名作、『走れメロス』のパロディ。文体そのまま中身は競馬。  メロスは馬券を握りしめた。必ず、有馬記念は勝たねばならぬと決意した。メロスには博打がわからぬ。  メロスは、村の賭博師である。酒を呑み、競馬に入れ込んで暮らしてきた。けれどもギャンブルに対しては、人一倍敏感であった。  きょう未明、メロスは村を出発し、野を越え山を越え、十里離れたこのシラクス競馬場にやってきた。  メロスには父も、母もない。女房は……いたけど逃げられた。十六の、パチプロの妹と二人暮らしだ。この妹は、競艇選手になるため、近々、本栖競艇学校の入学が決まっていた。入学式も間近なのである。  メロスはそれゆえ、学費やら旅費やらを稼ぎに、はるばる競馬場にやってきたのだ。  まず、1レースは『2-4』を五千円買い、それからメインスタンドに向かってぶらぶら歩いた。  メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今はこのシラクス競馬場で予想屋をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねていくのが楽しみである。  歩いているうちに、メロスは競馬場の様子を怪しく思った。ひっそりしている。  もうすでに1レースの発売は締め切って、発走前の緊張感が漂うのは当たり前だが、けれども、なんだか、そればかりでなく競馬場全体がやけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になってきた。  オッズモニターの前にいた若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年前にこの競馬場に来たときは、最終レースが終わっても延々と能書きを垂れるジジイがいたり、白タクの呼び込みがいたりと、競馬場は賑やかであったはずだが、と質問した。  若い衆は首を振って答えなかった。  しばらく歩いて老爺に逢い、今度はもっと、語勢を強くして質問した。  老爺は答えなかった。  メロスは両手で老爺の体を掴み、コブラツイストで固めて質問を重ねた。 「何があったんじゃコラ、言わねぇと死ぬぞ」  老爺はメロスの腕を二度叩いてギブアップの意を示し、ようやく技を解かれた。そうして、あたりをはばかる低声で、わずかに答えた。 「王様は競馬をします」 「なぜ競馬をするのだ」 「競馬で稼いで国を豊かにする、というのですが、的中したことはございませぬ」 「たくさんのレースに手を出したのか」 「はい、はじめは桜花賞を。それから、皐月賞を。それから、ダービーを。それから、ジャパンカップを。それから、菊花賞を。年末には、有馬記念を」 「おどろいた。私と同類ではないか」 「しかし買うのは配当一万円を超える大穴馬券ばかり。このごろは、明らかに勝負レースの二百円台のオッズがあってさえ、『大穴が出るのはこういうときだ』とほざき、一銭もいらねぇ連戦連敗の馬から買う始末。このまま負けが続けば、テラ銭を四割に上げる命令が出ています。予想屋の言うことも聞きません。今日も、一発逆転を狙っています」  聞いて、メロスは激怒した。 「呆れた王だ。俺が競馬を教えてやる!」  メロスは、単純な男であった。せっかく買った1レースも見ないままで、のそのそ王城に入っていった。  たちまち彼は、城内でノミをひらいていたヤクザに捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは馬券予想コンピュータ『必勝! 馬之助くん』が出てきたので騒ぎが大きくなってしまった。  メロスは王の前に引き出された。 「この『馬之助くん』で何をするつもりであったか。言え!」  競馬王ディオニスは静かに、けれども威厳を以て問いつめた。その王の顔は蒼白で、ずいぶん負けが込んでいることをうかがわせた。 「貴様に競馬を教えてやる!」  とメロスは悪びれずに答えた。 「おまえがか?」  王は、憫笑した。 「仕方のないやつじゃ。おまえには、わしの天才的な馬券術がわからぬ」 「言うな!」  とメロスは、いきり立って反駁した。 「当たりもしない大穴ばかり買いやがって。勝負レースを見極め、本命一本買いで、やるか、やられるかが勝負事の醍醐味だろう。外れて当然の穴党など、何が面白いのだ」 「一番人気でさえ簡単に当たらないと、教えてくれたのは馬たちだ。買い目を増やせば、的中したところで元も取れん。まして人によって言うことが違う予想屋など、信じてはならぬ」  競馬王は落ち着いて呟き、ほっと溜め息をついた。 「わしだって、いつも本命で決まることを望んでいるのだが」 「はっはーん。さては八百長でもやるつもりだな?」  こんどはメロスが嘲笑した。 「配当二百円の鉄板レースさえも信じられず、何が勝負師だ。貴様など、負けっ放しの『負師(ぶし)』じゃねえか」 「だまれ、オケラ野郎!」  王は、さっと顔を上げて報いた。 「勝てばどんな能書きも垂れられる。どうせ『蛭子買い』で、元金割れしているくせに。なんなら明日の有馬記念はわしと勝負するか? おまえだって本命一点買いと言いながら、抑えでもう二、三点買わせてくださいと泣いて頼んだって聞かんぞ」 「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は本命一点買いで生計を立てているというのに。今さら抑え馬券など買うはずがない。──いいだろう。その勝負、受けて立つ。ただ、──」  と言いかけてメロスは足もとに視線を落とし、瞬時ためらい、 「ただ、私に情をかけたいつもりなら、有馬記念は三点ボックスで勝負をさせてください。たったひとりの妹を、競艇学校に入れてやりたいのです。負けるわけにはいかんのです。学費を稼いだら、それをとどけて帰ってきます。何なりと言うことをききます」 「ばかな」  と競馬王は、嗄れた声で低く笑った。 「とんでもない嘘を言うわい。逃げ潰れた逃げ馬が、最後の直線に入って差してくるというのか」 「そうです。差してくるのです」  メロスは必死で言い張った。 「私は約束を守ります。有馬記念だけは、三点勝負をさせてください。妹が、入学金の支払いを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この競馬場に、セリヌンティウスという予想屋がいます。私の無二の友人だ。私が負けたら、あの友人を宮廷予想屋として王のものにしてください。頼む、そうしてください」  それを聞いて王は、残虐な気持ちで、そっとほくそ笑んだ。  生意気なことを言うわい。どうせ一文無しのオケラになって帰ってこないにきまっている。この嘘つきに騙されたふりして、放してやるのも面白い。そうして身代わりの男を、宮廷予想屋として傍らに置くのも気味がいい。競馬は何が起こるかわからぬ。だからこそ男のロマンなのだと、わしは悲しい顔して、その身代わりの男を宮廷に雇い入れてやるのだ。世の中の、本命党とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。 「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがよい。有馬記念を見届けたら帰ってこい。おまえは三点買い、わしは高配当を片っ端から買う。わしの勝ち、もしくはどちらも的中しなかった場合は、その身代わりをわしの競馬参謀にするぞ。ついでに高配当も抑えておくといい。おまえの罪は、永遠に許してやろうぞ」 「なに、何をおっしゃるウサギさん!」 「はは。金が大事だったら三点と言わず買い目を増やせ。おまえの心は、わかっているぞ」  メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなかった。                                         続く