ザシュっという音と共に、土煙があがる。  その瞬間『そこまで』と云う年老いた声があがり、盛大な拍手と共に、歓喜の声がわきあがった。  雑多にも似た音が弾ける中にいる青年。  何か魔力を感じさせる棍棒を、大地に転がった相手の喉元を捕らえ、その眸は余りにも凍てついた色をした黒曜。  しかし、その凍てつきも瞬時にして、暖かな大地の香りを思わせる、柔らかな色に変わった。 「やっぱり、リューイは強いなぁ」  ニッコリと笑った青年は、棍棒を喉元からずらすと、寝転んだままの相手である弟に右手を差し出す。  その手をとる、もう一人の青年は、苦笑に満ちた口元から『またまた、冗談じゃないよ』と紡ぎだした。 「本気だした兄貴に、俺が勝てる訳ないじゃん」 「それは買被りだよ、リューイ。僕は運が良かっただけだ。リューイが出す魔法のタイミングがずれたから勝てただけで、あれがずれていなかったら、確実にボクのココを捕らえていただろ?」  そういって勝利者となった青年は、棍棒で自分の心臓のあたりを突く。  敗者となった青年は、衣服に着いた砂や泥を、パンパンと手で払い除けながら、シミジミとした口調でつぶやいた。 「運、ねぇ・・・俺はどうとっても、実力の差だと思うんだけどなぁ」 「実力だったら、リューイが上だよ」  そう人好きされる笑顔をこぼしたのは、大地の加護を得るアークエルフ一族の一人、アリアン・ロード。  春先の新芽のような色をした髪を肩先で揃え、そして黒曜石のような黒い瞳は、その人物の温かさを醸し出す。  そしてその弟とは言われるものの、双子である彼の名は、リューイ・ラウル。  頭に巻きつけた布で、エルフの特徴である耳すら隠し、その間から見える乾いた大地の色をした、髪を揺らしながら、鈍色の瞳は笑う。 「兎に角、おめでとう、兄貴。名誉あるハイドラスフィアへの着任は兄貴に決まったぜ」 「ありがとう、リューイ。こんな僕が行った所で、彼らの役に立つなんて思っていないんだけど、精一杯頑張ってみるよ」 「兄貴だったら出来るさ。何しろ、地上一帯のエルフの中でも、大地の女神に愛されてるとまで言わしめる聖者だからな。落ちこぼれの俺なんかとは雲泥の差」  ニッっと笑ったリューイは、再度、右手をアリアンに差し出した。  その意味を図ったアリアンは、しっかりと手を握り締める。 「これにて、聖地への選考は終了する。3日後、勝者アリアン・ロードは速やかに、聖地へと赴けるように準備するよう。また、敗者たれどリューイ・ラウルは同格の力を見せた。よって我が一族の護り人を命ずる。各者、己が力持って勤勉なるよう」  年老いた長老の声が、まるでコトノハの様に空気を響き渡ってゆく。  未だ歓喜に満ちた声は留まる事を知らず、その中心で双子の兄弟は居心地悪そうに周囲に手を振るのだった。  そして三日後。刻は来た。  長老が云う聖地、とは水中深くに沈んだ都・ハイドラスフィア。  四年に一度、アークエルフの一族は聖地に『力ある者』を着任させる。  それは純粋な力だけではなく、知力、またはカリスマ性のある人物を送る事によって、魔法と信仰に導かれた創造主の作りし大地で、すべてを学ぶという事。  簡単にいえば、時期の長としてアークエルフを導く者を送り出しているのだ。  四年前に選考されたのは、アリアンとリューイの父親であった。  年齢的には随分と、とってはいたものの、人望や力などに見劣りする者は無く。また対抗する人物も現れなかったが為、満場一致での採決。  アリアンは、その父親と入れ替わるように聖地に赴いてゆく。 「聖地への行き方は分るかのぅ?アリアン」  村の中心。その中央にアリアンは立ち、隣にたたずむ長老へ、アリアンはコクンと一度頷いてみせる。 「はい、長老様。父が赴任するにあたり、その儀は見ておりました」 「ならば、説明する必要はないとは思うが、一応じゃ。聞いておれ」  そう云って長老は、自分の手に握られた碧色した宝珠のついた杖で、村の外れにある巨大な老樹を指示した。 「あれが、聖地神殿にある『神の石座』へと導く扉となる。その扉が開かれた時、お前は自らの足をもって中へと入り、そして踏み出した後は扉は即座に閉じられるだろう」  そしてその一歩目が既に聖地である、と長老は云う。 「と云う事は・・・父には会えないのですね」 「そうじゃ。お前の父は、入れ替わるように、その一歩にてこの地に戻る事が出来る。まぁ、四年の辛抱じゃ。四年が八年になったと思えば、少しは気も紛れよう」 「ですね。永遠に逢えない訳ではありませんし」  苦笑にもとれる微笑みをこぼしたアリアンは、大地においてあった袋を手にした。  その中には、本当に極少ない身の回りの品を入れてある。本当に大切なものだけ、彼は旅路に赴くにあたり用意したのだ。  他愛ない動きではあったが、ふと長老は言葉を発して、その動きを止めさせる。 「アリアン。良いのか?誰も見送らせずとも」  と。  そう。何時もであれば、この儀式はアークエルフとしても大切な儀なのだ。  前回、父親が聖地に向かう時は、盛大なお祭り騒ぎな状態で送り出したものだが、アリアンはそれを全て辞退を申し出た。  それどころか、身近な者すら赴く時間を告げず、ただ長老のみに挨拶にやってのである。 「この三日間、散々泣かれたり怒られたりしましたから。後ろ髪をこれ以上は」 「そうか。リューイは兎も角、リティラとフィリオーネは随分と哀しがっておったからの」  仕方ないですけどね、とアリアンは云う。  元々耳が聞こえない幼馴染のリティラにとっては、アリアンは数少ない心を開ける人物。その彼が四年間とは云え、自分の知らない土地に行ってしまう不安で、ずっと泣き崩れていた。  アネゴ肌のフィリオーネは、そんなリティラの姿を見ては、今回の事に不服を云い続け、何かにつけて敗者となったリューイを責めるのだ。  決まった事だから、と宥めても仲裁しても改善する事は無く、アリアンにしては珍しく根を上げる結果になっている。  まるで逃げ出すみたいで、心苦しいんですけど。  そう行ったアリアンは、ぐるりと村を見まわしたと思うと、それを切り捨てるように『いってきます』とだけ残し、聖地への扉に体を向けた。  少しずつ小さくなってゆくアリアンの姿。  それが、一瞬霞んで見えた長老は、まるで止めるかの様に彼の名前を呼んだ。  しかし何故か口は形を取るのに、音に変わることなく、ただの風が葉を散らしながら飛んでゆく。 『嫌な予感がする』  長老は追いかけるべきか、否かを迷っているうちに、アリアンの姿は小道へと行き進み、そして茂った木々に紛れていった。 『何故じゃ・・・何故にシルフは言葉を打ち消した?』  漠然とした不安を胸に、吹く風の姿を追いかける長老。  まるで、ただの気まぐれだと云わんばかりに、小さなシルフの精霊達が軽やかに踊る。  その気紛れの様なシルフの行動が、これからアリアンに訪れる『運命』という歯車が動き出した事を、誰も知る由はなかった。  アリアンが辿り着いたのは、老齢なる樹。  周囲には茂る木々が無く、ただゆったりとした芝生と共に年月を歩んできた樹である。  見る限り、変哲もない樹なのだが、アリアンには気づいていた。  この大地と、異なる空間とを結びつけている、強大な自然の力を。  そしてこの樹に触れれば、事が始まる事も。 「どんな所なんだろうなぁ、ハイドラスフィア」  そう言って、アリアンは深呼吸をした。少し竦む足を動かす為、体に大地の力を取りこむかのように。  不安がないと云えば嘘になる。  しかし、不安だけではない、と心の何処かで囁く声もする。  どっちも自分の心である事には変わりなく、アリアンはその深呼吸がおわり、少し間をおくと、そのままゆっくりと樹の幹へと伸ばした。  瞬間。 「え?」  手を伸ばした先に、ある風景は、余りにも驚くに値するもので、アリアンを混乱にと導いていた。  そう、そこには漆黒の長い髪をなびかせた、自分と同じ位の年齢の女性がいたからだ。 「・・・ここまで時間律が狂うっていうのも、ちょっと問題よね」  見知らぬ女性の溜め息と、竦めた肩。  キツそうな金色の瞳に、紅い唇が漏らす言葉がアリアンには理解できない。 「とりあえず、ようこそいらっしゃいました、彷徨者殿。本来でしたら、神殿に祭ってある神の石座に導かれる筈でしたが、時間律とハイドラの意志により、我が家に辿り着いてしままった様です」 「はぁ・・・」 「恐らく神殿の方々は、兆候が見えたというのに、彷徨者が現れない事に混乱している頃と思われます。私より神殿に今一報をいれ従者を呼びますので、暫くの間、我が家にてお待ちいただけますでしょうか?」 「はぁ・・・」  それしか云えないアリアンに、同意を得たと無理矢理理屈づけた女性は、まずは近くにある椅子へ座るように云い、アリアンが座るのを確認した後。半歩下がって何か呪文を唱え始めた。  すると、空中に踊る小さな光の珠が集まりだし、一つの宝珠にと変化する。  その宝珠に向かって、女性は何か説明を始めた時。漸くアリアンは、自分が本来来るべきではない場所に辿り着いたのだ、と気付く事が出来た。  そして云われるがままに座った椅子の後ろ。小さな音が狂い無く刻んでいる事に気づき、、ふと振り向いた時。  圧巻ともいえる情景に、目を大きく見開いた。  それは家の中に、巨大な樹の幹。  いや、実際は幹に添えられるようにして、この家は成り立っているのだろう。  先程、自分が触れたであろう幹と似た雰囲気を醸しながら、それが異なるものである事を示す、幹の中央に刻まれた時計。  時間針・分針・秒針。  それらが時間を紡ぎながら、まるで呼吸するかのように動いている。 『一体、これはなんだろう・・・』 「時間樹ですよ、彷徨者殿。このハイドラスフィアの時間を護り、時には調節を受け、理を為す存在です」  見たかれたような言葉に、アリアンは再び女性の方へと体を向けた。 「今、一報をいれましたので、半刻程で迎えが来ると思われます。で、紅茶はお好き?彷徨者さん」  瞬間にして口調が変わった女性が、腰に手をあてクスリっと笑う。 「あ、好きです・・・えっと・・・」 「まだ自己紹介をしてなかったわね。ここで時間調律師をしている、ククル・ハインス。皆は、ククルって呼ぶわ」 「えっと、ククルさん、ですね」 「さん、は悪いけど私の中で禁句になってるの、呼び捨てでどうぞ」  ニコっと笑った表情に結構トゲが潜んでいる。こういうのを、綺麗な華には棘があるっていうんだろうな、と思うアリアン。 「じゃ、ククル。僕はアリアン・ロード。アリアンって呼んでくれると嬉しいし、紅茶は好きなんだ」 「OK、アリアン。私と趣向が似ててよかったわ。これでコーヒーや酒って言われたら、そのまま玄関から蹴飛ばす所よ」  そういうと、近くのストーブで沸騰しているケトルを手にすると、手慣れた手付きでティーポットにお湯を注ぐ。  結構、ズバズバと云う人だなぁ、と思うアリアンは、紅茶の葉が開く間、物珍しそうに部屋の中を見回していた。  少なくとも地上で暮らしていた時と大差ない作りの家らしいとは思うのだが、要所要所に魔法で作り出された物などが置いてある。 『結構、高度な魔法だ』  そう思いながら、興味深げに見ていると、すいっと目の前にソーサーとカップが差し出される。 「味は基本変わらないと思うわ」  そういうと、自分用のカップなのだろう。質素なカップに口をつけつつ、彼女は笑う。 「あ、ありがとう、ククル」  丁重にソーサーを手にし、まずはその香りを確かめる。 『良い香りだ』  そう思い、一口紅茶を飲むと、確かに地上で飲んでいたものと似た味。ただ違うのは、本当に彼女は紅茶が好きで、茶葉に対してこだわりがある、という所だろう。 「お口にあいまして?」 「ええ、とっても美味しいです。ありがとう」 「そう言っていただけると幸いだわ」  美人が微笑む。  そう、美人が微笑んでいたのは、その瞬間までだった。 「ククルーっ。あたしに紅茶ほしーいっ!!!!」  パンっと開けられた後ろの扉。その音に、びくっとしたアリアンは、ソーサーの上に条件反射でカップを音を立てておいてしまう。  そして恐る恐る目の前の美人へと視線を戻すと・・・  ククルは空いた方の手で、額に手を当てた状態で唇をギュッと結んでる。勿論、眉は顰められていた。 「チータぁぁぁぁぁぁ」  結ばれていた唇が、怒気を孕んだ振動を生み出している。  その時、漸くアリアンは後ろの扉の方へと視線を移す事が出来た。 「あれ、お客さまだったんだねっ」  その人物は、可愛らしい少女。  長い髪は、何故か下の方が緑で、頭の方に行くにつれ、穏やかな湖の青の色。  首からは、何かの宝珠だろうか。まるで生き物のように輝き満ちていた。  しかし一番印象が深く感じられたのはヘテロクロミアの目。  深い紫と鮮やかな緑の大きな瞳は、アリアンの姿を見止め、最初はちょっと目を見開いてみせたが、すぐに屈託くなく『いらっしゃいませ』という言葉と微笑みを形作る。  本当に裏表がないんだろうなぁ、と思わせる、それ。  アリアンは自分も良く裏表がないといわれるが、これほどまでに完璧なのを見た事がないや、等と変な事を考えていた。  その時。 「あんたは犬か何かなのっ!微かな匂いに反応して、開口一番がそれって、一体どういう事っ!!!!!」  クワっと見開かれて、まるで機関銃の様に発せられた言葉達。  しかし、扉を開けた少女は『あたしは犬じゃないよぅ』と云いながら、ちょこんっとアリアンの隣にあった椅子に座る。  そして自分にも紅茶を出して、というクルクルと輝く瞳で、ククルを見ていた。  その情景に、ククルは何か言いたげではあったが、少し肩を震わせた後。ふーっと大きくため息をついて、傍にあった食器棚からカップを取りだす。  きっとそれは少女専用のものなんだろう。綺麗には洗われているが、使い古した感が否めなかった。 「ねぇねぇ、お客さんっ」  少女はアリアンの服の裾を掴み、ぐいぐいと引っ張ると『ククルの事はなんて呼んでるの?』と、不思議な質問をした。 「え?ククル・・・って呼んでるけど?」  答えはこれで良いんだろうか、と思うアリアン。  それに対して、少女はもっとニッコリと笑うと、そっかーっと掴んでいた服を手放す。 「じゃ、お客さん。あたしの事はチタって呼んでねっ。ククルと同じで、さんづけは禁止なのっ」 「チタ、私は禁止してないわ。禁句よ」  ムッっとした表情のままの少女、チタに紅茶を差し出すククル。 「ええ・・・っと。チタ、なんだね。じゃ、僕の事はアリアンって呼んでくれると嬉しいな」 「アリアンだねっ。うん、お友達になったから、これからそー呼ぶよっっ」  もう、混乱しきりのアリアンが名前の確認をする。すると、うんうんっと元気に頷きながら、美味しそうに紅茶を飲み始めた。  その時。 「チタ。ちゃんと自己紹介をしてなかったって、水竜王様に云いつけるわよ」  こっちを見ず、ティーポットを洗っているククルの言葉に、今まで元気一杯という雰囲気で満ちていたチタの動きが、一瞬にして止まる。  そして、じーっと紅茶を見ていたかと思ったら、テーブルの上にトンっと置き、クイクイっと再度アリアンの服を掴んでコンタクトしてきたかと思ったら、小さな声で『さっきのは無しなのっ』と耳元で囁いた。  不思議な行動の後。  チタは椅子から、スーッと立ち上がると、アリアンの方を見つめ、一礼した後。 「はじめまして、アリアン。あたしチタ・ヴラクスと云います。水の精霊で、今は水竜王様の下で、修行している身です。これから仲良くしてくださいっ」  なんか最初の方がおかしい文章になっているなぁ、と思いながらも、アリアンは『こちらこそ』と穏やかな笑みで返した。  その表情を見て、ホッとしたのか。再びストンっと椅子に座ると、ニコニコと紅茶を飲み始めるチタ。  まったくーという表情をしているククルも視界に入ってきて、アリアンは『仲が良いんだなぁ』と心の中で少し暖かい気持ちになって、聞こえないように呟く。  しかし、一度ある事は二度あると云う言葉もあるが・・・  今度はノックされた後、扉が開く音がした。  何故か少し冷たい風が吹く。 「あら、フィー。どうしたの神妙な顔して?」  珍しいような声を発したククルだったが、答えがすぐに返ってこない。  誰かいるのは確実なのに、何で返事が返ってこないんだろう、と不思議に思ったアリアンが、再度扉を見た時。  そこにはポツンと小柄な少女が立っていた。  水を含んだ大地の色をした髪をおだんご状にまとめ、青空色の瞳。そして鼻眼鏡をつけた、白と黒一対になった翼をもった天使のような姿。  表情は硬く、まるで白磁の人形のようにさえ見える。 「ああ・・・フィー、あんた神殿にいたのね・・・」  言葉に少し引っかかるような、そんなセリフを云うククルに、少女はコクンと一度頷いてみせる。 「アリアン、神殿から御使いの者が来たわ。でも紅茶一杯位飲む時間はあるでしょ?フィー」  それに対しても、少女はコクンと一度頷くだけ。  そして勝手知ったる、と云う感じでチタの隣に座ると、やはり使い古されたティーカップが差し出される。 「・・・ありがと・・・ククル・・・」  か細い声。  まるでガラス細工のような声を、初めてアリアンは聞いた気がした。 「ごめんなさいね、アリアン。この子、物凄い人見しりで。名前はフィラム・ピュラ・アルドラ、風の精霊よ。私たちはフィーって呼んでる友達なの」  困った表情になったククルに、アリアンは人好きされる微笑みのまま『僕の幼馴染もそうなんですよ。だから心配しないで』と言葉をつける。 「でもね、アリアンっ。フィーは良い子なんだよっ。空だって飛べるし、神殿の仕事だってしてるのっ」 「そうね、フィーは良い子よねぇ。どこの誰かさんみたいに、水の精霊なのに、泳げなかったりしないものねぇ」  意地悪そうなククルの表情に、チタはガタンっと椅子から立ち上がると、違うもんっと反論した。 「確かに、あたし泳げないけど、ちゃんと水の中は歩けるもんっ」  うん、なんというか論点が違う。  アリアンは苦笑しながら、二人の云い合いを聞く係になってしまっている。  初めてやってきた地で、本当はどうなるんだろうと思っていた自分が馬鹿らしい、とさえ思いつつ。  本当に偶然とは云え、違う場所に転送され、尚且つ『友達』と公言してならない人物に、速効二人も出逢ってしまった。これを運命と云わないでなんというんだろうか。等とと、少し自分を客観視しながら、アリアンは自分の紅茶を飲みほした。  流石に、神殿からの使いがやってきている以上、おかわりはどう?と云う言葉は出てこず。フィーが飲み終わるのを、アリアンは静かに待つ事にする。  その間も、ククルとチタの云い合いというか、じゃれあいは続き、それを平和だなぁ、と思う彼。  でもそれは永遠に続く訳のない事で。フィーがお茶を飲み終わって『・・・ごちそうさま』と云うと、椅子からスッっと立ち上がり、アリアンへと視線を向けた。  出発するよ、という合図だろう。  アリアンも同様に立ち上がると、ククルにお茶を御馳走になったお礼をいい、今度お返ししますね、と社交辞令を述べる。  が、ククルは人が悪そうな表情をしたかと思うと。 「お礼は三倍返しって、相場は決まっているものよ、アリアン。ケーキ付で宜しくお願いするわ」  と。  そんな言葉に、チタが『あたしも、あたしもー』と、両手を振って自分をアピール。  社交辞令なんていうからよ、と云わんばかりのククルの視線に、してやられた、とアリアンは苦笑する。 「分りました。三倍返しだね。近いうちに」  そういうと、無言のまま扉を開けて外に出て行ったフィーを追いかける。小柄な彼女の歩幅はたいして大きくなかったので、割とすぐに追いつく事が出来た。  土手の様な少し細い道を神殿へと迷いなく歩くフィラムの速度でゆっくりとついて行く。  やはりフィーは何もしゃべらない。しかし、沈黙はたいして今のアリアンには困る事はなかった。  咲いてる花、囀る鳥、ひらめく蝶。  地上では見た事もないモノだらけで、それを見ながら歩くには、フィーの歩く速度は丁度だったからだ。  いろんな意味で新鮮な世界。でも何が潜んでいるかもわからない、そんな世界。そんな所に自分は辿り着いてしまったのだな、と思う反面。これがもし、正しく転送されて、神殿に直行していたとしたら、見る事が出来ない感情的風景だったかもしれない、と思ってしまう。  そう、きっと彼女達に逢ったから、出逢えた風景。  そんな思考を、か細く小さな声が聞こえた気がして、現実に戻される。  そこは、もう少しで神殿に辿り着く、という所。そんな所で、少女は急に歩みを止めてしまったのだ。 「どうか・・・したの?ええっと、フィラムさん」 「・・・・」  答えは無かった。  いや、期待はしていなかったのだが、せめて行動の意図だけでも分るように説明してほしい、とは思うアリアン。  その願いが通じたのか。  半身振りかえるような状態で、少女・フィーはアリアンを見つめた。  曇りのない青空の眸で。 「僕に・・・何か云った気がしたんだけど・・・違うかな?」  アリアンは邪気なく再度質問をしてみた。  すると。 「・・・神殿は・・・もう、神殿・・・じゃないの」  正直、意味が分らない。 「あそこに建ってるのは、神殿じゃないってこと?」  アリアンが指示した場所には、荘厳で美しい作りをした、まるで透明をも思わせる信仰高き建物がある。  ここから見ても、信者であろう人間の姿がちらほらと見え、この都市が神殿にて成り立っている事を表しているような気がした。  しかし、その指先を見て、コクンと頷いてしまったフィー。 「・・・あれは・・・形をしてる・・・だけ。神様なんて・・・いない・・・それでも・・・行く?」  今度は質問を返されてしまった。  全く意味の分らないパーツが散らばって、それを組み立てる方法が無い。  しかし、少女は少女なりの親切で忠告をしてくれているのだ。  だからこそ、真摯にこたえなくてはいけない。 「うん、それでも行くよ。形だけでも、神様がいなくても、フィラムさんが迎えに来てくれた事は、れっきとした仕事なんだから。恩を仇で返すなんて出来ないよ」  その瞬間。  大きな瞳の紺碧の空が、少し揺らいだ気がした。  そしてそれは、ゆっくりと優しい色になり、微かだが少女の瞳は優しい形になる。 「・・・じゃ・・・護るね・・・あなたのコト・・・」  それだけ云うと、少女は再び前を向き、歩き始めた。  白と黒の羽が、その歩調に合わせて揺らめきながら神殿へと向かう。  が、再度歩みを止め、今度は振り返らず少女は云った。 「・・・フィラムさん・・・じゃなくて・・・いい・・・フィー・・・だから。・・・さん、は禁句・・なの・・・」  その言葉を聞いた時。本当に自分が『良く分からないけど一番最初に逢った人達は、当たりだったんだなぁ』とアリアンは確信しつつ、歩き始めたフィーの後を追いかけていった。  後日。父親が使っていたという住居を宛がわれ、アリアンは神殿の元老院の『第三の扉』と称せられるノア伯により『導燈』の仕事を仰せつかっている。  これは太陽と月を導く仕事であり、魔術を使ってある一定の時間律に対応させながら、創られた太陽と月を動かすもの。  ハイドラスフィアという、水中に沈んでしまった都市にとって、創られたとは言え、太陽と月は重要で不可欠なものなのだ。  その仕事を仰せつかった日に、ノックも無しに飛び込んできたのが、チタ。 『アリアンっ。お茶の約束しにいこーよっ』  と。  どうみても催促でしかない状態に、苦笑しつつ、外に出てみると、ククルとフィーまでもが、お供状態でいるとは思いもしなかったアリアン。  美味しいお店知ってるんだっ、とはしゃぐチタに、ククルは落ち着きなさい、とお小言をいい。  そしてフィーはいつの間にか、アリアンの隣に来て、服の裾を持っていた。これはどうみても『逃さない』と、と云う意志表示だろう。  この輪の中に自分が紛れ込んでしまった事に、アリアンは少し困惑しつつも感謝をする。そう、今まで思っていた聖地に対する疑念や恐怖は見事に消し去ったからだ。  未だにフィーが云った言葉の真意は汲み取れていないが、これからの四年間。きっといろんな意味で忙しなく知識を吸収していくのだろう。  そう思いながら、アリアンは家の扉に鍵をかけた。