一般的に言えば、面倒の発生しない日などない。 迷惑だと思ったり、大変だと思ったりする度合いに差はあると思うが、何がしかの面倒は日々発生するものだ。 ある人は言った。人生においては三つの事件しか発生しない。 すなわち、生まれること、生きること、そして死ぬことだと。 しかしだ。それにしてもだ。 なぜ・・・・・ なぜ面倒というものは、こう一遍に発生するのだろうか。 そのおかげで、わしの生活は一変することになるのだ。 やれやれ。やっかい事ばかり集まって来やがるな。 さらば。安寧に満たされたわしの平凡で退屈な日々よ。 願わくば、これ以降の日々がそれまでの日々よりも幸せであることを。 沙織が戻って来てから二週間の時が過ぎていった。 その間、わしはほぼ毎日沙織の侵略を受けるハメになっているのは、簡単に想像できるだろう。 あれは今、実家に住んでいるのだが、わしが家にいる時間帯は必ず我が家に現れる。 どうやって調べるのかは知らないが、どういうわけか沙織はわしの予定を把握しているのだ。 そして、例えばわしが所用で出かけようとすると、やたらとついて来たがる。 仕事の話だからと言ってもなかなか言うことを聞こうとしないし、終いにはそこまでついてきて、事務所の外で時間をつぶしているといった具合だ。 仕事の邪魔をしないだけマシなのだが、さすがにこうついて来られると辟易するのは言うまでもない。 それくらいならまだ良いのだが、わしの持ち物をやたらに見たがる。 おかげで整理していた書類や書籍はグチャグチャである。 あれは昔から整理整頓よりも、整理したものをちらかす方が得意の困ったやつだった。 おまけに、本当は見られてはマズい書類(エロ本とかではないよ)なんかも、わざわざ仕舞っているやつを探しだして見ようとする。 沙織が見たところで、中身がわかるわけでもないが、一応フリーランスのIT屋のはしくれとしては、守秘義務というヤツは遵守してしかるべきであることは言うにまたない。 それを何度も言っているというのに、いっこうに言うことを聞かない。 どうやら本気でエロ系の何かが隠してあると思っているようだ。 いやはや。こう言うのもなんだが、頭の悪い娘である。 ちなみに、わしも健全な男子なので、そういうのを見たりするのはやぶさかではない。 が、そのテの物は全てPCの自分にしかアクセスできないフォルダにて一括管理している(笑) そして、わしの持物をなんでも見たがる沙織だが、どういうワケかPCは触らないので万事に都合がいいのだ。 どうやら触って壊すと大変な事になるということは、あれもゆるい頭なりに理解しているようだ。感心なことである。 あるいは、PCの中にそのテのモノを保存しておくという行為そのものが理解できないのかもしれないが。 まあそんなわけで、このところわしのプライベートというのは全く充足されていないのだ。 前にも話した通り、わしはムダに多趣味なのだが、その時間を作るのが実に難しくなった。 もっとも、沙織も一応はそういう部分は少しはわきまえているらしく、わしが楽器を触り始めたり、チェスの本を読み出すと、そばでじっとおとなしくしている。 やれやれ。黙っていればそれなりにかわいいというのに。 ----- さて。沙織の迷惑行為(笑)はそれとして、その沙織が我が家へちょっとした騒動を持ち込み、その騒ぎのケリがついた直後に鳴った電話は、沙織の妹の恵美子からだった。 電話に出たのは母親、つまり沙織と恵美子の祖母だったのだが、何を聞いても泣くばかりで話しにはならなかったらしい。 で、沙織が落ち着いたあとわしが電話を替わったのだが、しばらく恵美子は泣くばかりだった。 まあアレだ。こういう場合は本人が落ち着くのを待つに限る。 で、泣きやむのを待って話を聞いてみると、どうやら会社でタチの良くないセクハラに遭ったらしい。 わしの歳の近い親戚の中で、唯一大学まで進学した恵美子は、卒業後は広島市内にあるいわゆるIT関係の会社に入社した。 実はわしも以前仕事で中に入ったことがある。 その時の企業の印象はまた別のところで語るが、あれはそこで事務職についていた。 で、最近人事移動があったらしく、部門の主任者が変わったらしいのだが、その主任者からセクハラを受けたということだ。 最初は何気なく話しかけてくるだけだったらしいのだが、ある日たまたまパンツスタイルのスーツで出勤したときに 「ズボンにしたの?スカートの方が似合ってたよ。」 最初はこの程度だったらしい。 が、だんだんとそれはエスカレートしていき、やれ若いんだから短めの方がいいだの、フレアっぽいのよりタイトの方が自分の好みだのと言い出したらしい。 そして、ベタではあるがお触り行為が徐々に始り、日を追うごとにその行為がエスカレートしていったというのだ。 何度か本人に抗議したり、上の役職の人にも相談したらしいのだが、一時的に収まってもまた、日が経てば同じような事が起こる、そんなやり取りの繰り返しがずっと続いていたという。 わしが思うに、元々恵美子は口数が少なく、さらに沙織よりも背が小さくて童顔であるため、ナメられていたのではないだろうか。 しかし、それは本人の責任ではないし、何よりそれでセクハラが許されるというものではないだろう。 ともかく、それが原因で恵美子は会社に辞表を出し、会社は会社でそれまでの対応のマズさの事をかんがみて、退職ではなく休職という形にしたという。 わしが知る限り、あそこの会社のシステムからして、おそらく恵美子が担っていた業務を新しく誰かに覚えさせるのは非常に困難なので、システムを変更して業務を複数人でこなすしかないのだろう。 上層部の考えとしては、おそらくその変更の進捗を見て、上手くいかなければ恵美子に復職を要請する。 まずはそういうハラづもりなのだろう。 だが、それは会社の一方的な都合であって、本来であればセクハラ主任をなんとかすべきではないだろうか。 以前にも思ったのだが、あそこの会社はどうも風通しが良くないな。 そういったワケで、事実上職を失った格好になってしまった恵美子は、いったん今住んでいる広島市内のマンションを引き払うことにしたらしいのだが、その件でどうも実家の両親、つまりわしの姉夫婦なのだがちょっとモメたようだ。 姉夫婦は本質的にはいい人達なのだが、かなり古風な考えの持ち主で、セクハラ行為のために会社を辞めると言い出した娘の言い分が、自分勝手という風に映ったらしいのだ。 確かに、本来であればそれを無くすための努力をしない事には、恵美子以外の女性社員が同じようなセクハラにあってしまう。 が、少なくとも恵美子から話しを聞く限り、抗議や上層部に対するアピールは半年以上にも渡っていて、わしの感覚では既に訴訟モノなのではないかと思うレベルである。 それを「我慢と努力が足りない。」と一蹴されてしまったのでは、恵美子もたまったものではないだろう。 そんなわけで、実家に戻ろうとする恵美子の行動を承服せず、結果行き場を無くしてしまった恵美子は祖父母の所へ泣きながら電話してきたというわけであった。 とりあえずわしは、両親の意見を全く聞くことなく 「そっちの始末が着いたら、とりあえずうちに来れば良かろう。」 と言ってやった。 おそらくそれが、一番良いのではないだろうかと思ったからだった。 辛い思いをしたのだから、その場所をはなれて心も体もリセットした方がいいと思うし、折りを見てわしから姉夫婦にその辺の話をしてやればいい。 だいたい、血のつながった実の親子なのだから、娘を心配しないわけがないのだから、時を見計らって話をすれば、きっと姉夫婦も恵美子の事を受け入れてくれることだろう。 もしそれが上手く行かなかった場合は、なんてことはない。 恵美子はそのままうちに住めばいいのである。 わしが占有している二部屋のうち、どちらか一つを明け渡してやれば済むことだ。 それが、わしの貧しいながらも穏やかで満ち足りた生活を劇的に変化させる原因になるとは、その時のわしは耳かき一杯分にも思わなかったのだった。 ----- その日わしは、仕事のローテーションの関係で非番であった。 というのも、今わしは24時間稼働するPCサーバの面倒を見る仕事をしている。 PCサーバが24時間稼働なのは当たり前なのだが、ここのメンテナンス・チームは珍しく3チームの交代制で、今はどうか知らないが、昔の交番の勤務シフトに良く似ているのだ。 つまり『日勤・日勤・夜勤』の三交代制で、夜勤明けは非番になる。 ということは、どのチームに所属していようが四日に一度は休日が回ってくる。 この不景気のご時世では考えられない人件費の掛け方である。 変則的と言えばそうではあるが、さほど面倒でもない仕事で休みも多いとあっては、少々実入りが少なくても文句は言えない。そういう仕事である。 まあそんなわけで、たまたまわしが家でゴロゴロしていると玄関の呼び鈴が鳴った。おそらく恵美子が来たのだ。 無言で立ち上がって玄関に向かいドアを開けると、予想通り恵美子が予想通りの表情を浮かべて立っていた。 姉の沙織にさらに輪をかけたような低身長は相変わらずで、元々童顔なため見た目は服装を除けばほとんど小学生だ。 それでいて姉同様出るところはしっかり出ていて、くびれるべきところはしっかりくびれているのだから、そのテのマニアにはたまらない外見だろう。 姉とは違い、明るめの栗色をした長い髪を二つにまとめて、いわゆる『ツインテール』にしているあたりなど、まるでその手合の嗜好をそそるつもりだとしか思えない。 もっとも、わしが知るかぎり恵美子は十数年も前から全く同じ髪形をしているので、ここ数年言われはじめたそのテの連中の嗜好がどうのこうのというわけではないのだが。 絹糸のようなすべらかな肌と、姉と比べるとどこか落ち着きのある深い色合いの瞳。 そして、男の欲情をそそるかのような、やや厚めのぽってりとした唇。 身内のわしが言うのも何だが、黙って座っていればフランス人形のようにも見えるほどにかわいらしい。 もっとも、口数こそ少ないが案外言うことは辛辣で、わしなんぞも幾度となくその舌鋒によって打ち倒され、心に深い傷を負ったこともあった。 わしがこの時間にこの家にいるとは考えていなかったのだろう。 恵美子は予想通り、まさしく鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、暫しわしを見つめていた。 その目元がかすかに腫れているのを見てとったわしは 「つらかったの。まあ上がりんさい。」 とできるだけ優しく声をかけた。その途端、恵美子ははほとんど体をぶつけるようにして飛びついてきた。 ・・・・・・痛い。 が、さらに痛いのはわしは恵美子のその行動を全く予想していなかったため、思いきり後ろに倒れ、後頭部を上がり框でしこたまにぶつけた。 その時の痛みは筆舌に絶える。 いわゆる『目から火が出る』などという言葉があるし、漫画なんかでもしばしばキャラクターが頭をぶつけたりした時に、目から星が飛び出すような描写があるが、実際に自分の目前を星がよぎったのを見たのは人生でも初めてだ。 ようやく痛みがおさまり、恵美子を気づかうゆとりができたわしは、あらためて飛び込んできた恵美子を見た。 すると恵美子は、わしの(残念ながら豊満な)胸に顔を押し付け、声をかみ殺して泣いているではないか。 これは女の子の泣き方ではない。漢(おとこ)の慟哭である。 二十代半ばを少し過ぎたばかりの恵美子がこのような泣き方をするということは、わしが電話で聞いた以上に職場でくやしい思いをしたか、恥ずかしい思いをさせられたということだ。 また、その後の身の振り方についても不安で心細くて仕方がなかったのだろう。 なにせあの両親である。休職して帰って来る娘を、邪険には扱わんにしても、あまり居心地が良くはなかったに違いない。 わしにできる事と言ったら、そんな恵美子が泣きやむまで、というか気が済むまでそっと抱いてやることだけであった。 そして、しばらく後にいつもの通り我が家に入り浸っている恵美子の姉がやってきて、玄関先でちょっとした騒動になるのは想像に難くないことだろう。 こうして、意味不明の言葉でわめく小さめの姉をなだめすかし、そんなことにはかまわず無言で泣き続けるさらに小さめの妹をなぐさめながら、この後に起こる事態を想像もせずにわしは途方にくれるしかないのであった。 ----- 結局、話はわしの予想もつかない所にまとまってしまった。 結論から言えば、今は空き家となっているわしの祖父母の家、つまり両親の実家にわしと沙織と恵美子の三人で住むハメになってしまったのだ。 ナゼだっ?ナゼそんなことになってしまったのだっ!? 当初はわしが最初に考えていた通り、わしが占有している2部屋のうち、1つを恵美子に明け渡す方向で話しは進んでいた。 そのように話がまとまるまでにもそれなりに曲折があり、かなり面倒だった。 というのも、わしの両親はやはり娘は親の元にいるべきだと考えていたからだ。 まあ本来であればそうなのだろうが、今回はケースがケースだ。 だいたい、そうは言っても孫娘が自分たちを頼ってくれるのが嬉しいくせに。 そのへんも絡めてわしが両親を説得し、その旨を上手く姉夫婦に説明するという形で話はほとんどまとまっていたのだ。 そこへである。沙織が 「えみちゃんばっかりずる〜いっ!」 と言い出した辺りから話が面倒な方向へ進んでしまったのだ。 なんとこの姪は、いい歳をして自分も一緒にここに住みたいとダダをこねはじめたのだ。 が、いかに田舎の一軒家とはいえ部屋の数には限りがある。 恵美子と沙織が相部屋でというのも考えたが、相部屋にするには我が家の部屋はやや手狭である。 子供のころならまだしも、生活スタイルも人生のベクトルも違いが出てきている年齢で、6畳1間で相部屋というのはしんどいだろうと思う。 さらにだ。無意味に多趣味なわしの荷物は、6畳1間では収まらんという事が判明したのだ。 つまり、どうやっても荷物の一部は片方の部屋に残ってしまう事になる。 おまけに、その残った荷物は部屋の実に1/3を占有するとあっては、ただでさえ手狭な部屋をさらに狭くしてしまうのだ。 実質4畳しかない部屋に二人で相部屋とは、いやはや。 男女の違いがあるとはいえ、そのシチュエーションはかの名曲『神田川』のそれを若干上回る。 それに、現代のそれなりの年齢の女性なのだから、調度品の類いもわしの使っているそれよりは数も多い。 それらを入れてしまったら既に、生活空間は1畳以下となってしまうため、それはすでに部屋ではなく物置である。 いや、わしの使い方も基本的には楽器やそのテの機材を部屋中に並べ、空いたスペースに無理やりベッドを置いているのだから、いわば『物置兼寝部屋』だった。 それを考えれば正しい使い方なのかもしれないが、(ギリギリ)妙齢の女性を物置に押し込むのは、シンデレラの登場人物の仕事であって、わしらのすべき事ではない。 だが、そうなると計算上もう1部屋をどうしても空ける必要があり、そのためにはどうしてもわしがこの家を出ていく必要があるのだ。 が、両親の年齢を考えれば、長男のわしがこの地域を出ていくことは難しい。 それでなくても、2年ほど前に脳出血を起こした母親と、5年前から腱やじん帯が骨化する難病にかかっている父親である。 放り捨てて出ていくわけにはいかない。 ではどうするかという話になり、それならということで、件の空き家にわしが引っ越すことになったのだった。 この計画が決まったあと、皆してその空き家を見に行ったのだが、木造平屋のわりには結構部屋数があり、そこそこ広い。 うらぶれた典型的なボロ屋だが、その瀟奢な佇まいはおおいに気に入った。 結構長い間空き家だったので、そこかしこに傷みがあるが、ちょっとしたリフォームを行えば住むのは問題なさそうだ。 知りあいの大工に頼めば安く早くあがるだろう。やれやれ。これで解決だ。 ところがである。なんと引っ越し当日にあの二人が自分たちの荷物を持って満面の笑顔でやってくるではないか。 どうも話を聞くと、わしがおらん所で姉夫婦とも話をつけてあるという。 なんとも周到なことだ。結局のところ、皆して体よくわしに二人を押し付けたのである。 こうして、妙な共同生活がスタートする事になってしまったのだが、この後にも多くの曲折を待っていることを、当時のわしは知るよしもないのであった。