僕の部屋1 僕は目が覚めると最初にベッドサイドにある花瓶の花を見た。一輪の赤い花。椿だ。 僕はそれから、その花の隣に立つ人物を見る。 「おはよう、ハルヒト」 「おはようございます、リア」 僕は彼に挨拶すると、ベッドを起こすスイッチを押す。 「今日は天気がいいんだね」 「はい・・・」 僕が窓を見ながら言うと彼は頷く。 「毎日、窓から天気を見るのが楽しみなんだ。天気予報なんか見ちゃうのはつまらないと思わない? 毎朝予想して確認するのが楽しいいと思うんだよね」 「・・・・・・・・」 ハルヒトは答えない。彼には「思う」という機能はない。経験に基づき予想する事は出来ても感情は抱かない。 彼はアンドロイドだからだ。 今の時代、アンドロイドは珍しくない。 まだまだ一般人が一人に一アンドロイドというワケにはいかないが、僕のような人間は別だった。 何故なら病人にはアンドロイドは優先されて与えられるのだ。 もちろん費用がかかるので高額収入者の家庭に限るが。 彼、ハルヒトは介護用アンドロイドだ。それも僕専用の。 僕はリモコンを手にすると向かい側の壁にスクリーンを出す。するとスクリーンに人物が映る。 『おはよう、莉亜君』 画面に現れた医者に僕は挨拶をする。 「おはようございます」 『今日の気分はどうかな?』 「はい、とても良いです」 『それは良かった』 そう言うと画面の向こうにいる先生がハルヒトを見る。 『春人君、莉亜君のデータを送って』 「はい」 ハルヒトはベッド脇の機械からカードを取り出すと、別の機械にそれを差し込んだ。 先生は画面の向こうで送られてきたデータを読み取っている。 僕の方からは見えないが、先生の見ている画面には僕のいる部屋が映り、 更にその映像の上にデータが映し出されている。 暫くすると先生は頷いた。 『うん、問題ないよ』 先生は僕にそう言うと微笑んだ。そして長めの髪をかきあげながらハルヒトを見る。 『春人君、いつものAD-122のクスリと食事を』 「はい」 『あと、今日の検診はこれで終わりだから。もしも莉亜君の様子に変化があった場合はG7にアクセスするように』 「はい、判りました」 二人の会話が終ると通信が切れた。 僕はベッドで半身を起こした状態でハルヒトに話しかける。 「今日はご飯が食べられるんだね」 「そうですね」 「AD-122の食事だと何?」 「一日2回の食事になります。メニューもお聞きになりますか?」 僕は首を振る。 「いや、いいよ。食事も何が出るか楽しみにしたいし」 僕はそう言うと自分の手をじっと見つめた。そして手を開いたり閉じたりした。 今日はまたいつにも増して調子が良かった。調子が悪いと僕は自分の体を思うように動かせない。 手すら動かすのがままならい事もある。 僕の体からは今も何本ものコードが出ている。 それらのコードはベッドと一体になった医療器具と接続されている。 ここは僕の自宅マンションの一室だ。 今の時代、病気は自宅治療が出来る。 ネットワークが国に繋がっているので、そのままかかり付けの病院とも接続できる。 そして医療機器、主に医療ベッドだがを、自宅に設置してしまえば、あとは介護用のアンドロイドに 身の回りの事を任せる。そうすれば通院も必要ではない。 だから僕は毎日こうしてハルヒトと過ごしている。 両親は健在だが一緒には暮らしていない。その代わりにアンドロイドが与えられている。 ハルヒトは20代前半の容姿をしている。介護用アンドロイドを与えられる時に僕が指定をした。 僕とあまり離れていない年齢で、少しだけ年上が良いと思った。 同じ年の人にはアンドロイドとは言え甘えずらい。 それに介護を頼むのに女性タイプは嫌だった。 顔も僕がデザインした。あまり美形すぎず、でも見つめているのに丁度良い顔。 だから僕はハルヒトが気にいっていた。  アンドロイドにも多少の性格はある。大まかな設定が出来るからだ。 そして後は学習に任せる。アンドロイドは経験を積んでいく。 僕と過ごした時間、会話が彼の経験となり記録される。 そうして僕は一日の多くをハルヒトと過ごしていた。 「ねー、僕の担当医師の菅野先生って何歳だと思う?」 菅野先生というのは先程画面に映っていたまだ若い医者だ。 髪が長めで、知的な顔をしている。僕の問いにハルヒトが答える。 「判りません、データにありません」 「それはわかっているよ。でも見た目で予想とか出来ない?」 その問いにハルヒトは考える。 この場合の「考える」は記録データにアクセスして情報を収集、整理計算するという事だ。 「表面的な肌の状態、皺などから推測して30歳前後かと思われます」 その言葉に僕は溜息をつきつつ言う。 「僕が見たのと変わらないね。データ分析も人の目も同じ結果だなんてさ」 ハルヒトは答えない。僕が回答しろと命令してないからだ。 アンドロイドは基本的に聞かれた事にしか答えない。 異常事態や環境の変化などを感じた時は別だが、人に気を遣うという事は出来ないんだ。 でも、それもいずれ可能になるのだろうか? 日々科学と生物学は進歩している。 いずれアンドロイドにも感情が出来るだろうか? でもそうしたら人とアンドロイドの違いは何になるのだろう? 人には感情がある。思考する力がある。 それらがアンドロイドにも出来るようになれば、体の補修が簡単に出来る分、 アンドロイドの方が優れていないか? その時、僕はベッドサイドにある花に視線を移した。赤い切り花。あれは椿だ。 僕は植物の事を考えた。植物に感情はないのだろうか? 物には感情がないのだろうか? アンドロイドに感情を持たせようとするならば、このベッドやコードに感情を持たせる事が可能だろうか? 僕はそこまで考えて目を閉じた。 「僕には関係ないことだ」 そんな難しい事は誰か他の頭の良い人が考えればいいんだ。 僕なんかの考えるような事ではない。 それにアンドロイドが感情を持つ事はありえないんだ。 もう何年も何十年もその研究がされたが、実現はされていない。 いや、あるいは技術的には可能かもしれないが倫理というものが許していないのかもしれない。 いつまでたってもクローン技術が禁止されているように。 最初のクローンである羊のドリーから、もうどの位の長い時間がたっている? ヒトES細胞の実用も頓挫されたままだ。いつまでたっても技術と倫理はかみ合わない。 僕は気分を変えようと思った。 「ハルヒト、ゴーグルを貸して」 そう言うと彼は僕にゴーグルを手渡す。僕はそれを装着するとダイアルを合わせる。 「昨日の君の行動を見せてもらうね」 このゴーグルはハルヒトの見た物が記録されている。 僕はそれをダイアルを合わせて見る事が出来る。 僕は昨日ハルヒトが見たものを早送りで見た。この部屋の外の風景。顔見知りの人たち。 自分の姿を見るのはちょっと嫌だった。 青白い顔でベッドに繋がれた少年。なんだか見ているだけで哀れだ。 コードは体の何箇所かに装着されていてコンピュータにデータを送っている。 なんだかこうやって見るとハルヒトではなく僕の方が機械みたいだと思った。 それはちょっと可笑しかった。 だって本物の人間である僕がコードに繋がれ、アンドロイドであるハルヒトが自由に歩きまわっているんだから。 でも見た目がどうというのは関係のない事だ。 どんな風に見えようが、僕が主人で彼が補佐である事には変わりがないんだから。 白い部屋1 その部屋は白い正方形の小さな部屋だった。 あるのは事務用の机と椅子、それに窓とドアがそれぞれ一つだけだった。 そのドアが軽くノックされると開かれた。 そして白衣を身に着けた30代の青年とも中年とも見える男が入ってくる。 「今日のリアはどうだい?」 その問いに菅野は椅子を反転させると、声をかけてきた人物を見た。 その男はボサボサの伸び放題の髪をかき混ぜながらタバコに火をつけた。 「今日も良い感じだよ」 「えっと、それは機嫌が?それとも状態が?」 「両方だよ」 答えながら菅野は灰皿を男の前に差し出す。 「小野寺君、一応ここは病院だからタバコは遠慮して頂きたいんだけど・・・」 菅野の言葉に小野寺は笑う。 「ああ、そうだったね。でもほら、俺は理系の人間だからタバコは手放せないんだよね」 「どんな言い訳だよ」 「はは、それより今日のデータ見せてもらえる?」 そう言う小野寺に、菅野は先程送られてきた莉亜のデータを表示させてみせる。 白く光る文字に目を向けながら菅野は言う。 「順調だよ。今の所問題はない」 画面の光を顔に受けて言う菅野に、小野寺は机に手をついて屈みこんで言う。 「本当は問題が起きて欲しいんじゃないの?」 菅野は答えない。 「問題が起きないと、俺達の出番はないじゃないか。それってつまらないだろう?」 微笑しながら言う小野寺に菅野は目を細める。 「そんな事はないよ。僕は彼の事を心配してるんだよ。彼がちゃんとこのまま生活できるように、 とてもとても神経を使っているんだ」 真剣な顔でそう言う菅野を、小野寺はじっと見つめていた。       僕の部屋2 目が覚めると最初に、僕はベッドサイドの花を見た。 椿の花は今日も咲いていた。 「おはよう。リア」 僕にハルヒトが挨拶をする。 「おはよう」 僕は言いながらまだ花を見ていた。 「ね、お花の水を変えてくれた?」 「はい」 その言葉に僕は安堵する。 そしていつもと同じように病院との通信を繋ぐ。画面に現れた菅野先生に僕は挨拶をする。 「おはようございます」 『ああ、おはよう、莉亜君、今日の気分はどう?』 「はい、良いですよ」 『そう、良かった、じゃあちょっとデータを読み取るから待っててね』 僕は朝の検診がすむとハルヒトに話しかける。 「昨夜は何かしていた?」 「いえ、何もしていません」 「ああ、寝てたんだ?」 「私の場合眠るとは言いませんが」 「そうだけど、似たようなもんだよ」 ハルヒトはアンドロイドだから眠らない。僕が眠っている間も彼は起きている。 でも起きていても特に何かするわけではない。 だったらエネルギーの節約をして起動停止させておけばいいと思うかもしれないが、 僕が目を覚ますかもしれないからそれは出来ない。 喉が渇いた、トイレに行きたい、怖い夢を見たから話して欲しい。 そういう予測できない僕の欲求のために彼はずっと僕の側についている。 その間、彼は黙ってじっとしているのだ。 たまには裁縫をしたり、掃除をしたり仕事をしている事もある。 それはもちろん僕が命令した場合だ。でも基本的にはいつも彼は何もしていない。 僕の側で黙って椅子に座っている。  何もしていない、考えていない状態を指して僕はさっき寝ていたんだと言ったんだ。 でも彼には眠るという事が出来ないから否定された。 比喩だってわかってくれたら良いのにと思うが、まだアンドロイドはそこまで理解はしてくれない。 「ねえ、昨日のハルヒトの記憶を見せてくれる?」 「私の記録ですね?」 「うん」 僕はハルヒトの記憶と言ったが彼は記録と言った。 この違いが人とアンドロイドの違いなんだと僕は思う。『昨日の思い出』と、『昨日の記録』その違い。   僕はゴーグルを頭につけるとダイアルを合わせる。そして昨日と同じように早送りで画面を見ていく。 僕はほぼ毎日、こうやってハルヒトの記憶を覗き見る。 今、僕の目に映っているのは昨日のハルヒトの視線だ。 同じ出来事を他人の視線で見る。そうすれば物事は多角的に見える。 同じ出来事でも角度が変われば事実も変わる、そういう事だ。 僕は長い療養の退屈な時間をこうやってすごす。 もちろん本も見るし、テレビジョンも見る。 他の自宅療養患者とネットワークで会話をすることもままある。 けれど僕はハルヒトと過ごす時間が一番多い。 ハルヒト。 ヒト型アンドロイド。僕の世話をし、僕の手となり足となり動いてくれる人。 僕と24時間ずっと一緒にいてくれる人。僕の言葉に耳を傾け的確な助言をしてくれる人。 (この場合、彼は彼の考えを述べるのではなく、統計的な可能性を口にする) そして更に僕は、彼の視線で記録を見ては彼の記憶までも共有する。 僕は思う。 彼と僕は限りなく一人に近いのだと。 僕はハルヒトなしでは存在出来ない。 だから僕は彼を愛しく思っている。僕の半分はもうハルヒトなんだ。 ハルヒトはたまに一人で出かける。それは買い物だったり散歩だったりする。 何故彼に散歩をさせるのかと言うと、その感覚を僕が味わいたいからだ。 僕はゴーグルをつける事でハルヒトの視線で物を見られる。 だから僕は自分がしたい事をハルヒトにさせるんだ。 映像はスクリーンに映し出す事ももちろん出来るが、ゴーグルで見た方が臨場感がある。 ゴーグルで見ると本当に僕が体感したように感じるんだ。 空を赤く燃やす夕焼け。空気を切り裂くように飛ぶ鳥。 野原で踊る蝶。夢の中のような街の喧騒。闇と光を映す海。 僕はそれらをハルヒトの目で体験した。 僕はふと思った。 ヒトの行き着く先はアンドロイドとの共生だろうか?共存ではない。共に生きるのだ。 僕がハルヒトで、ハルヒトが僕で。 アンドロイドとヒトが一体となって生きるのであれば、ヒトは老いや病の苦しみから逃れる事が出来る。 人類はそこに向かって進んでいるのだろうか? それが進化の行き着く先だろうか?いっそ機械の体を手に入れる。それが人類の最終目標? 僕は思考の渦に飲み込まれ、黙って目を閉じた・・・。 白い部屋2 「莉亜の調子はどう?」 そう聞く小野寺に菅野は机に肘をついて画面を見ながら答える。 「彼は日々進化しているよ。とてもいろんな事を考えている。この狭い世界に特に不満も抱いていない。 置かれた不自由な状態の中で最善を過ごしているんだ。ヘンにマイナス思考になるより良いことだ」 「ああ、莉亜はポジティブなんだな。性格・・・かな?」 その言葉に顎を摘んで考えるようにしながら菅野は答える。 「・・・ああ、性格だろうな」 「性格か・・・」 呟く小野寺に菅野はうっすら微笑みながら言う。 「そんなに驚く事じゃないだろう?性格は誰にだってあるさ。性格というのは個人差だ。 葉っぱ一つとったって小石一つとったって他の物とは違う。すべての物に性格はあるんだよ」 「そうだな・・・それにしても俺達のチームの人間は個人差の塊だな」 その言葉に菅野は苦笑する。 「確かに。でも他のメンバーも、君にだけはそんな風に言われたくないと思っていると思うよ。 他の人間もあまり服装や容姿には頓着しない人間ばかりだけど、君はちょっと度を外しているからね」 「ああ、このボサボサ髪か?まあ良いじゃないか。研究者とはこういうものさ。 だいたい他の奴らだって似たり寄ったりじゃないか。三日位風呂に入ってないヤツだって居るよ。 みんな作業に集中してしまうと時間を忘れるから。いや、時間は覚えているがどうでも良くなるんだ。 寝るより食うよりデータが気になって仕方なくなるからさ。お前みたいに小奇麗にしてるヤツの方が異端だよ」 その言葉に菅野は微笑む。 「だから、僕は医者なんだよ。見た目から清潔にしておかないとね」 その言葉に小野寺は肩をすくめた。 「それより、君は僕に用があってこの部屋に来たんじゃなかったの?」 その問いに小野寺は当初の目的を思い出す。 「そうだ、そうだった。新しいデータが出きたんだ。先日改良するように言われた箇所を 手直ししてあるから大丈夫だと思うよ」 「了解」 そう言うと菅野は、小野寺からカードを受け取った。 「じゃあ、さっそく春人にアクセスするよ」 その言葉に小野寺は、ニヤリという感じに微笑んだ。 僕の部屋3 僕は目が覚めると花を見た。昨日と同じ場所に花がある。一輪挿しの赤い花。椿。 この殺風景な僕の部屋に印象的な赤い花。 僕はベッドを起こすスイッチを押す。するとすぐにハルヒトが僕に向かって微笑む。 「おはようございます」 「・・・おはよ」 ハルヒトは時折、こうやって挨拶しながら微笑む。アンドロイドなのに微笑むんだ。 それはもちろん表情の機能がついているから出来る事だが、いつどういうタイミングで微笑むかはランダムだ。 感情はないのに、相手の状態を見てどんな表情がいいか、選択するんだ。 ハルヒトは「それを感情とうのではないのですか?」と聞いたが、僕はそれを感情とは思わない。 それは単に計算されたものだ。 考えながら僕はハルヒトを見た。 茶色の髪に高い背。がっしりした体躯。すっきりとした美しい顔。 でも、それらは全部僕が指定して作られた容姿だ。 僕はこのキレイなアンドロイドを本当に好きなんだろうか? 感情がない事に、人ではない事に、僕はなんだかすごく拘っている。 それはつまりハルヒトを見下しているという事だろうか? 僕はなんだかんだと言っても人が上位でアンドロイドを下位の存在だと思っている? でも、だってアンドロイドは人が作った物で、人のために働く。だから、だから?だから人の方が偉いのか? 「リア?」 呼びかけられて僕はハルヒトを見た。 「どうしました?具合が悪いんですか?」 スカイブルーの瞳でハルヒトが僕に問いかける。僕は首を振るとリモコンを取り、スクリーンを出す。 「違うよ、ごめん、なんでもない」 そう言うと僕は病院にアクセスする。 僕と菅野先生はいつものように挨拶を交わし、状態を確認する。 今日も僕に異常はなかった。すこぶる順調だ。 『じゃあ、莉亜君、また明日。良い一日を』 そう言うと菅野先生は微笑んで通信を切った。 僕は暫く何も映っていないスクリーンを見つめた。 僕は先生の笑顔と先程のハルヒトの笑顔を思い出して比べてしまっていた。 どちらも笑顔。僕に向けられた笑顔。 感情のある先生と感情のないアンドロイドのハルヒトの・・・。どちらの笑顔も僕には同じに思えた・・・・。 「リア、お母様からアクセスですよ」 言われて僕はリモコンを見た。僕のリモコンは20センチ位の長さの長方形の物だ。 昔のテレビジョンのリモコンと形状は同じだ。小さな画面にいろんな文字メッセージが出る。 このリモコンが家のすべての物を制御している。 窓やカーテンも開けられるし、ベッドも医療道具もすべてコントロールできる。 僕はリモコンを手にすると再びスクリーンを出し、画像を切り替える。 そこに僕の家族の顔が映った。 『おはよう、莉亜。気分はどう?』 母の言葉に僕は頷く。 「最近とても調子がいいよ。体も痛くないし、自由に動く」 『それは良かったわ』 まだ若い母は美しくやさしげに微笑む。そしてちらと画面に映っていない右側を見ながら言う。 『ほら、お父さんも、莉亜に会ったら?』   僕は右奥に父が居るのだと知った。けれど父は画面には現れない。 すると母が困りながらも僕に取り繕うように笑う。 『お父さんったら照れているのよ。ごめんね、莉亜。 そうだ、何か欲しい本やデータはない?お母さんが送ってあげるわよ?』 僕は首を振る。 「大丈夫。欲しいものは簡単に手に入るもん。この環境で暮らさせてもらえるだけで十分だよ」 すると母は少し淋しそうな顔をした。 『そう、ならいいわ・・・その、あんまり会いにいけなくてごめんね』 そう言う母に僕は笑顔を見せる。 「いいよ。気にしないで。二人とも仕事があるんだから、 それにこうやって通信で会いにきてくれるじゃないか?それでいいよ」 母は頬に手を添えて眉をよせながら言う。 『でも、ほら、やっぱり直接会って触れ合いたいじゃない?』 僕は首を振る。 「だから大丈夫だよ。そんな風に触れ合いたいっていうのは、ちょっと古い思想だよ。 母さんもやっぱりオバサンだな」 その言葉に母は少し怒る。 『失礼ね!でもまあ良いわ。元気そうで何より。じゃあまた連絡するわ』 そう言うと通信が切れた。 僕は切り替えられて自動的に流れる、自然の風景を見ながら苦笑した。 僕の母はまだ若い。まだ30代だと思う。 正確な年齢は教えてくれないから判らないが、おそらく37位じゃないかと思う。 女性というものは例え相手が息子であろうと年は言いたくないものらしい。 僕の母はキャリアウーマンだ。エンジニアの仕事をしていると言っていた。 そういう職種のせいかサバサバした性格だ。 父も科学者だが父はもっと無口で僕と通信を繋いでもほとんど会話がなく、 黙り込んで見詰め合って困ってしまう事がよくあった。 僕は自分が愛されていないとは思わない。 今の時代、直接会わなくても、映像と音声でいつでも繋がる事が出来る。 それにそうだ、心なんかはもともと目に見えるものではない。 だから直接会おうが、画面で会おうが心の結びつきに変化などない。 だから僕は、部屋に直接会いに来ない両親に愛されていないとは思わない。 僕は両親に深く愛されている。深く深く・・・・・・。 白い部屋3 「新しいデータの結果はどうでしたか?」 その言葉に菅野は頷く。 「うん、おもしろいよ、これはやはり彼の性格といえるね」 「また、性格ですか?」 「ああ、そうだよ。やはり性格だよ。これだけ前向きなのは彼だけだ。 他の子達はもっとネガティブだったよ。見舞いにこない両親にもっと悲しんだり淋しがったりしていた」 「単に鈍いだけなんじゃ?」 その小野寺の発言に菅野はギロリと睨む。 「失礼な事は言わないでくれよ。彼は僕の大事な患者なんだから」 「患者・・・ね」 小野寺は肩をすくめて呟いた。 それを無視して菅野はデータ結果を見ながら話す。 「それに、彼はアンドロイドと大分上手くすごしているよ。他の子はアンドロイドに八つ当たりしたりしてたけど、 彼はそんな事をしない。やはり性格だね。ちょっと謙虚でおとなしいんだ。 その分いろいろ考え込むクセはあるようだが、でもネガティブというワケでもない」 その言葉に小野寺は苦笑する。 「はいはい。センセイはなんだか莉亜ちゃんが大変お気に入りのようで。 俺からしたら他のとどこも変わらなく思えるけどな」 その言葉に菅野は椅子をクルリと反転させて小野寺に向き直る。 「僕は患者には平等だよ。どの子にもヒイキなく平等に接してる」 言いながら菅野は顎に手を添える。 「・・・でも、うん、確かに僕は莉亜は気にいっているよ。元々好きな種類だったしね」 その言葉に小野寺は豪快に笑う。 「ははは!言葉だけ聞いてると何だかいやらしい言葉だな!」 その発言に菅野は赤くなった。 「へ、変な意味じゃないよ!」 「はいはい、じゃ、俺は研究室に戻るよ」 そう言うと小野寺は白い部屋を出ていく。取り残された菅野は椅子を元に戻すとスクリーンを見つめた。 自動的に流れる映像には椿の花が映っていた。緑 の木にたくさんの赤い花を咲かせる美しい花。それを見ながら菅野は呟く。 「だって、本当に元々好きだったんだよ・・・」 僕の部屋4 僕は目が覚めると花を見た。 赤い椿は今日も咲いている。 「ハルヒト、花の水をかえてくれた?」 「はい」 僕はその言葉に満足すると、ベッドを起こす為のスイッチを押す。 僕は上半身を自動的に起こされながら、再び椿の花を見た。するとそんな僕に気付きハルヒトが言う。 「椿が気になりますか?」 「気になるっていうか・・・」 僕は自分でも何故花が気になるのか判らなかった。 「あれは椿だよね?知ってる?」 「はい。ツバキ科ツバキ属の植物ですね。つばきの読みの由来は諸説ありますが・・・」 「あ、違う違う」 僕はハルヒトの説明を遮る。 「そういう事じゃなくてね、椿って見舞いにはむかない花なんだよ」 「そうなんですか?」 「そうだよ。花びらではなく花がポトリと咲いたまま落ちるから、不吉な感じで見舞いには向かない花なんだよ」 「そうですか。すみません、勉強不足でした。データを記憶します」 そういうハルヒトに僕は溜息をつく。 「いや、それは良いんだけどね。 ただなんでわざわざ病気の僕の部屋に椿を飾るのかが気になっただけ」 するとハルヒトはいつものように淡々と答える。 「あの花は身近な花なので飾るのに良いのではないかと、先生が用意したものです」 「先生って・・・?」 「菅野先生です」 「菅野先生が・・・?」 僕は疑問に思った。先生が僕にあの花を見舞いに贈ってくれた? なんで主治医の先生が?それは一般的な事だろうか? それになんでよりにもよって椿なのだろう。椿の花なんて縁起が悪いではないか? いや、僕の病気が死ぬような病気ではないから特に気にしなかったのだろうか? でもそれにしたってよりにもよって何で椿? 花なら他にも薔薇やコスモスやユリなどたくさんあるじゃないか。 椿でなければならない理由があるのだろうか? わからない。 僕は溜息を一つつくと考える事をやめた。 側にいるハルヒトは先程から黙っている。彼は僕と同じように考え事をしていたわけではない。 データにない事はわからないのだ。知りようがない。 だって彼は考える事が出来ないのだから。 隣で考えもしないヤツがいるのに僕だけ考えているのもバカらしい。 そう思って僕は気付いた。  一人で考える僕はつまらない? いや逆ではないか?考えるからこそ楽しい。 すべての技術の進歩はひらめきと努力の結果だ。 ひらめきはアンドロイドにはない。人間だけのもの。その悩みも苦しみも希望も人間だけのもの? 「リア、そろそろ準備をしないといけない時間です、今日は学業の日ですよ」 いつまでも黙り込んでいる僕にハルヒトが言った。 「あ、そっか、今日は水曜日だね」 僕はそれを思い出すと朝の日課に移る。いつもの病院との通信。そして食事。 そしていつもより身なりをキレイにすると僕はまたスクリーンに向かう。 今の時代、学校の校舎に通う事は珍しい。 まだそういう学校もあるが、だいたいが通信に変わっている。 僕は特に病気療養をしているから週に3回しか授業を受けていない。 僕は通信を切り替えると、学業の授業のコンピュータにアクセスする。 僕からはスクリーンに先生の姿しか見えないが、先生からはたくさんの生徒の画像が見えているハズだ。 先生によっては映像画面はオフにしている人もいるらしい。 逆に生徒も音声だけで授業を受けている人間もいるようだし、授業を録画する事も出来る。 通信授業の様式は様々だ。それぞれが自分に合ったやり方で学んでいる。 この日、ロボティックスの授業の時に生徒の一人が先生に質問をした。 『じゃあ先生、将来的には人間とアンドロイドは区別がつかなくなると考えますか?』 それは先日僕が考えた事と同じだった。 その発言の主が誰か気になり、僕は画面に質問者の顔を映し出した。 真面目な理知的な顔をした少年だった。 先生とその少年(データを見ると大神シンヤとある)の二人の顔を画面に映して僕は二人の会話を見つめる。 『するとどちらの方が優位なんでしょうか?生命体というか、その物質の存在の個の強さは 断然にアンドロイドの方が強いでしょう?すると大昔に流行った映画のように アンドロイドが人を支配するようになりますか?』 『もう、支配されちゃってたりして。誰も気付いてないだけでさ』 横から口を挟んだ少年が居た。 僕はまたその発言者の顔を画面に映す。 今度は髪をつんつんと立てた、ワイルドな感じの少年だった。 彼のデータを見る。増岡キシムとある。 僕は画面に映った三人をじっと見る。 大神は姿勢正しい姿で先生の言葉を待ってるが、増岡は机で頬杖をついてもう余所見をしている。 すると先生が微笑みながら話し出す。 『アンドロイドとうのは人の補佐のための存在だから、人を支配する事は決してないんだよ』 『でも先生、その人間への隷属性という安全機能をデータから抜き出したり、 壊したりしたらアンドロイドは暴走するんじゃないですか?あるいは書き換えたり』 大神の質問に先生は余裕で微笑んでいる。 僕も大神と同じように思ってたから先生の答えが気になる。 『アンドロイドには感情がないんだ。そしてこれから先も感情が生まれる事もない。 それは無理な事なんだ。だってあくまで機械だからね。考えてごらん。 時計や電気スタンドに感情はないね。例え会話機能をつけたとしてもそれは感情ではない。 君たちは人間と同じ外見だから、アンドロイドも感情が持てるものと思い込んでしまう。 でもそれは間違いなんだよ。アンドロイドは時計や電気と同じ。 もっと言えば机や椅子と同じだ。だから感情を持つ事がない。 感情がなければヒトを支配しようという考えや行動はしない。 だからアンドロイドがヒトに害のないものだと判るね?』 僕はその答えに納得した。 そうだ、外見があまりにも人と同じだから、人と同じように感情を抱き、 人を支配するのではないかと思ってしまった。でもそれは無理なんだ。感情がないんだから。   僕が納得しかけたとき、また増岡が言った。 『じゃあ、アンドロイドに恋したヤツはバカだな』 「え?」 僕はつい音声をオンにしたまま呟いてしまった。 そのせいで授業を聞いていた多くの生徒が僕の映像を自分の画面に映したようだった。 増岡が僕の顔を画面で見ている。僕はなんだかドキドキした。 けれど増岡はすぐに画面の僕から視線を外すと先生に更に話しかける。 『どんな好みの女のアンドロイドを作ったって、感情がないから無駄なんだろう?』 先生は微妙な顔だ。 『そうだね。恋愛という点ではそうだね。心の癒しにしかならない』 先生の言葉に机に肘をついたまま破棄捨てるように増岡は言った。 『ペットか大人のおもちゃかって感じだな』 僕はその言葉に黙り込んでいた。 人はアンドロイドを作った。介護用、作業用、そして愛玩用。それぞれに需要がある。 僕は今まで、本当はハルヒトに感情があったら良いと思っていた。 僕はハルヒトと友達になりたかった。 自分が抱く友情と同じものをハルヒトの心にも抱いて欲しかった。 だからハルヒトに感情が生まれる可能性はないのか、実はそればかり考えていた。 けれど増岡の言葉で僕は気付いた。 アンドロイドに感情なんかない方がいい。 もしも愛玩用のアンドロイドに感情があったらと考えるとゾっとする。 本当に悲しくて可愛そうで僕は耐えられない。吐き気すら感じる。 だから僕はアンドロイドに感情なんかない方が良いと、強く思った。 僕はその日、約5時間の授業を受けた。 僕は勉強は好きな方だ。知らない事を知っていくのは単純に楽しい。 けれどずっとスクリーンに向かうのは少し疲れる。 僕はすべての授業を終えて通信を切ると溜息をついた。 そんな僕にハルヒトが聞く。 「疲れましたか?」 「うん・・・なんだか眠い、ちょっと眠るね」 僕はそういうとベッドを寝かせた。僕の上半身がゆっくりと下降する。 やがて僕は白い天井を見上げる。なんとなく、そう、本当になんとなく花を見た。 赤い花。椿。それはまだ散らずに残っていた。僕はそれに安堵して眠りについた。 白い部屋4 「莉亜は随分と春人が気にいってるようだね」 その小野寺の言葉に菅野は頷く。 「24時間ずっと一緒にるんだ。それはそうだろう」 白いだけの狭い室内を見渡しながら小野寺が言う。 「24時間ずっと一緒っていうならお前も同じなのにな」 菅野は小野寺を見ずに、画面を見ている。 「条件が違うよ。僕はずっと彼の目の前にいて会話してるわけではないからね」 「でもお前はずっと莉亜を見てる」 「彼のデータをね、一応、彼自身ではなくてデータだ。しかもリアルタイムではなく、一日遅れのね」 小野寺は菅野の背後からデータを覗き見る。 「ふーん、昨日の莉亜は学校だったんだな」 ちらりとデータを見た後で、小野寺は身を引いて白い壁に寄りかかる。 「データを見ればすべてが判る。行動も健康状態も思考もだ。 莉亜は自分と春人を一体化して見ているようだが、俺からすればお前と莉亜のが一体化してると思うけどな」 「莉亜はそう考えてないよ」 「でもお前はそう考えてる」 その言葉に菅野は振り返る。小野寺は壁に寄りかかって腕を組んで菅野を見ていた。 暫し二人は無言で見つめあう。 その時、ドンドンと激しい音でドアが叩かれた。 「開けてちょーだい!」 叫ぶ声に小野寺がドアを開ける。すると女が一人ズカズカと部屋に入ってくる。 「コーヒー淹れたの!飲んでよ」 その言葉に室内にいた二人が苦笑する。 「あんな激しくドアを叩くから緊急事態かと思ったよ」 そう言う菅野に女は答える。 「緊急事態じゃなくてごめんなさい」 コーヒーカップをお盆から取りながら小野寺が言う。 「あれだろ。こないだのデータの結果が知りたいんだろ?自分が出演したから」 「あ、バレバレですか?」 そう言う女に二人は微笑む。 「誰だって新しい実験をしたらその結果を知りたいものさ。自分が関わったものならね。 データの収集結果が待ちきれなくてこうして覗き見しにきたわけだ?」 コーヒーを飲みながらそう言う小野寺に、女は頷く。そして菅野に向かって笑顔で聞く。 「どう?私のことキレイだって言ってた?」 そう聞く女に菅野は答える。 「佐々木さんの感想はなかったな。ああ、37だろうって言ってた」 その言葉に佐々木の顔が引きつる。 「37ですって?ふざけないでよ、まだ34なんだから!」 叫ぶ佐々木に小野寺と菅野の二人は笑った。 僕の部屋5 目が覚めた。僕はすぐに視線を向ける。赤い花がまだ見える。そのことに僕は安堵する。 「おはようございます。リア」 そんな僕に気付きハルヒトが挨拶をする。 「おはよ」 言いながら僕はベッドを起こす。僕の視界がどんどん変わっていく。 ハルヒトの顔が見え、狭い部屋の中が見渡せる。そしてまた僕は花を見た。赤い椿の花。 何故、僕はあの花が気になるのだろう? 先生のくれた花。僕はあの花が気になって仕方ない。 「ねえ、花が少ししおれてない?」 「椿の花ですか?」 僕は頷く。するとハルヒトは首を傾げる。 「そんな事はないと思いますよ。今の時代の切花延命剤はよく効きますから。 それに私はちゃんと毎日手入れしてますから安心して下さい」 その言葉に僕はもう一度花を見る。 「そっか・・・うん、ならいいよ」 僕はそう言うとなんだかちょっと恥ずかしくなった。 なんで僕はこんなにもあの花を気にしてしまっているのだろう。 あの花が枯れたら僕は自分が死ぬとでも思っているのだろうか? 花ごと落下する花にいつの間にかそんな幻想を抱いてしまった? 僕は否と思う。そんな心配をしているわけではないんだ。 じゃあ、僕は何を気にしているのだろう? 「リア、病院にアクセスしないんですか?」 ハルヒトに言われて僕は慌てる。 「あ、今からする」 毎日の日課なのに忘れかけていた。 僕は病院にアクセスした。いつものように菅野先生が画面に映る。 『やあ莉亜君、今日も調子が良さそうだね』 「はい」 僕はいつものように先生と会話しながら考えていた。花を送った先生。何故あの花を僕に? 僕はそんなよけいな事を考えながら受け答えをしていた。 そしていつの間にか時間がすぎ先生が言う。 『じゃあ、また明日』」 先生が通信を切ろうとした時、僕は先生を呼び止めた。 「あの、先生」 そんな僕を先生が驚いたように見つめる。 『なんだい?』 やさしく微笑みながら言う先生に、僕はドキリとする。 先生が画面の向こうで長めの髪をかきあげる。 「あの、なんで僕の部屋に花を贈ってくれたんですか?」 その問いに一瞬先生は目を見開く。そしてまたニコリと微笑んだ。 『ああ、莉亜君の部屋には植物がないようだったから、心が和むかと思ったんだ』 「でも、なんで椿なんですか?」 その問いに一瞬先生は目を細めた。けれどいつもの表情に戻ると言う。 『僕の好きな花だったんだ』 その言葉にドキリとした。好きという言葉に心臓が早くなる。 「その花を何で僕に?」 僕は不自然なほど緊張しながら聞いた。 すると先生は机に手をつき、画面の向こうから僕を覗き込むようにして言った。 『ああ、君の事も好きだからだよ』 その言葉に僕の体が熱くなった。ドクドクと心臓が脈打つ。 (ダメだよ、動揺しちゃ。データを見られたら僕の心拍数とかバレちゃうんだから!) 僕は必死に自分に言い聞かせる。すると先生はやさしく微笑むと言った。 『じゃあ、また明日』 僕はもう呼び止める事は出来なかった。 通信を切ったあとで僕は横にいるハルヒトに声をかける。 「ハルヒト、何か飲み物をもらえる?」 僕は額の汗を手で拭った。動かす時に腕に繋がれたケーブルをちょっと邪魔に感じた。 「何が良いですか?」 「うーん、冷たいもの、あ、炭酸水があったよね?」 「了解しました」 そう言うとハルヒトはこの部屋から出ていった。 僕の住むマンションの部屋は2Kだ。だから用があればハルヒトはこの部屋から出ていく。 けれど僕は一日中、ずっとこの部屋のこのベッドに繋がれている。 もちろんトイレやお風呂に入るためには部屋の外に出る。 でもそういう時以外、僕はずっとこのベッドの上にいる。 キッチンなんてもう何年も入っていない。自分の家なのにね。 両親との別居を望んだのは僕だった。高等通信学校に入る時に申し出た。 自立するなら早い方がいい。そう考えたからだ。大概親に甘えた子供は腐っていく。 過去の歴史がそう教えてくれている。 しばらくするとハルヒトが戻ってきた。彼はお盆に載せた炭酸水を僕に差し出す。 ストローに口をつけて僕はそれを飲む。 「うん、冷たくておいしいね」 僕はハルヒトに向かって微笑んだ。するとハルヒトも微笑み返す。その笑みに僕はまたドキリとした。 感情のない笑顔のはずなのに、絶妙なタイミングで微笑み返されるから僕は堪らない気持ちになる。 「君が人だったら良かったのに」 僕はつい呟いていた。 「何故ですか?」 「何故って・・・」 僕はちょっと困って俯く。 何故だって?ここで感情があれば僕がそう願った事にハルヒトは感動さえしくれるだろうに。 感情がないハルヒトはこうやって僕に無神経に聞き返す。 「君が人だったら僕と同じだから、さ・・・」 ハルヒトは困惑した表情を浮かべる。 「リアと同じでは、私は仕事が出来なくなります。私は、あなたのお世話をするために存在するアンドロイドです」 「・・・・・・」 僕は何も言えなかった。 「そうだね、その通りだよ。君は僕のために存在するアンドロイドなんだ」 言いながら僕は泣きたくなった。僕はハルヒトに感情を求めている。 昨日、感情なんかない方が良いと思った。そう、多くのアンドロイドに対してはそう思う。 でもアンドロイドではなく、ハルヒトには、僕が名づけた春人にだけは感情が生まれて欲しかった。 そんな絵本の物語のような奇跡を僕は願っていたんだ。 僕は自分の顔を押さえた。そして静かに泣いた。 「リア、どうしました?どこか痛みますか?痛み止めを用意しましょうか?」 僕は黙って首を振る。 「眠いんだ・・・」 僕はそう言うとハルヒトを黙らせた。そして目を閉じ、これ以上泣かないように勤めた。 何時間か僕は本当に寝てしまっていた。目が覚めると最初に花を見た。 椿の花はまだある。そしてハルヒトの姿を確認し、そして窓を見た。 窓の外の空は暮れ出していた。立ち並ぶ高層マンションの間に太陽が沈んでいく。 そしてオレンジの光がやわらかく僕のベッドに差し込む。 「もう夕方なんだね」 「はい」 事務的にハルヒトが答える。 「そろそろ夕飯の時間でしたので、ちょうど起こす所でした」 その言葉に僕は苦笑する。 「やさしくないよね」 普通、人だったらこのまま寝かせておいてくれるんだろうけど、 ハルヒトは決められた時間を守るように出来ているから、そんな気は遣わない。 ピピピ! 小さな電子音に僕は気付いた。これは誰かがアクセスしてきた時に出る音だ。 僕はリモコンの画面を見る。アクセスしてきている人間の名前が表示されていた。 「増岡キシム」 その名前に僕は驚いた。心臓がドキドキと早くなる。僕は悩む事もなく通信を繋ぐ。 スクリーンに増岡の顔が映し出された。増岡は昨日と同じように髪をつんつんと立てている。 勝気そうな瞳が思ったより大きい。そんな事を考えていると増岡が口を開いた。 『よー、初めましてでいっかな?』 「あ、ああ、こんにちは」 僕はしどろもどろに挨拶を返す。 『なに?なんか泣いてた?』 僕はギクンとしながら誤魔化す。 「あ、寝てたんだ。ごめん」 『ああ、そっか、今日休みだったけど、具合悪かったってこと?』   その言葉に僕は軽く首を振る。 「元々、週に3回しか授業には出てないんだ」 『へー、そうなんだ』 「うん」 答えながら僕は彼の事を考えた。何で増岡は僕にアクセスしてきたのだろう? 増岡は画面の奥で机に頬杖をつく。 『授業をどれ位受けるかって、人それぞれだけどさ、あんたは病気であんまり受けてないの?』 僕は答えなかった。すると増岡が勝手に話し続ける。 『俺はたまにサボるんだ。気分が乗らないとね。 あと好きじゃない、合わねーって思った先生の授業もカットだね。 でも、まあ、授業を受けてるヤツって言うのは基本的に真面目に出席してるよな。 義務教育じゃないんだから、わざわざ授業を聞きに来てるってヤツは 勉強しようっていう向上心があるヤツだもんな』 僕は彼の言葉のすべてを黙って聞いていた。そして彼の言葉がとぎれた時に僕は口を開いた。 「なんで、僕に連絡を?」 すると増岡は一瞬目を細めた。そしてすぐにニヤリという感じで笑う。 『ああ、昨日、初めてあんたの顔見てさ、アンドロイドかと思ったから』 「え?」 僕は驚いた。驚いて言葉が何も出てこなかった。 口をただパクパクとさせてしまう。すると増岡は頬杖をついたままで楽しそうに笑う。 『お、なんだか、意外に人間ぽいな』 「に、人間だよ。僕は人だよ」 僕は掠れた声で言った。すると増岡は微笑んだまま続ける。 『うーん、まあ、それは置いておいてさ。 昨日あんたを見た時には、本当にアンドロイドが混ざってるって思ったんだよ』 「僕はアンドロイドじゃない」 僕は強く否定した。けれど増岡は僕を無視して話し続ける。 『その外見だよな。その顔。アンドロイドってさ、みんな無個性の美形が基本じゃん』 「僕の顔?」 『ああ、お前はよくあるアンドロイド顔だと思ったんだ。整っていて従順そう。 言いつければ何でもしそうな顔だ』 「失礼だよ!」 『それに無口で地味だったしな。あの授業にずっと出てたのに、昨日初めてお前の声を聞いて顔を見たよ。 他のヤツは何か発言した時に顔を見てたけど、お前は初めて見た。しかも『え』のたった一言』 「それは、そうだけど・・・」 『俺はてっきり言語能力の悪いアンドロイドが混ざってるって思ったんだよ』 「どのアンドロイドも言語能力は高いよ」 『ふーん』 呟いて増岡はじっと僕を見た。 『お前、アンドロイド、持ってるの?』 僕は黙り込んだ。アンドロイドはまだまだ個人に一個の時代ではない。 彼はアンドロイドに興味があるのだろうか。 『お前が今いるのってベッドだよな。元々病気で授業もあまり受けていない。 つまりお前には介護用のアンドロイドがついている。違うか?』 彼は頭が良い。僕はそう気付いた。これ以上は否定しても意味がないと思った。 僕は溜息をつきながら言う。 「そうだよ、僕にはアンドロイドの友人がついている。でもだから何だって言うの?君に何か関係がある?」 その答えに増岡は瞳を輝かせた。 『やっぱ、そうか。なーじゃあアンドロイドと会話させてよ』 「何で?ただの興味本位?アンドロイドはおもちゃじゃないんだ。 僕にとっては大事なパートナーだ。君の意図もよく判らないのに会話させるのは嫌だよ」 その僕の言葉に増岡は意外な事を口にした。 『俺、ロボットロジーの道に進みたいんだよ。俺は感情があるアンドロイドを作りたいんだ』 「え?」 増岡の言葉に僕は呆然となった。思考がおいつかなかった。 『大昔、ロボットロジーは移動する足、作業する手、意識ある脳の3要素を備えたロボットを造ることを目指してた。 そのうちの二つは簡単にクリアした。この世界に残された問題は脳だけだ。 思考するアンドロイド。それを俺は自分の力で作り出したいんだ』 その増岡の言葉に僕は疑問を口にする。 「でも今の世の中ではそれは禁じられているんじゃないの? 人が人の人格とも言えるものを作る事は倫理観に反する事だ。しちゃいけない研究だよ」 その言葉に増岡は僕を睨んだ。 『お前さ、それを本当に守る科学者が居ると思うか?行き着く先は決まってるじゃないか? 人間と同じものが作りたい。感情を作りたい。それだけじゃないか? その欲求、欲望を抑えられる科学者は少ないよ。金とか禁止されているとか関係ない。 人間っていうのはそう生き物なんだよ。特に科学者はさ!』 その言葉に僕は反論出来なかった。何故なら僕だってそう思う。 科学者とはそういう物だと。 そして僕だってハルヒトに感情が欲しいと思ってしまっている。けれど・・・。 「君は僕のアンドロイドと話してどうしたいの?会話のデータを取るの? そしていずれは会いたいって言うの?そして僕のアンドロイドをバラバラにしてその仕組みを見て、 君の研究のために利用するの?」 僕の言葉に増岡の顔が変わった。 「アンドロイドは個人で買うには高すぎる。だから僕のアンドロイドを利用しようと考えたんだね。 でも僕は嫌だよ。大事なパートナーを君のように危険な思想の人には会わせたくない」 増岡はずっと黙っていた。下唇を噛み締めている。 僕はもう通信を切ろうと思った。その時、増岡が顔を上げて強い瞳で言った。 『妹が居るんだ。でも事故で植物人間になった。脳だけが死んでしまったんだ。 でも体は生きてる。だから、脳さえ作り出せれば、妹は生き返る事が出来る。 これってアンドロイドに感情を作り出す技術が出来れば可能だと思わないか?』 白い部屋5 「莉亜ちゃんに愛の告白をしたんだって?」 その小野寺の言葉に菅野は苦笑する。頭をポリポリとかきながらポツリと呟く。 「愛の告白っていうのはちょっと違うだろう。このスポーツが好き、ケーキが好き、 そういったものに近い感情だよ」 小野寺は壁に寄りかかる。 「ケーキと一緒にするのは失礼だろう?莉亜には感情があるんだから」 その言葉に菅野はビクンと反応し、顔を青くする 「・・・そうだな、うん、ちょっと失言だった」 真面目に反省して俯く菅野に小野寺は苦笑する。 「まあ、いいけどさ。彼はどう受け取ったんだろな」 「どういう意味だ?」 顔を上げる菅野に小野寺は言う。 「莉亜からしたら男の自分に男のお前が告白したんだぜ?心中複雑なんじゃないの?」 その発言に菅野は慌てて手を振った。 「ちょ、ちょっと待ってくれよ。僕はそういう意味で言ったんじゃないんだ。 僕からしたら彼には性別なんかないんだ」 「男でもあり、女でもあるってか?」 菅野は困ったように言う。 「第一僕にとっては研究対象なんだし・・・」 小野寺は白衣のポケットからタバコを取り出す。 「その研究対象に好きなんて言っちゃうなんてさ、それも研究のための布石?」 「ち、違うよ・・・」 困ったように呟く菅野から視線を移し、小野寺はタバコに火をつけた。 僕の部屋6 目が覚めると僕は花を見る。赤い椿。清楚な花。 今まではなんとなく目がいっていた。けれど今日は違った。僕は深くいろんな事を思いながらその花を見つめた。 先生がくれた花に意味はないんだろうか? 「おはようござます、リア」 「ああ、おはよ」 僕はいつものようにハルヒトに挨拶をしてから、病院にアクセスする。 なんだか今日は先生の顔を見るのにドキドキした。リモコンを持つ手が少し汗ばむ。 画面に映る先生に僕は緊張しながら言う。 「おはようございます」 その言葉に先生はやわらかく微笑む。 いつもと変わらない笑顔だ。僕は平静を装って先生と会話を続けた。 「ふーー」 通信を切って溜息をついた僕にハルヒトが声をかける。 「調子が悪いのですか?」 僕は額に手を当てたままで答える。 「違うよ、なんか考え疲れちゃったんだ」 「考え疲れた?」 「うん・・・昨日からずっと考える事がいっぱいあって」 「私にアドバイス出来ることなら話して下さい」 僕はハルヒトを見つめる。ハルヒトが青い目でじっと僕を見つめている。 「うん、でも統計とか計算で出るような答えじゃないんだ」 「感情という物がないと判らないって事ですね?」 「うん」 僕は目を閉じて考えた。 アンドロイドに感情があるかのように、人に感じさせる事は可能だ。 例えばアンドロイドに人が恋をしたとする。 相手にも同じように自分を想って欲しいと考える。だったらこうすればいいんだ。 「僕が君を好きだと言ったら、君は必ず私もですって言うんだよ。 その時に一緒に微笑むことも忘れちゃいけない」 そう教え込んで学習させれば良い。 でもそれは感情ではない。まっとうな人間ならすぐそれに気付く。 自分のした事の虚しさに、絶望を感じるだろう。 僕や増岡が望んでいるのはそれではない。本当に感情が欲しいんだ。 増岡の求める妹。その人格を作り出す事は可能か? 僕はそれは可能ではないかと思う。 最初にアンドロイドと同じように人工知能を作る。 その中に妹の記憶を入れれば良いんだ。 性格も過去のデータがあればある程度再現できる。 人工知能が、ある事態や状態の時に、その人格に一番ふさわしいと思う言葉や行動を選択するだろう。 けれどそれは感情と呼べるのか? やはりただの学習と推論と判断の人工知能でしかないんじゃないか? そんなのは感情ではない。感情じゃ・・・。 今日は授業の日だった。 僕は授業を聞きながら画面に先生と増岡の顔を映し出していた。 増岡とは時折、二人だけで授業中にも会話を交わした。 内容は先生の発言や、生徒の質問についてだった。アンドロイドのことには触れなかった。 授業が終ってすぐに、増岡からアクセスがあった。僕はすぐに増岡と通信を繋ぐ。 「やっぱり僕のアンドロイドに興味があるの」 その僕の問いに彼は怒ったようにぶっきらぼうに言う。 『別にお前のアンドロイドをどうにかしようって気はないよ。今の俺には技術も知識も足りない。 将来なんとかしたいとは思ってるけど今は勉強する以外に道はないからな』 その言葉に僕は少し驚いていた。だって彼は見た目の粗暴さとは違い、考え方はしっかりしている。 『ただ俺は実際アンドロイドと話した事がない。そりゃカタログや展示会で見てはいるさ。 でも営業用じゃない、本当のアンドロイドに俺は会って話してみたいんだよ』 僕はじっと彼を見ていた。大きな強い瞳が真っ直ぐに僕を見ている。 「ハルヒト」 僕はハルヒトを呼んだ。そしてリモコンを使いカメラをハルヒトに向ける。 僕はスクリーンに映したハルヒトと増岡を見つめる。 「彼が僕のパートナー。ハルヒトだよ」 画面の奥の増岡は僕をかけらも見ずに、じっとハルヒトを見ている。 彼が緊張しているのがわかった。 『お、俺は増岡キシムっていうんだ。よろしくハルヒト』 よろしくなんて僕には言ってくれなかったな。そう思いながら僕は二人を見つめる。 するとハルヒトが口を開く。 「はじめまして。ハルヒトです」 『あ、ああ、リアの介護用アンドロイドだろう』 画面の中のハルヒトが僕を見た。彼は僕に判断を仰いでいるんだ。 情報はどこまで開示していいかと。 アンドロイドはパートナーの言いつけは必ず守るように出来ている。 倫理的に許されない発言以外は必ずパートナーに従う。 倫理的って言うのは殺人や強盗など犯罪に繋がるようなことや、 子供を殴ってはいけないという道徳的な事だ。 それらはパートナーが教えるまでもなく、もともと組み込まれて作られている。 だからそれ以外の事を状況に応じてパートナーの指示に従いアンドロイドは行動する。 この場合ハルヒトは僕との関係を話しても良いのか、 僕が秘密にしたいと思っているのか確認をしているんだ。 僕は頷いてハルヒトにだけ音声を送る。 「いいよ。僕は内緒にしたい事なんかないから、教えてあげて」 その言葉にハルヒトは増岡に視線を向ける。 「はい、私はリアの介護用アンドロイドです」 返事が遅いので増岡がいぶかしんでいる。その不慣れな様子がおかしくて僕は少し微笑む。 『二人で生活してるのか?』 「そうです」 増岡が画面の奥から僕の顔を見る。 『リアって我侭じゃない?』 「我侭?」 『お茶持ってこーいとか、せっかく持ってきたのにこんな物飲めるか?!なんて叫んだりしない?』 「それは普通にある事です。それを我侭と言いますか?」 『え?』 僕はクスクス笑った。 増岡が困ったように僕を見つめる。 『なんかこいつ、思ったより頭の回転が悪いな』 僕は苦笑する。 「そういうものだよ。別にハルヒトは頭が悪いわけじゃないよ。彼は計算や分析は得意だよ。 例えば宇宙にある隕石が地球に落下する時間、速度、被害状態なんかは九九でも言うようにスラスラ話すよ。 知識は十分にあるんだ。でもユーモアは理解してない。気を遣うことも出来ない。 だって感情がないんだもの。どう?わかる?」 増岡は真剣な顔で僕を見ていた。 『これが感情がないって事か・・・』 言いながら増岡は再びハルヒトを見た。 『見た目は人と変わりないのにな』 僕は胸の中に少しの淋しさを感じながら頷いた。 「仕方ないよ。それがアンドロイドだ」 増岡は僕の顔を見て言った。 『お前、そいつに感情が欲しいって思ってるんだろ?』 「え?」 僕は驚いて口を開ける。 『見てればわかるよ。お前はアンドロイドに愛情、友情の感情を抱いてる。 冗談を言い合いたいと思ってる。夢を語り合いたいって思ってる。 でもそれが出来ない、それが淋しいんだろ?』 僕は答えられない。けれど彼は話し続ける。 『お前と俺の望みは一緒だな。そうだろ?じゃあ、俺達の未来のために、俺達友達になろうぜ』 白い部屋6 菅野が唇に手を当てて考え込んでいると、ドアが開けられた。 「お疲れー、ちゃんと働いてるかー?」 いつものように軽く挨拶をする小野寺を、菅野は真剣な瞳で見つめた。 「おや、どうかした?」 その言葉に菅野は顔を上げる。そして左手でキーを操作してデータを画面に映し出す。 「今日、リアにアクセスしてきた人間がいる」 「誰?」 「同じ授業を受けている子供だよ」 「子供?子供が連絡してきた位で何をそんな不機嫌になってるんだよ?」 菅野は青い顔で答える。 「莉亜に向かってアンドロイドじゃないか、なんて言い出した」 「それはそれは・・・」 「アンドロイドに興味があるんだよ」  タバコを取り出しながら小野寺は軽く答える。 「子供はみんなそうさ」 火をつける寸前で菅野がタバコを奪い取った。そして顔を近づけて小野寺に言う。 「脳死した妹を人工知能で蘇らせたい。それが彼の望みだ」 小野寺は息を吸い込んだ。 「なあ、僕達にすごく似ていないか?彼を送り込んだのは君か? 君が新しいデータでそう仕組んだのか?!」 その問いに小野寺はまっすぐに菅野を見つめた。 「俺は・・・何もしてないよ、何も知らない、偶然だ・・・」 菅野はただじっと小野寺を見つめていた。 僕の部屋7 僕は目が覚めると花を見た。椿の花は今日も美しかった。 僕は花を見て思う。何故、花が気になるのか、花が美しいのか。 それはきっと生身の美しさが僕を惹き付けるんだ。 やがて花が枯れる事を知っているから、だから僕は毎日花を見る。 もしも花がずっと枯れずに残るものならば、僕はこんな風に気にしたりしないのだろう。 限りがある事を知っているからこそ、僕は花のその短い命を確認せずにはいられない。 その美しさを称えないではいられない。つまりはそういう事なんだと思った。 「おはようハルヒト」 「おはよう、リア」 今日も美しく微笑むハルヒト。けれどこの笑顔は永遠に変わらない。 アンドロイドだから。生身ではないから。だから僕はきっとハルヒトより先に花を見るのだろう。 花は見られる期限が限られているから。 僕はいつものように病院にアクセスする。 『おはよう、莉亜君』 「おはようございます」 言いながら僕は気付いた。菅野先生の元気がない? 『どうかした?』 僕に先生が聞く。どうしたのと聞きたいのは僕の方だ。 「あの、先生なんか元気がないですか?」 その問いに先生がビクリと震えた。 『そう見える?』 僕は黙って頷く。すると先生は額を手の甲で押さえて俯く。 「あの、先生具合が悪いんですか?だったら無理しないで休んで下さい」 その言葉に先生は顔を上げて僕を見つめた。 『僕の心配をしてくれるなんて、やさしいね』 そう言うと先生はそっと微笑む。 『でも大丈夫だよ。何でもないんだ』 そう言うと先生は僕の状態をチェックしだした。 『体調はよさそうだね』 「はい」 『莉亜君、昨日・・・』 「はい・・・?」 僕がじっと見つめていると先生は目を伏せた。そして再び微笑む。 『なんでもない。今日も良い一日を』 「はい・・・」 僕はそう答えて先生との通信を切った。 白い部屋8 小野寺が部屋に入った時、菅野は画面を見つめ、データをずっと読んでいた。 「なんだか今日はずいぶんピリピリしてるな」 菅野は振り向かずに答える。 「昨日のデータをチェックしているんだ」 「そりゃ見れば判るよ。毎日してるじゃないか?」 菅野は画面を見たまま答える。 「いつもそうだった。僕達は一日前の莉亜の状態を見ていた。莉亜の一日を見ていた」 「ああ・・・そうだ。ヘタに干渉しないように常に一日前の過去を覗き見ていた」 「僕は今日はこのデータを見たら、リアルタイムで莉亜の生活を見ようと思う」 その言葉に小野寺は眉を顰める。 「おい、それじゃ、観察にならないだろう?」 その言葉で初めて菅野は振り向いた。いつにない強い、鋭い瞳で小野寺を見て言う。 「僕は間違っていたんだと思う。観察なんかじゃダメだ。 ちゃんとついていて愛情をかけてあげるべきなんだ」 「それはまた別の課題だ。まだ早い」 その言葉に菅野は立ち上がった。 「まだ早いって?!莉亜は、この莉亜は一人しかいないんだ!」 詰め寄る菅野に小野寺はクールに言う。 「ああ。この莉亜は一人しかいないな。でも他の莉亜ならいる。いくらでも代わりはいるんだ」 その言葉に菅野は拳を握り締める。 「僕は莉亜の事が好きだ。大事だと思う。その莉亜が危ないかもしれない。 あの増岡という少年は危険だ。莉亜の事を壊してしまうかもしれない。僕はそれを阻止したい」 必死に言う菅野に小野寺は冷淡に言う。 「勝手な事はするなよ。今回の実験にそんな干渉は許されない」 その言葉に菅野は唇を噛み締めた。 僕の部屋9 「今日の先生はヘンだったね」 その僕の言葉にハルヒトは答える。 「外見だけの情報しかありませんから何とも言えませんが、通常より血色が悪いようでした」 「そうだね・・・」 言いながら僕は枕に頭をつける。 「何かあったのかな?」 僕は先生を心配しながら椿の花を見た。先生が贈ってくれた花はまだ咲いている。 僕は椿を不吉な花だとハルヒトに説明した。でも僕はその椿を見て綺麗だと思った。 薔薇よりは地味で、ちょっと古風な感じがする。けれど気高く凛としていて人を惹き付ける。 「ねえ、ハルヒト」 「はい」 「その椿の花瓶を貸して」 ハルヒトは僕の指示に従って、小さな棚の上にあった花瓶を取ってきた。 僕はその花瓶を受け取り椿の花に指先を触れた。 「あ!」 僕は慌てて指を引っ込めた。 「どうしました?」 ハルヒトが聞く。 「ピリってした・・・」 そう言った瞬間、僕の中に映像が浮んだ。この映像はなんだろう?空が見えた。 青い空だ。僕は下から空を見上げている。風が吹いた。僕の体を揺らす風だ。 雨が降った。僕はその雨を浴び続けた。気もちが良い。汚れが落ちていく。命が漲っていく。 太陽を見た。眩しい。日差しはもうちょっと弱い方が良い。 どちらかと言うと僕は冬の季節の方が好きだ。体が動き出しそうにうずうずする。 映像が変わった。 白い壁が見えた。その内側に更に透明なビニールの壁、いや、カーテン。 そのカーテンの向こうで誰かが僕に話しかけている。貴方は誰?聞えないよ。 その人がもう一度話す。今度は聞えた。兄だと言っている。兄?お兄ちゃん。僕のお兄ちゃん。 「リア?」 呼ばれて僕は正気に返った。 「ハルヒト?」 隣で僕を見つめているハルヒトに気付く。 「どうしましたか?」 「どうか、したか?」 僕は考えながら首を振った。 「わからない」 今のは記憶だろうか?いつの記憶?なんの記憶?僕がまだ発病する前の記憶だろうか? じゃあ兄とは何だろう?僕には兄がいた?考えたが思い出せなかった。 「リア、通信が入っています」 ハルヒトの冷静な声に僕はリモコンを見た。増岡がアクセスしてきていた。 僕はすぐにスクリーンを出し増岡と通信を繋ぐ。 『よー、暇だから遊びにきたよ』 そう言う増岡を僕は見つめた。すると増岡が眉を顰めて怪訝な顔をする。 『なんか、今日は具合が悪そうだな』 「そう?」 僕に自覚はなかったが増岡は頷く。今見た記憶のせいだろうか? 『えっとさ・・・』 増岡は困ったような微妙な顔をしながら頭をかいている。 『病気の事とか聞いたら気分を害しそうだけどさ、お前ってなんて病気なの?』 「言っても判らないよ」 『そりゃそうかもしんないけど。今、判んなくても後で調べれば判るし』 「調べるの?」 僕が聞き返すと彼は更に困ったような顔をした。僕はなんだかその顔にむっとした。 「何で僕の事を調べるの?それにそう、調べるのは病気のことだけ? もしかして僕個人の情報をすべて調べるつもり?」 その言葉に彼は眉を顰める。僕はそんな彼に更にイラつく。 「僕は君が興味があるのはハルヒトの方だと思ってた。アンドロイドに興味があるんだって。 病気の妹のためだって。でも僕の事に興味があるなら別だ。 僕は自分のプライベートを勝手に調べられるのは嫌だ。 僕に直接聞くならともかく、陰でこそこそ調べられるなんてされたくない!」 僕がきつく言うと彼は怒ったのか、鋭い視線で僕を見つめた。 『俺が興味があるのはあくまでアンドロイドだよ。しかも最新のさ』 僕は彼の言葉の意味が判らず黙り込む。 『俺が知りたいのはアンドロイドがどこまで進化してるのかだ。お前の事が知りたいのだってそのためだ』 「僕の事とアンドロイドの進化と何の関係もないじゃないか?」 僕が言うと増岡は眉を寄せた。そして一拍置いてから言った。 『お前、アンドロイドじゃないのか?』 「え?」 僕は予想外の言葉に瞬きをした。 「なんで、僕が・・・」 増岡は画面の向こうでまた頭をかく。 『だって、最初に言ったじゃんか、お前のルックスはアンドロイド的だよ。標準的美形。見てて心地良い顔』 「顔・・・」 僕はそっと自分の顔を手で触れた。 『それになんかお前と話してると普通の人間て気がしないんだよ』 「え?」 僕は更に驚いて彼を見つめる。増岡は更に髪をかき乱し、グシャグシャにしながら言う。 『話し方って言うか、訛りって言うか、とにかく他とは違う何かを感じるんだ』 「訛っている?」 僕は一度も自覚した事がない。 『だから、お前は最新式のアンドロイドじゃないかって思ったんだよ・・・』 僕の変化に気づいてか彼の言葉はだんだん小さくなった。 「僕は・・・」 喉が詰まる。苦しい。 「僕は人間。ヒトだよ・・・」 言いながら言葉がつかえる。僕は人間?本当に?僕はアンドロイドではないのか?僕は・・・。 「僕はヒトだよ。君と同じヒトだ!」 僕はそう叫ぶと一方的に通信を切った。 画面が黒くなった。そして自動的にスクリーンがしまわれる。 僕は胸を押さえた。苦しい。なんだか判らないが苦しい。 「リア、大丈夫ですか?」 ハルヒトが僕の顔を覗きこんで声をかける。僕はそんなハルヒトを見つめる。 そして自分の顔とハルヒトの顔を比べる。僕達は言われてみれば似た系統の顔だ。 僕がハルヒトの顔を選んだんだから自分に似せたのだと思っていた。でももしかしたら違うかもしれない? 「リア、安定剤を」 そう言って針を僕に刺そうとするハルヒトを僕は止める。 「大丈夫だよ。それより水をくれないか?」 「はい」 ハルヒトは水を取りに部屋から出ていった。 暫くして戻ってきたハルヒトから水を受け取ると、僕は一気にそれを飲んだ。 水を飲むと僕は少し落ち着いた。体も心も少し楽になった。 ただの水の、けれどすごい力。僕は暫し空になったコップを見つめていた。そしてハルヒトを見つめて聞く。 「ハルヒト、ナイフを一本用意してくれないか?」 けれどハルヒトは首を振った 「それは出来ません。ナイフはリアには渡せない決まりになっています」 自殺予防のためだと僕は気付く。 「別に僕は自殺したいわけじゃないよ。ただナイフが欲しいんだ」 僕はもう一度言った。けれどハルヒトは冷たく答える。 「許可できません」 「そう・・・」 僕は呟くと側に置いていた椿の入った花瓶を見つめた。 「じゃあ、水をもう一杯もらえるかな?」 今度はハルヒトは頷いた。そしてドアから部屋を出ていく。 僕はそれを確認してから花瓶を手にした。それはガラス製の花瓶だった。 僕はその花瓶から椿を抜くと花瓶を床に叩きつけた。 ガシャン! 割れて光る七色の破片を手に取ると、僕は椿の花を掴んでいた自分の腕に当てた。 「リア?ガラスを割りましたか?」 ハルヒトが戻ってきた。僕は彼を見ないで手に力をこめた。 「リア!」 ハルヒトが叫ぶ。ハルヒトが駆け寄る足音。 痛い。 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。 僕は流れ出る血を見つめた。そう、血が出ている。アンドロイドは血が出ない。じゃあ、僕は人間? 「リア!何をしてるんですか?!」 ハルヒトがすぐに僕の手からガラスを取り上げた。 僕はハルヒトを見ながら呟いた。 「良かった。血が出てる、僕はアンドロイドじゃない。僕はヒトなんだね・・・」 言いながら何故か僕の頭がふらふらした。 おかしい。たったこれだけの血を出しただけで、僕は意識を失いかけている? 「リア?」 僕はもう一度ハルヒトを見た。彼の顔が少しぼやけている。そして気付いた。 彼が僕から取り上げたのはガラスではない。彼が僕から取り上げたのは椿の花だ。 椿の花を何故? そう思っていると、ハルヒトが持っていた椿の花が首から取れて、音もたてずに床に落下した。 床には割れた花瓶と機械の破片、それに椿の花があった。 「あ・・・・・・」 その時、ドアが開く音が聞こえた。 「莉亜!」 叫んで走りよってくる人を、僕は見た。あれは菅野先生。 そしてもう一人、ドアから誰かが入ってきた。あれは?あれは・・・。 「兄さん・・・」 僕は呟いて意識を失くした。 白い部屋9 「莉亜は?」 聞かれて菅野は答える。 「眠っているよ」 その言葉に小野寺はタバコを取り出す。 「そうか・・・」 菅野は憔悴した顔で小野寺に言う。 「せっかく上手くいっていたのに・・・」 「そうだな・・・」 その言葉に菅野はドンと机を殴った。 「そうだなじゃないよ!これで莉亜にはもう会えない!あの莉亜はもう居ないんだ!」 「・・・そうだな」 冷淡に小野寺は答える。 「君は何でそんに冷静なんだ?!いや、そもそも増岡を近づけたのも君の仕業だろう?! なんであんな事をするんだ?せっかく上手くいってたのに!」 小野寺はタバコの煙を吐き出しながら答える。 「お前はあの莉亜が気にいっていたからな。だからそんな風に怒るんだ」 「・・・そうだよ。僕は莉亜が好きだった。もともと椿の花は好きだったんだ。 そしてあの莉亜の性格も僕は気にいっていた」 小野寺は頷く。 「確かに、莉亜はいい子だった。でもそう、本物はあんな性格じゃなかったんだよ・・・」 その言葉に菅野は黙り込んだ。 「あの子の体は脳死した俺の弟のものだ。俺が欲しいのは弟の生まれ代わりだ。 でも本物の弟はあの莉亜とはぜんぜん違う性格だった。 俺は出来る事なら弟と少しでも性格の似ている子が欲しいんだよ」 菅野は憔悴した顔で溜息をつくように言う。 「植物に感情があるという僕の研究に、ロボットロジーの第一人者である君が賛同してくれた時は本当に嬉しかった。 君がAIでは決して生まれない感情を、植物を使ってヒトの体に入れようと話した時には感動したんだよ。 同じチームで研究が出来る事を嬉しいと思った。でも、今回のこれは酷いよ・・・」 そう言う菅野の肩を小野寺は叩く。 「そんなに落ち込むなよ。莉亜は死んだわけじゃない。また新しい莉亜は生まれるんだ」 小野寺は励ましたようだったが、菅野の心は救われなかった。 「植物にはそれぞれ心があるんだ。入れ物のリアが残っていても、もうあの莉亜には会えないんだよ」 そう言うと菅野はそっと涙を流した。 僕の部屋10 僕は目を覚ました。気分がすごく良かった。僕は寝たままの格好で辺りを見渡した。 するとすぐ側に花が飾られている事に気付いた。 僕はその花をじっと見つめた。 あれは、あの花は向日葵だ。 太陽に向かって咲く花。黄色の眩しい花。その向日葵の花が僕の部屋に飾られている。 なんだろう?僕は何故かその花から目が離せなかった。 「おはようございます。リア」 僕は声のした方を見た。 「おはよう、ハルヒト」 彼は僕の世話をする介護用アンドロイドだ。僕はリモコンでベッドを起こしながら言う。 「なんだかヒドクお腹が空いたな。なんだかいっぱい寝ていたような気がするんだ」 「そうですか?」 「うん、あ、そーだ、病院にアクセスしなきゃね」 僕は言いながら微笑んだ。 なんだか生まれたてのようにワクワクしていた。楽しい事が待っていそうなそんな予感。 「おっはよーございます。先生、今日も楽しく良い天気ですねー」 僕の言葉に、菅野先生が少し淋しそうに微笑んだ。 僕は疑問に思いながらも話し続けた。 早く元気になりたいと思った。 早く遊びに行きたいと思った。 早くこの体に馴染みたいと思った。 馴染む?あれ?馴染むってなんだろう? けれど僕は細かい事を考えるのはやめた。 悩んだって仕方がない。 こうやって生きているだけで幸福なんだから。