【どうしても分かりあえない】  この男と付き合い始めてわかったことが一つ、ある。  嗜好が全く噛み合わないのだ。彼の好みは私の好みとは全然違う。もしかしたら一ミリぐらいは合致するところがあるかもしれないけれど、今のところそのわずかな共通点に遭遇したことがない。 「こっちの方がお前には似合うよ」 「でも私はこっちのほうが好きなの!」  一緒に服を見に行けば、それぞれに気に入ったものを手にこんな言い合いをすることはほぼ毎回のこと。  私がシンプルな色、柄のカットソーを選んだのに対して、彼はシンプルとは程遠い、着こなすのが難しそうなセクシーなものをチョイスしてくる。また別の時には、私がふんわりした膝丈のスカートを選んだ隣で彼はフリフリの超ミニスカートをを指差しているのだ。うん、それも可愛いけど、しゃがんだら絶対に下着が見えるよね……。そこのところ、わかってるのかな。  私は決してスタイルが良いほうではない、と自分で思っている。身長と体重はたぶん標準だけど、それにしては腕や足やお腹には余計な肉がついてぷよぷよしているし、かといって胸が大きいわけでもない。露出の多いセクシーなカットソーや、ミニスカートなんて言語道断。絶対に綺麗に着こなすなんて無理だ。顔立ちだって地味だし、メイクや髪の色をがらりと変えてみる勇気もない。どうせ似合いっこないのだから。  これまでに何度もそれを訴えてきたけれど、彼が私の意見を一度で聞き入れてくれたことなんてなかった。  二人で買い物に出かけると何を見ていても好みが合わず、結局何も買わずに帰ることのほうが圧倒的に多いのだ。そういえば買い物だけではない。この間、映画を観に行くことになったときにも、どの映画を観るかでしばらく揉めに揉めた。結局そのときは私が折れて、彼おすすめのアクションものを観た。思っていたよりもずっと面白くて、観てよかったと思ったものの……。  二人で出かけるのは楽しいけれど、毎回喧嘩になってしまうのは悲しい。  あたしはただ、他のカップルみたいに一緒に楽しく平和なデートをしてみたいだけなのに。  彼は同じ大学の同級生で、たまたま出席番号が近くて少しずつ話をするようになったのがきっかけで、次第に彼のことを好きになっていった。話題の引き出しが多くて、どんな話をしていても楽しい。高校時代のこと、サークルのこと、趣味のこと、アルバイトのこと。会話のテンポがすごく良くて、私はたちまち彼の話に引き込まれていった。好きなことの話をしているときの彼の心底嬉しそうなキラキラ輝く瞳に惹かれた。私のあまり上手ではない話も、最後まで急かさずちゃんと興味を持って聞いてくれた。  体調の悪い日には「顔色よくないけど、大丈夫? 医務室で休んでたほうがいいんじゃない?」と心配そうに顔を覗き込んでくれたこともあった。よく見ていてくれていることがわかって、嬉しかったし、ますます彼のことが好きになった。  付き合い始めたのはわりと最近、一ヶ月ほど前の話だ。  話があるといって呼び出された公園で、私は彼から告白をされた。明るくて誰とでも仲良くなれる人気者の彼が、まさか私のような大人しくて地味な子を好きになってくれると思っていなかったから、嬉しくて嬉しくて驚いて、その場で泣いてしまったぐらいだ。  びっくりさせちゃった? ごめん。と言って抱きしめてくれた腕の温かさが今でも背中に残っている。  一緒にお茶なんかを飲みながら他愛もない話をするのはこれまでどおり、すごく楽しいし心地よい。口下手な私が話しやすいように空気を作ってくれているのがわかる。いつまでも何もせずこうして二人でただお喋りをしていられたらいいのに、と思う。そうすれば何を買うか、どの映画を観るかで喧嘩することもないのに、と。 「ゆう君は、私の服が嫌いなの?」 「何で? そんなことないよ。似合ってる」  その日、私は意を決して彼に尋ねてみることにした。いつもいつも、私の好みとは違うものをチョイスしてくる理由。あたしが折れれば済むだけの話なのかもしれないけれど、どうしても受け入れられない部分だってあるし。  似合ってる、と言った彼、ゆう君の笑顔に励まされて、私はこれまで一番聞きたかったことを口に上らせる。あれだけ執拗に私の好みではないものばかり選んでくるのに、理由がないわけがないのだ。 「じゃあ、どうして一緒に買い物に行くと、私が絶対に選ばないようなものばっかり勧めてくるの?」  彼は特に気分を害したわけでもなく、けれど、うーんと少し考えるように首を傾げた。  言葉を探すようにゆっくりと口を開いたり閉じたりしている彼はなんだか新鮮で、少し可愛いと思った。 「今着てる服も嫌いじゃないけどさ、俺が持ってく服も絶対似合うと思ってるから。かな」 「でもゆう君が持ってくる服って全部露出が多くて、私が着るにはセクシーすぎて、あんなに布の面積が少ない服、絶対うまく着こなせる自信ないよ。スタイルだってよくないし」  予想通りの回答だった。  いつも、私に服を持ってくる彼は口癖のように「こっちのほうが似合う」と言って聞かないから。  毎回その台詞を聞くたび、彼の目は節穴なのではないかと疑ってしまう。あたしの、この顔、この体形を見て、どうして露出の多い、体のラインがはっきり出るような服が似合うと思えるのか。 「スタイル、全然悪くないだろ? それに肌も綺麗だし。もっと出してもいいと思うよ。そりゃ、あんまり出しすぎて注目されでもしたら、俺が嫌だけどさ。もう少しぐらいなら全然嫌らしくは見えないし、そのほうが俺も見てて楽しいしさ」  そう言って笑った彼の瞳は見たこともないぐらい明るく輝いていて、思わず見とれてしまった。 「……」 「……あんまり嫌だったら、一回だけでもいいんだよ」 「え?」  かと思うと今度は眉間に皺を寄せて目を伏せてしまった。髪の間から覗く耳が、少し赤くなっているような。彼らしくもない小さな声に首を傾げると、勢いづけなのか、カップに残っていたお茶をぐいっと飲み干した彼はこう言った。 「好きな子に、上から下まで自分の選んだ服を着せてみたいって、男なら一度は思うもんなんだよ! それぐらい解れよ!」 「えっ」  がばっと顔を上げて、私を真っ直ぐに見る彼の顔は真剣そのものだった。頬っぺたはほんのりと色づいていて、眉間にはさっきからずっと皺が寄っていて、閉じられた口は真一文字を結んでいて、一瞬、睨まれているのかと思ったほどだ。  ばちっと合ってしまった視線を逸らせないまま、私は彼の言葉を何度も何度も脳内で反芻する。 「えっと……」  彼に釣られてなのか、台詞のせいなのか、私の頬までどんどん赤くなってゆくのがわかる。  答えに困っているとだんだん彼の視線があちらこちらにうろつき始め、何かを誤魔化すように明るい色に染まった髪をぐしゃぐしゃにかき回す。自然な形に見えるその髪形は、毎日それなりの時間を掛けてスタイリングしているものだということを私は知っている。 「美幸は自分で思ってる以上に可愛いし、肌も綺麗だし、スタイルだって悪くない。むしろ全然いい。だから、俺だって俺なりに考えて、毎回ちゃんと似合いそうな服を選んで見せてるつもりだよ。それが好みに合わないのばっかりっていうのはわかってるし、申し訳ないけどさ」 「で、でも、私、華やかな服とか似合うような顔じゃないよ。地味だし」 「そんなの、俺がいくらでも変えてやるよ。女の子はメイク一つで別人みたいに変わるよ」 「ゆう君が?」 「うん。言わなかったっけ? 俺んち美容院」  そこでようやく彼の顔がぱっと明るく自信のある表情を取り戻した。得意げな笑顔は太陽のよう。  胡坐をかいた足を組みなおしながら、さらに彼は言い募る。 「俺は店は継がないけどね。兄貴がいるし。でも親とか兄貴にある程度メイクの仕方とか叩き込まれてるから、道具とか貸してくれれば服に合うようにメイクしてあげられるよ。さすがに髪を切ったり、染めたり、パーマかけたりは、店に来て親か兄貴にやってもらうことになるけど」  屈託のない笑顔に押されて、私はつい、うなづいてしまった。 「じゃあ、今から出かけるか! 今日は俺に服、選ばせて」 「……っ! い、一回だけだからね?」  私たちはカップをテーブルに置くと、街へと出かけていった。  彼と私の価値観は全然違っていて、何があっても絶対に一部分も重なり合うことはないと思っていた。けれど、それは私が彼のことをよく理解しようとしていなかっただけなのかもしれない。無条件に拒否するのではなく、彼の考えや思いをもっときちんと聞き出すことが大切なのだとわかった。もちろん、私も自分の気持ちや考えていることをもっともっと、彼に伝えなければ。それがお互いを理解するということで、理解が深まれば私たちはもっとお互いのことを好きになれるはずだ。 「美幸、このスカートは? さっき持ってきたのとどっちが好き?」 「……どっちも短すぎない……?」 「そんなことないって!」   相変わらず彼の選ぶ服は私にとって、露出が多いものばかりだし、体に当てるだけでもドキドキしてしまうけれど、たった一度だけなら、それで彼が喜んでくれるなら、着てみてもいいかなと思う。もしかしたら彼の言うとおり、案外しっくりくるかもしれないし。  いつもと違う服を着て、彼の手で綺麗にメイクを施してもらって、ちょっとした非日常を楽しむのも悪くない。  私たちはどうしても分かりあえないのではない。  分かりあおうとしていなかっただけなのだと、このとき初めてわかった。