は小雪に恋していたのだろう。 「電気消すよーいい?ついでだし一緒に帰ろー」 「おう」 昇降口にはもう誰もいなかった。 「さむいねー」 季節はもう冬。 星がとてもきれいな夜、白い雪もそろそろ舞うだろう。 「こうやって二人で帰るのもあと少しだね」3 「気が早えーよ。まだクリスマスもきてないんだぜ?」 「でも植田くん四月からは東京に行くんでしょ?」 別に東京でなくてもよかったんだ。このド田舎から抜け出して、新しい世界がみたかっただけだ。 「なんか寂しいなあー、植田くんとは長いつきあいだもん」 小雪はいつの間にか俺のことを”植田くん”と呼ぶようになった。 ”もとくん”と呼んでいた頃が懐かしい。 私なんかがそんな呼び方してたら、彼女とか出来た時彼女嫌がるでしょ?、と小雪。 そんなこと気にする必要なんかない、俺の中の一番はいつまでたっても小雪だけだ。 「いつかまたここにも戻ってきてね」 少し寂しそうな小雪の表情。4 「おう、落ち着いたら連絡するから」 「ありがと。待ってる」 小雪は大切だ。 その大切な小雪をほっぱりだして東京に行く俺。我ながらバカな奴だな、と思う。心残りがありすぎる。 こうやって一緒に歩くことも最後になってしまうかもしれない。 本当にいいのか。 それでもどうしても憧れてしまう都会の光景。”小雪”と”東京”、本当に大切なのは……。 「なあ、よかったら一緒に……」 「え?」 「いや、なんでもない」 東京に職のあてのある訳じゃない俺が、小雪を連れて行くことなんて出来ない。 俺がいつか帰るまで、小雪は待ってくれるのだろうか。 「植田くん、クリスマス空いてる?」 「なんだ、デートでもするっていうのか?」 「ピンポーン、正解」 「なっ…?!」 激しく動揺した。クリスマスだぞ……!? 「私も予定空いてるからさ、暇なら付き合ってよ”もとくん”」 駅前に唯一あるデパートの屋上だった。5 小さな遊具に群がる子ども達。この寒い屋上でデートをしていそうなカップルはいない。 「はい、植田くんのぶん」 クリスマスに、ソフトクリーム。5.5 「小雪、腹壊すぞ」 「だってデートでしょ?私、ずっと憧れてたんだーはじめてのデートは遊園地に行ってソフトクリーム食べるの」 「俺となんかデートしてもよかったのか?遊園地じゃなくデパートの屋上で、しかもクリスマスだぞ」 「あはは、だって植田くんなら付き合ってくれそうだったからさ」6 小雪は気づいていないが、学校の男子達は小雪を気にしているものは多い。 綺麗な長い髪、端整な顔立ち7位だけど本人は気づいていない……ちょっと天然かもしれない。 「寒いねー」 「当たり前だ」 そうこうしているうちに雪まで降ってきた。 「わー、ホワイトクリスマスだあー」 「寒さで手、震えてんぞ」 「きれいだからいいの。気にしない」 そしてふとぶつかった冷たい手。 お互いなんとなく、ただなんとなく手を繋いでしまった。 その手の冷たさと小雪の手の柔らかさは、俺の心の中でずっと忘れられない思い出のクリスマスになった。 次の日、俺達は二人そろって仲良く風邪をひいたのも忘れない。 「なあ、おまえ有乃小雪のことどう思ってんの?」8 「なんだよ松下、急に」 二月、卒業まであと少し。あのクリスマスのデートはなかったかのように小雪と俺は相変わらず。そして別れは近づきつつあった。 「有乃おいて東京行っちゃっていーのかよ」親が地元の工場の社長な松下は卒業しても地元に残るという。特に産業が盛んな土地ではないが、意外と地元に残る奴らは多い。ちなみに松下は小雪に告っ てふられたことがある。 「別に俺たち別に付き合ってるわけじゃない」 クリスマスに手を繋いだという思い出、それだけだ。 「ガキの頃からお前らずっと一緒だったんだろ?」 ”もとくん”9 いじめても、いじめても俺のあとを追いかけて来た。もしいま小雪が”行くな”なんて行ったら俺は東京行きをやめるかもしれない。だけど……。 「卒業式後に皆で植田くんのお別れ会しよって話があるんだー。なんか食べたいものとかある?」 無邪気に聞いてくる小雪は何とも思ってはいないかもしれない。俺はもう、ずっと戻ってこないかもしれないんだぜ?いいのかよ、小雪……。 小雪の心がわからないまま、日々は過ぎて行く。友人主催のお別れ会は美味いもん食べて、大騒ぎして楽しかった。携帯でだが、小雪との記念写真も撮った。でも小雪はきっとこの田舎で、いい男を見 つけて幸せな家庭を築くのだろう。そこには多分、俺はいない。 旅立ちの朝だ。 見送られるとなんだか照れくさく、東京へ行く決意が鈍りそうだったので、皆に教えた電車より二本早い電車に乗る、つもりだったが……。 「小雪」 そこには春にしてはまだ早く冷える駅のホームにたったひとり、寒さに震えている小雪の姿。 「植田くん」11 「小雪……お前、なんでこんな時間にいるんだよ」 「お見送り、遅刻したくなかったから」 どの位前からいたのだろう。なんで俺なんかのために……? 「東京に行ってもメールとか、電話とかちょうだいね。あと、たまにはここに帰って来て。私、待ってるから。あとこれ……」 そう言って小雪は小さな丸い石を差し出した。 「”もとくん”がくれたお守りだよ」12 幼い頃、よく二人で河原で石を探して遊んだ。 その中で何よりも丸く、綺麗だった石。俺の初めての贈り物。小雪はずっと持っていたんだ……。 踏切の音、遠くからは電車のシルエット。俺と小雪以外誰もいないホームに停車し扉の開いた電車。 乗り込み振り向くとそこには黙って目に涙を浮かべた小雪の姿があった。 「もとくん、私……」 小雪が何か言おうとした瞬間扉は閉まる。 「小雪!!」急いで窓を開けたけれど小雪が遠い。 「いつか、いつか絶対帰るから!」 その叫びは小雪に届いたのだろうか、泣きながら両手を降り、小さくなって行く小雪に男のくせに俺は泣きそうになった。13 13.5はじめての一人暮らしは、都心に近いボロアパートだった。仕事は飲食店で接客業。 なれない土地に見知らぬ人々。最初は正直そんな暮しに馴染めるとは思わなかったけれど、それでも手を延ばせばすぐに情報を得られる便利さや、田舎じゃ考えられない活気ある街並みに何時の間にか 俺は虜になっていき、小雪がくれたお守りの石はベッドサイドで輝きを失っていった。 小雪からはたまにメールや電話の履歴はあったものの、タイミングを逃し気がつけばもう三ヶ月以上、連絡をとっていない。 あいつならいい男つかまえられるよ、なんて言い訳みたいな独り言で自分を説得しながら……。 「ねえ植田、今日の夜ヒマー?飲み会あるんだけど来ない?」14同僚の由梨が目をくりくりさせながら話しかけて来た。由梨は東京で出来たはじめての友達だ。 母親気質とでもいうのだろうか、いろいろと面倒をみてくれる。 「植田もさー、もっと友達増やさないと!もうずっと東京で暮らすんでしょ?」 「え……あ、ああ」 由梨の言葉にふと小雪の姿が浮かんで消えた。 ”もとくん”……懐かしい笑顔。やめろよ小雪、そんな目をして俺を見るな。 当たり前だった小雪の存在は上京して半年以上たち、ほんの少しずつ”思い出”に変わろうとしていた。15(小雪モノクロ) 「あー、楽しいかったあー!植田も楽しかったよね?!」15.5 「お、おう」 見知らぬ連中、うまくもない酒。これが東京のつきあいか。 俺は、まだまだ慣れそうにない。 「ねえ、植田。今夜泊めてくれない?」 その飲み会帰り、突然の由梨の言葉に思わず噴き出してしまった。 「な、なんだよそれ……!」 「だって終電逃しちゃったんだもーん」 季節は秋を過ぎ、たとえお互いの最寄り駅が二駅の距離だといえども歩いて帰るには寒かった。 「狭いけど、それで良ければ……」 ボロアパートの鍵をあける。15.6 「あはっ!本当に狭いねー!おじゃましまーす」 「だから言っただろ?狭いって。そこらへん適当に座って」 飲み物を持ってこようと席を立ったその瞬間だった。 急に背中から抱きしめられ思わずバランスを崩す。16 「なっ……由梨?」 「ねえ植田、いまフリーなんでしょ?よかったらあたしと付き合ってよ」 「由梨……」 「あたし前から気になっていたんだ、植田のこと」 そのまま二人崩れ落ちる。その時携帯に着信があった。小雪だ。16.5 「電話うるさい。植田、あたしだけをみて」 由梨は俺の携帯の上に枕を投げる。 俺は由梨の唇をなぞりながら、小雪からの呼び出しがはやくきれることを祈った……。 kuro多分俺は孤独な都会の生活に疲れていたのかもしれない。きっと誰でも良かったんだ。そばにいてくれるのだったら。罪悪感と都会の夜空には月どころか星さえも見えなかった。 16.6そうして付き合うようになった俺達だったが、由梨のやたらとブランド品を欲しがったり、束縛するワガママな性格に俺は疲れ果ててしまっていた。そんな時、気がつくとどうしても小雪と比べてしま う。小雪だったらこんなもの欲しがらない、小雪だったらこんなワガママなんて言わない。 俺の思いも知らず、由梨はベッドでごろごろファッション雑誌を読んでいる。 「ねえ、この石何ー?」 ベッドサイドにある小雪の”お守り”の石だ。 「もらいものだよ」 「ふーん、きったないの。えい捨てちゃえ!」 止める暇もなく由梨は外へむかって石を投げ捨てた。 ”もとくんがくれたお守りだよ”17(小雪モノクロ) 小雪……! 「なにしてんだよ!!」 思わず由梨の腕を掴む。 「な、なにすんの?痛いってば!」 「あの石は、俺の大事な……!」 無視してしまった着信。離れてからもう一年近くたつのに小雪は俺のことは忘れていない。月明かりの中、俺からの連絡を膝を抱え小さくなって待っているであろう小雪の姿が見える。 こんな、最低な俺なんかの連絡を。 「小雪」 とりあえず必要なものだけをカバンにつめ、アパートの扉をあける。17.5 「や、やだなんで?どこいくの!」 由梨の叫びに近い声に背中を向け駅へと走った、その時だった。 携帯に着信、しかし小雪ではなく元同級生の松下だ。 「もしもし」 「お前今なにしてんだ?!なんで連絡しねーんだよ馬鹿じゃねーの基時!あのな、有乃小雪が倒れた。一刻もはやく帰って来い!!」 ”もとくん” 18 小雪……! 最終の新幹線はもう出てしまった。慌てて夜行バスに飛び乗る。18.5薄暗いバスの中、改めて返信し損ねた小雪からのメールを読む。他愛もない話ばかりだった。花屋で働きはじめたこと、星のきれいな夜 のはなし、公園の野良猫が可愛かった…全部あの頃と変わらない懐かしい日常に溢れていた。どうして俺は返信すらしなかったのだろう。賑やかな都会のなかで、何時の間にか俺は大切なものを失って いたんだ。 ……故郷へ向かうバスの中からは月が見えない。罪深い俺のことを許していない証拠だろう。 バスが到着し、ほぼ一年振りの土地へ降り立つ。18.6 朝の故郷は懐かしいにおいがした。 走りながら松下に電話。小雪が入院しているという病院へ。そこは町で唯一の総合病院だった。18.7 「基時!」 ロビーにいたのは松下と懐かしい旧友達。再会を喜ぶその前に、急ぎ足で小雪の元へ。 「小雪!」 慌てて病室の扉を開ける。18.8 いくつもの点滴の針が刺さった細い腕。 その顔は懐かしい色白の綺麗な眠り19姫。 「小雪……」 全然変わってない。思い出すのは旅立ちの日。 寒いのに何時間も前から駅にいて、涙をいっぱいためながら、俺を見送った。 小雪は誰よりも俺のこと大事にしてくれたじゃないか。なのに俺は……。 「心臓がさ、悪いんだってよ」 何時の間にか後ろにいた松下が言った。 「仕事中に突然倒れてさ。ここ数日は意識はほとんどなかったのに、時折繰り返すようにお前の名前呼んで……これ、見てみろよ」 松下は小雪の携帯を俺に渡す。待ち受けは、 東京へ向かう前のお別れ会の時の俺と小雪の記念写真。少しぶれているのが余計俺を責め立てる。 ……最低なのは、俺だ。20 「松下、俺を殴れ」 「おうよ」 手加減をしない松下の右腕は、俺の頬に思いっきり食い込んだ。 「悪いがもっと殴っても構わないんだがな。とりあえず、一旦外でようぜ。他の奴らにも殴られろ」 その時だった。siro 「……くん…」 聞こえるか聞こえないかのとても小さな声。 「小雪……?」 あわてて振り向くとベッドの上からこちらをみている小雪の瞳。 「もとくん……」22 そう言って小雪は小さく笑った。 小雪、 小雪、 「小雪……ゴメンな、俺……っ」23 管につながれた小雪をそっと抱きしめる。 「痛いよ、もとくん……」 そして小雪はそっと 「おかえり」 と、囁いた。 「ただいま……ただいま、小雪」 自然と出た涙でぐちゃぐちゃになった俺の顔を、小雪は細い手で優しく拭った。 都会に別れを告げ、俺はまたこの田舎に戻ってきた。23.5 都会と違って情報に疎く、寂れた町だけれど不思議と嫌な気持ちはなかった。 時間の流れはゆっくりと過ぎてゆく……。 「もとくん、面接どうだった?」24 入院中の小雪の散歩に付き合いながら、今日うけた就職試験の話をする。 「ああ、受かったよ、給料やすいけどな」 「えっ!ほんと?!決まったんだーおめでとう!」 「コラ、興奮すんな。身体に悪いだろ」 「ふふ、ごめんね。だって嬉しかったから」 小さな工場の安月給。それでいいんだ。 小雪のいるこの場所が、俺の居場所。 「あのさ、小雪」 「なに?もとくん」 小さな勇気、ひと呼吸。 「俺の仕事が始まって、小雪が退院したらさ……」 「退院したら?」 「……結婚、しようか」 ぽかん、とした小雪の顔。26 しばしの無言、そして次の瞬間小雪はいままで一番の笑顔で大きくうなずいた。 「はい!」27 もう二度と手放したりしない。 小雪は俺の大切な大切な、宝物……。 青空に真っ白なお月様。 そんな俺達のことを全て月はみている。 天気は良好。 今日も明日もこれからも、ずっと。 PR 故郷には大好きな彼女をおいたまま、都会へ憧れ旅立ったあの日。 次第に都会の色に染まって連絡さえもとらなくなった馬鹿な俺を、 故郷で彼女は一途に待ち続けていた。 眠れない夜には黄金色の月、朝になると薄く白い月……。 本当に大切なのはなんだろう、情けない俺はひとり夜空を見る。