☆葬儀会場 昼☆ ゆっくりと、それは土の下へと降りていく。 投げ入れられる幾多の花に彩られながら。 見えなくなるまで決して目を逸らすまい。 自分にとって、何よりも大事な存在だったのだから。 【ルシアス】 「リチェル、見えるか? 俺は人形師だ。魂の存在は信じていない。 でも、今だけは一時的に宗旨替えをさせてもらうよ」 見えていてくれ。 俺は泣いていない。笑っている。君のおかげで。 自分はこんなに幸せでよかったのだろうか? それと、もう一人の彼女にも感謝している。 彼女のおかげで、俺とリチェルは素晴らしい人生を送る可能性を与えられたのだ。 リチェルの棺に土が被せられて見えなくなっていく。 今思えば、この未来を回避することも出来たはずだ。 その力と機会が、自分には確実にあった。 でも、後悔はしていない。 リチェルも、もう一人の彼女も、この道を望んだはずだから。 自分は、あの二人と生きた不思議な時を忘れることが出来ないだろう……。 そう、思い出せば長くなる……。 ☆工房 昼☆ 【ルシアス】 「失礼します」 【リチェル】 「そんなことをわざわざ言うなんて、まだ商売意識が抜けてないみたいね? あなたに触られるなら気持ちが良いぐらいなのに」 【ルシアス】 「じゃあ……触らせてもらうよ」 【リチェル】 「論点がずれてるよ? ふふっ、でも私はそういうところを好きになったのかもしれないわね」 俺はくすぐったい気持ちで彼女の後ろに回り、天然ウェーブの入った綺麗なブロンドヘアに指を通し、梳き上げる。 髪の硬さ、ウェーブの入り具合を手で覚えると、今度は絵筆を持ち、上質紙に髪の色ぴったりに調合した絵の具を塗り、見本として記録しておく。 今度は正面に周り、リチェルの顔に別な白紙を近づけ、丸くて大きな青い瞳を綺麗に模写し、現物と同じ色を塗る。 【ルシアス】 「自信が無くなってきたよ。君がすごく綺麗だから」 【リチェル】 「ふふ、あなたの弱音は褒め言葉だと思っておくわよ? 生きているのが勿体ないぐらいだ、って言ってくれたら嬉しいのになあ」 リチェルは眼を細めて、柔らかい笑みを浮かべる。 フリルたっぷりのヘッドドレスや姫袖のワンピースが彼女の愛らしさをさらに引き立てた。 【ルシアス】 「その言葉にどう答えたらいいものかな。 自分の職業を卑下することになるか、魂の存在を信じるかのどちらかしかないね」 【リチェル】 「私は、自分を誰にでも誇れるあなただから好きになったのよ? だから、魂の存在を信じて欲しいかな?」 【ルシアス】 「存在を信じたら、人形師失格なんだよ。 だから、引き返すなら今しかない。いいのかい?」 【リチェル】 「もう4回も同じ質問に答えたわよ? あなたが好きだから答えは同じなの。それじゃ不満?」 【ルシアス】 「君の許しがあるなら、俺も是非、それに従いたいと思う。 だから……君を今の内に誰よりも何よりも愛したい」 俺は椅子に座っているリチェルを立たせて、優しく抱き締めた。 【リチェル】 「学習したのね。仕事と関係ないことで身体に触るのに、私の許可をもらわなかったんだからね? 偉いわよ?」 リチェルも俺の身体を両腕でしっかりと抱き締める。 彼女のしなやかな感触と果物のコロンの香りが伝わる。 【ルシアス】 「約束するよ。俺が死ぬまではずっと一緒だ。 君から見れば短い命ではあるけれど、君を幸せにする。 その力が今の自分にはあると信じて欲しい」 【リチェル】 「あなたを信じられないなら、他の誰もが当てにならないでしょ? だってあなたは……」 彼女は背中に回した腕を解くと、背を伸ばして、俺の唇に軽く触れるだけのキスをした。 大きな瞳を潤ませ、頬を桃色に染め、彼女は未来に期待して言葉を紡ぐ。 【リチェル】 「世界一の人形師なんだから……世界で代わりのいない、たった一人だけの……」 俺は、この時彼女だけでなく、世界の全てに恋をしたんだと思う。 生きることそのものが美しく感じられていた。 自分はこんなに幸せでいいのだろうか? 自分は夢を見ているのではないだろうか? だが、これは現実だった。間違いなく……。 ☆背景 黒☆ 【男の声】 「さーて、月が天球を支配する時は終わり、明けの明星と共に太陽が現れ、多くの生命が躍動する目覚めの時が訪れた」 俺の身体が乱暴に揺すられ、衿を強引に引っ張られて上半身が起こされる。 【男の声】 「さあ、人々が地上を支配する時間だ。きりきり働け、世界一の人形師。お前の究極の美意識が生み出す利益が俺の酒代だ!」 【ルシアス】 「ぐおおおおっ!?」 皮膚の感触を通してわかるほどの厳つい指が俺の瞼をこじ開ける。 ☆背景 白☆ 瞳孔が開ききらない状態の目に朝日が差し込み、世界が真っ白になった。 それも光に順応するにつれ、じきに収まっていき、目の前にいる人間が像を結んでいく。 ☆工房 昼☆ 【ルシアス】 「何するんだっ! あー、まだしっかりと見えてないけどわかるぞ。こんなことするやつはお前だけだ、クロード!」 【クロード】 「ご名答〜! でも、何で俺様がやったってわかったかなあ? その理由によっては、また同じ事やってやるぞ? けけけけ」 【ルシアス】 「お前ほど無神経で、思考の赴くままに生きてる奴は俺の知り合いに一人しかいないっ! しかも能力がなければ絶対に付き合いたくないほどだ!」 【クロード】 「ルシアスちゃん、そりゃ偏見ってもんだぜ? 俺だって傷つきやすいんだからよお。 ほら、今もそんなこと言われて涙を流してるんだから」 完全に光に目が慣れたので、クロードの顔をしっかりと確認するが、確かに涙は流れていた。 口の端が歪められて、思い切り笑っていたが。 【クロード】 「なあ? どうだどうだ? 悲劇で有名な演劇話題作を思い出すことで、いつでも泣けるようになったんだぜ? これで、商売で泣き落としが自由自在!」 【ルシアス】 「死ね! 蘇るな! 転生するなっ! 神に逆らう大罪を犯して、地獄で悠久の時を過ごせっ!」 茶色のレンズが入った丸眼鏡の位置をクロードは直す。 歪んだ口元が一直線の形に変型した。 【クロード】 「っと……本当に起こしに来た理由がわからないみたいだな? ルシアス、あんたは疲れてるんだよ」 【クロード】 「とりあえず、伝えることは伝えなくちゃなんねえ。 それが終わってから、ゆっくり寝ると良いぜ? 今のあんたじゃ、今日の俺は酒が飲めねえよ」 【ルシアス】 「今更何を真面目ぶってるんだよ……。 お前の軽いところは嫌いだけどさ、改まった態度を取るのは気味が悪いぞ?」 クロードは懐から出した紙きれを鳥の滑空姿勢の形に折って投げ、部屋の隅に立たせていた製作途中の人形の首に当てる。 俺が折られた紙を拾って開いてみると、それが手紙であったことに気がついた。 【ルシアス】 「本当なのか、クロード……この俺が?」 【クロード】 「まずは俺様があんたを起こす正当な権利と約束があったのを忘れたことを謝るべきじゃねえのかな? でも、自尊心が死んでないなら見込みはあるわな」 【クロード】 「まあ、手紙の通りだぜ。製作する人形に今後目立った不具合があったら、すぐにでも俺様は駆けつけていい。それを書いたのはあんたってことさ」 【ルシアス】 「そこまで、ひどい物だったのか?  商品にならないほどに……?」 クロードは両腕を傘のように広げ、首をそのまま右後ろに捻る。 【クロード】 「あんたが昨日納入した人形は、この状態で背後を見られるほど首が曲がった。今までなら有り得ない失敗だぞ。 言い訳は? 聞いてやるぐらいは心が広いぜ?」 【ルシアス】 「専門職の責任として、仕事のミスに言い訳はしないさ。今度から、そんなことのないようにチェックするよ。 それと人形を調整に持ってきてくれ。すぐ直す」 【クロード】 「それ、俺様が一番ムカつく言い訳だってのにもしかしてあんたは気付いてない? 少なくても、お宅に修理は依頼できねえぜ?」 【ルシアス】 「自分の責任は自分で取る。それのどこがおかしいんだ?」 【クロード】 「俺様はなにせ世界第二位の人形鑑定士だからな。 で、あんたは世界最強の人形製作師だろ?」 【クロード】 「世界第二位の俺様が気付いて、世界第一位のあんたが気付かないで人形を市場に流そうとした。 これ自体があんたに起きた異常を証明してんだよ」 【ルシアス】 「世界最強でもミスはするさ。 入念にチェックをすれば、必ず失敗は未然に無くせるはずだ」 【クロード】 「じゃあ、聞くがよ。あんたが名実共に最強で人形にケチの付け所がなかった時、一度でも今回の欠陥点にチェック入れてたか?」 俺は口をつぐまざるを得なかった。 【クロード】 「俺様もさ、感性が全てだ、多く売れた物こそ美しい物だ、技術信奉は二流だとか、バカ素人が口にするようなことは言わねえよ。なにせ世界第二位の天才だからな」 【クロード】 「いくら直感で美しい物を作ろうが、それは技術の延長線。 感性に頼るのではなく、技術に感性を乗せ、補うのがプロ。 それがあって、初めて才能を生かすことができる。 【クロード】 「だが、技術だけで作ろうとすると、製作の手間が膨大になりすぎる。感性で作り技術理論でその正しさを確認せよ。 以上、総合芸術理論の教科書抜粋ってな」 【ルシアス】 「俺の感性が……鈍ってきてるってことか……」 【クロード】 「そーいうこった。本来なら意識しなくてもできることが、おざなりになってるって訳よ。だから、この人形の修理の引き継ぎは無理だぜ? 次にどこに不具合がでるか」 【ルシアス】 「わかった、しばらく工房を閉めて、腕を取り戻すとするさ。迷惑を掛けて悪かったな」 【クロード】 「あんたに必要なのは訓練じゃねえ。休養だ。 世界最強の称号は伊達じゃねえ。 あんたが今更学べることなんて、ねえんだよ」 【ルシアス】 「休んでなんかいられない。 最強であるためには、学び続ける。当然だろ?」 【クロード】 「学び続けているあんたの腕が何故落ち続けるんだ? 確認するが俺達は一応親友だよな?」 【ルシアス】 「クロードの人格は好きになれないが、能力は信用してるさ」 【クロード】 「あんたは学びたいんじゃなくて、休めねえんだよ。 彼女の存在があるが故にな。 あいつはあんたにとって、もはや足枷に過ぎねえよ」 【ルシアス】 「親友でも、その話題に触れて良いと思ってるのか?」 【クロード】 「能力を信用してくれてるなら、仕事仲間の助言として聞いてくれても構わねえぜ。 だが俺様は、親友だから話したいと思ってる」 【クロード】 「俺様はよ、自分の仕事に関して言えば、別にあんたがいなくても遊んで暮らせないわけじゃねえ。 今日という今日は見ていられねえんだよ。友人としてな」 【クロード】 「あんたは彼女を受け入れてから、安らげる時間を完全に失ってる。 しかも日が経てば経つほど、すり減って行ってる」 【ルシアス】 「そんなことはないさ。家事や小間使いをしてくれる彼女と住んでいるおかげで、生活は今までより楽になってるんだし……」 【クロード】 「やめろ、ルシアス! もう、あんたの強がりを聞くのはまっぴらなんだよ! どう考えてもおかしいだろ!」 【クロード】 「血の繋がりもない、年頃の魅力的な男女が、お互いに好意も愛情も持たずに一つ屋根の下に同居するなんて、それだけで異常なんだよ!」 【クロード】 「しかも、あんたが過去に引きずられている限り、この状況は永遠に続くんだ! 彼女をいつまで手元に置いておく気だよ!」 【ルシアス】 「それは……!」 【クロード】 「俺様から見ても、あんたは内外共に魅力的な男だ……。 誰か素敵な女性から愛されるかもしれないんだぞ…… なにせ、世界第二位じゃなくて、世界最強だからな……」 【クロード】 「あんたは、過去にしがみつくために自分が我慢することで、幸せの芽を自ら摘む運命を選んでるんだよ……! もう、見てられるかよ……!」 クロードは、涙を流していた。 口の端を歪めずに。 【ルシアス】 「じゃあ……俺はどうしたらいいんだ?」 【クロード】 「そうさなあ……世界第二位の俺様の霊感によると……」 その時、工房のドアが開き、ドアに仕掛けられていたベルが軽やかな音を立てる。 【クロード】 「おっ、噂をすれば影ってやつか。 リチェルちゃん、今日も可愛いねえ! どうだい、今度俺様と君との接点を探さねえか?」 【リチェル】 「申し訳ありませんが、お断りします それと、お客様ですから、お茶をお出ししますね」 リチェルは、両手に持った買い物かごを持ってキッチンへと向かう。 【クロード】 「ったく、俺様には冷てえなあ。 何がいけなかったんだと思う?」 【ルシアス】 「態度がころころ豹変するから信用されてないんだろ? さっきまで泣いてたくせに。演技じゃなかっただろうな?」 【クロード】 「でも、その情報を教えたのはあんたなんだぜ? それに、俺様以外に対してもリチェルは優しいか?」 【ルシアス】 「わかったよ……俺の負けを素直に認めるさ。 しばらく、工房を閉める。 人形にも手を触れない。約束するよ」 【クロード】 「それだけじゃ、花丸はあげられねえが、大事な一歩を踏み出したわな。 後は深刻な話じゃねえ。茶を飲みつつゆっくりいこうぜ」 【クロード】 「じゃ、リクエストと行こうか。 俺の茶の産地はイルターで、蜂蜜とミルクでな。 温度はやや熱め、あんただけの仕事だ。頼んだぜ」 【ルシアス】 「リチェル! クロードの茶の産地はイルター、蜂蜜とミルク、温度やや熱めだ!」 ▲リチェル視点 ルシアス様の音声であることを確認。 戸棚の上から3段目、左から2列目のイルター産、茶の瓶。 床下収納の左から2列目、右から1列目にミルクと蜂蜜。 薬缶の蓋の笛が蒸気によって鳴ってから10秒。 ティーポットに500CCの熱湯。 茶さじ3杯の茶葉。 200ミリリットルをカップに注ぎ、ミルクを50ミリ。 待つこと2分で『少し熱め』と指定されている温度、80度に達する。 小さじ1杯の蜂蜜をカップへ。 二つのティーカップをトレイへ乗せて、工房のテーブルへ。 円形のテーブルの縁から30センチの位置にカップを配置。 ルシアス様の中途命令を終了。 朝食を作る日常指定命令へ復帰。 厨房へ移動する。 ▲ルシアス視点 【クロード】 「あいかわらずだねえ。リチェルはあんたそっくりだよ。 ポットを予熱するという考えがないんだからさ」 お茶を口に運びながらクロードは、ほくそ笑む。 【ルシアス】 「悪かったな、俺が今度教えておくよ」 【クロード】 「俺様が教えるってのはダメなんだよな? まあ、教えたって聞かないだろうけどよ それを、あんたは許してくれないしな」 【ルシアス】 「クロード……わかってくれ。 今の俺にとっては苦痛でしかなくても、リチェルは大切な存在なんだ……」 【ルシアス】 「クロードだって、やる気にさえなれば世界で一番の人形鑑定士になれるんだろう? そうなれば、いいこと尽くめのはずだ。それと同じ事さ」 【クロード】 「まあ、否定しねえよ。俺は麗しき年頃の美男美女だけを専門に鑑定してえからな。 死神と間もなく邂逅する老体まで詳しくなりたくはないね」 【ルシアス】 「俺にも譲れない物があるんだ。だから、このままでいい」 【クロード】 「ルシアス……勿体ねえよ。 俺様だってプライドがある。世界第二位のな……。 世界第一位の人形師を無くすわけにはいかねえんだ……」 【ルシアス】 「悪いと思ってるよ。 でも、言われなくてもわかってたんだ。 今の俺は惰性でしか人形を作れないって……」 【ルシアス】 「予算無制限で、達人の技巧を要求される仕事でも、何も喜びを感じられないんだ……。 もう俺が世間から必要とされてないなら、それでいい……」 【クロード】 「わかった……。確かに俺様があんたの立場なら、同じ事を言っただろうよ。 だが、最後に一度だけチャンスが欲しいってとこだな」 【クロード】 「一度、旅行に行ってきな。それだけでいい。 旅費も全部俺様が出してやる。 だから、全部リクエストを聞きな」 【ルシアス】 「今更、親切の押し売りをされてもな……。 気分転換ぐらいで、何かが解決するわけじゃないさ。 原因がどこにあるかはわかってるだろ?」 【クロード】 「言っとくが、拒否権はねえぞ。 あんたが今回やらかした人形製作ミスを、そのまま業界に触れ回ってたらどうなってたと思ってんだ?」 【クロード】 「あんたは欠陥品を掴ませたことでの賠償金を払い、次の仕事を失って、リチェルを担保に取られただろうさ。 本末転倒だろ。それだとよ」 【ルシアス】 「わかった……旅行に行ってくる。 自分一人の時間を作って、考え直してみるよ……」 【クロード】 「残念だったな、チケット合計価格は1,5人分だ。 文句は言わせねえぞ。 もう、逃げるんじゃねえ。受け入れる努力をしやがれ」 【ルシアス】 「そうだな、努力はしてみるよ……。 でも、あまり期待しないでくれ……」 【クロード】 「この期に及んで、言質をとらせねえってあたりがずる賢いねえ。あんたは絶対に変わるさ。 世界第二位の俺様の感性がそう言ってる」 【クロード】 「あんたは腐っても世界第一位の人形師さ。 自分だけの力が必要とされれば人形を絶対に作る。 何故わかるか? それは世界第二位の鑑定士だからな」 クロードは懐から、彫金による豪華なエングローブ模様が施された懐中時計を取り出す。 【クロード】 「さーて、それじゃ後で、旅行の計画書と路銀、チケットを郵送しておくぜ。 で、あと3秒で仕事の時間だ。そら、3,2,1」 【クロード】 「人形の調整依頼が5件、新規製作が2件入ってる。 引き受けられる仕事の書類にサインしな。 契約金の交渉の日時は……」 ☆工房 夕☆ 【ルシアス】 「ははっ、あははは……」 俺はクロードが今日の契約で持ち込んできた人形の調整を全て終え、椅子に座り込んで笑う。 【リチェル】 「お仕事、お疲れ様です。 しかし、笑う理由が私には予想できかねます。 理由を聞いてもよろしいでしょうか?」 【ルシアス】 「バカだよな……また、仕事しちゃったよ……。 クロードはやっぱり世界第二位の鑑定士だ……」 【リチェル】 「申し訳ありません、私には、やはりわかりかねます」 【ルシアス】 「わからなくてもいいんだ。わかったらリチェルが辛くなることだから」 【リチェル】 「質問の許可を与えられないことを了解いたしました。 夕食のリクエストをお聞きします」 【ルシアス】 「蒸し野菜を一皿」 【リチェル】 「10日連続で続いておりますが、体重を減らす意図があるのでしょうか?」 【ルシアス】 「気になるなら、リチェルの作りたい物でいい」 【リチェル】 「申し訳ありません。私は自分の嗜好により食事を製作する権限はありません」 【ルシアス】 「なら、蒸し野菜だ」 【リチェル】 「了解いたしました」 【ルシアス】 「それでいい……」 クロードがこの現状を見たら、こういうだろうな…… 【クロード】 「あー、豚足のシェリーポワレに、スペアリブのアドボ焼き。前菜にカプレーゼ。チーズはもちろんブーファラだ。 無けりゃ買ってきな! ご主人様がこの上なく喜ぶぜ!」 今のままでいいはずがないんだ…… あの日、俺は大切な彼女を失った。 彼女を失い、彼女を得た。 失っただけなら、どんなに幸せだっただろうか。 リチェルが、蒸した野菜にバジルで味付けされたドレッシングを掛けて持ってくる。 俺はクロードから届いたチケットを眺めていた。 1,5人分の料金が納められている他は、変哲もない遺跡ツアーのチケットだ。 あまり、人前に彼女を出したくない。 恋人だと誤解はされたくないから。 そのための準備をしておく必要があるだろう。 【ルシアス】 「リチェル、これから旅行に行くことになった。 自己紹介のテストをしておきたい。君は誰だ?」 【リチェル】 「ルシアス様の恋人であるリチェル・ローラフィールド様の依頼を受けて、ルシアス様が製作した複製人形のリチェルです」 【ルシアス】 「問題はない。続けて」 【リチェル】 「リチェル様の精神を私に転写する際に、病弱な彼女は命を落とし、私は空白の精神のまま目覚めることとなりました」 【リチェル】 「その後、ルシアス様からの教育を受けることとなり、 現在はルシアス様と主従関係を結び、身の回りのお世話をさせて頂いております」 【ルシアス】 「良くできた。特に問題はない。戻っていいぞ」 【リチェル】 「本日の業務は全て終了いたしました。 私から、一つ提案があるのですが」 【ルシアス】 「なんだ? 珍しいな」 【リチェル】 「ルシアス様が疲れている時には肩を揉んだ方が良いと、商店街の店員に言われました。 実行する必要はございますか?」 【ルシアス】 「あ、その……やめてくれ……。 俺とリチェルはそういう関係じゃないだろう」 【リチェル】 「了解しました。今後、商店街店員によるルシアス様に関わる提案は聞かないことに致しますか?」 【ルシアス】 「そうしてくれ……それじゃ、今日はこれで休む。 明日から、旅行の準備をしなければならない。 手伝いを頼む」 【リチェル】 「了解いたしました。私も休養いたします」 リチェルは安楽椅子に腰掛け、目を閉じた。 俺は、お休み、と声を掛けない。 彼女を人間のように扱うと、死んだリチェル、あれほど愛した人をないがしろにしてしまうようで……。 それはとても耐えられなかった。 きっと、永遠に続くのだろう。この日々は……。 クロードの言ったとおり、世界一の人形師の座を奪われるのも遠くない……。 でも、それでもいい。 何が世界一の人形師だ……この力は……。 大切な人の前で、何の役にも立たなかったのだから……。 ☆背景 黒☆ 眠っている俺の瞼に無理矢理しなやかな物が突きつけられ、目が強制的に開かれる。 だが、それは優しく、丁寧に。 ☆工房 昼☆ 【ルシアス】 「誰に頼まれたんだ? リチェル?」 【リチェル】 「クロード様からの提案は、実行してからその是非を問えとルシアス様に命ぜられております」 【ルシアス】 「で、どんな提案だったんだ?」 【リチェル】 「旅行の準備を早朝のうちに私の方で済ませ、馬車の出発1時間前に目をこじ開けて起こすようにと。 その時間帯にクロード様が見送りに来るそうです」 【ルシアス】 「くそ、クロードめ……。 俺が旅行の日程を無視して逃げ出さないように追い詰めたな……?」 【リチェル】 「クロード様の提案を、今後聞かないように致しますか?」 【ルシアス】 「いや……それはやめておく」 【リチェル】 「了解いたしました」 俺はリチェルを部屋から出し、手早く外出着に着替える。 リチェルがすでに用意していた旅行用荷物を手に持ち、外に出た。 ☆街中 昼☆ チケットを見るかぎり、遺跡行きの馬車は利用者の自宅前まで来るらしい。 朝食も馬車で出るので、外で待っていた方がいいだろう。 【ルシアス】 「クロード、何やってるんだ? 工房の中に入っていればよかったのに」 クロードは通りを歩く人々にぼんやりと視線を投げかけていた。 【クロード】 「世界第二位を誇る本職の力の無駄遣いさ。 今のあんたがやれば心の励みになる。 あれをどう思うよ?」 クロードは飾り気のない真紅のデコルタージュドレスを纏った、銀髪の女性を指さす。 長い髪は結い上げられており、細面の美人だ。 【ルシアス】 「外骨格のリジィオ18型をベースとして、人工皮膚を貼り付けたモデルだ。 間接の横方向の捻り方に不自然さがあるのが特徴だ」 【クロード】 「この商店街に場違いな格好という感想が出ないあたり、あんたはまだ死んじゃいねえよ。 諦めなさんな、世界第一位の人形師」 ドレスを着たリジィオ18型人形は、テールコートを着込んだ男がやってくると、腕を組んで歩いていった。 恋人代わり、か……。 法律でも認められつつあるけどな……。 【クロード】 「あんたは、自分の力を同業者と比べることでしか認識できてねえだろ? 毎日毎日、工房から出ないでいるんだからよ」 【ルシアス】 「だから、今度の旅行を提案したのか? 俺の抱えてる問題は、それぐらいで解決できる物じゃ……」 クロードは懐中時計を懐から取り出す。 【クロード】 「とりあえず、あと4分だ。 俺様が来たことを4分後に感謝するだけでなく、自分が無力じゃないってわかることになるぜ。その時よ」 クロードはそれっきり、街中を観察することに没頭して、俺の話しかけを無視し始めた。 【リチェル】 「ルシアス様、戸締まりを完全に済ませました。 いつでも出発可能です」 【クロード】 「ルシアス、リチェルをどう思うね?」 【ルシアス】 「どうって……今の俺にとってはただの使用人だよ」 【クロード】 「そうか。別にいいんだぜ。気にすんな」 馬車が音を上げて近づき、工房の目の前で止まる。 俺は降りてきた御者にチケットを渡した。 【御者】 「ルシアスさんだね? 確認したよ。 でも、嘘は良くないなあ。 2人分の料金を払ってくれないとねえ」 【クロード】 「で、俺様の出番って訳よ。 この綺麗なお嬢さんは人形だぜ? 俺様の顔に免じて、半額料金でたのむわ」 【御者】 「クロードさんの頼みとは言ってもねえ…… うちだって素人じゃないんだよ。 人形を偽った無賃乗車でどれだけ痛い目を見てるか……」 【御者】 「どう見ても、これは人間じゃないか。 仮に人形だとしても、私が会社に疑われて睨まれるんだよ。 だから、どうしたもんかなあ……」 【クロード】 「その人形は相場に流せば2000万ダルトの値打ちはくだらないほどの高い素材と技術を使ってるのよ。 と言うわけでな……」 クロードは袋を御者に向けて放り投げると、反射的に御者はそれを掴んだ。 【クロード】 「その銀貨を掴んだな? 掴んだからには保険金を受け取って要求を飲んだと見なされるぜ? こっちの証人は2,5人だ。捏造したら勝ち目はないぜ?」 【御者】 「わ、わかったよ。 ちゃんと言われたとおり届けるから…… だから、誰にも言わないでくれ……」 【クロード】 「物わかりが良くて助かるねえ。 じゃあ、よろしく頼まあ。 それと、ルシアス、少しは励みになっただろ?」 【ルシアス】 「………………」 ☆背景 黒☆ 馬車の旅は気味が悪いほど快適だった。 食事で立ち寄った場所は警備も味も完全この上ないレストランに変更されていた。 旅行用の馬車とはいえ、途中で別な客を拾って利ざやを稼ぐのが普通なのに、リチェルと俺との貸し切り……。 宿泊先のホテルも貴族御用達のロイヤルスイートに差し替えられたほどだ。 ☆遺跡外部 昼☆ 【ルシアス】 「はあ……あいつ、最初からこうすることを予定してたんじゃ……」 チェックインしたホテルを出てから、観光地の遺跡にたどり着き、ホテルの方向を確かめてみる。 周囲に立っているどんなホテルよりも大きさは際立っていた。地図がなくても迷わないほどだ。 【リチェル】 「2人分の料金を遙かに超える金額を、クロード様は渡したと考えるのが自然でしょう」 【ルシアス】 「まあ、こんな近所のツアーをここまで豪華にする方法はあの裏技しかなかっただろうな……」 クロードの出過ぎたお節介には頭が痛いが、確かに今回の旅は悪くはない。 リチェルを失った悲しみを『自分は世界一の人形師なんだ』という歪んだ誇りで振り払おうとした節が今までの俺にあったのは事実だ。 自分が後もう少し早く人形を完成させていれば…… 今の自分がその後悔を忘れて、一人で楽しむことは、死んだリチェルを悲しませるような気がして……。 だから、もし今回のツアーが最初から豪華なものであったり、船旅をするほどの遠出をする本格的な物なら、クロードを殴ってでも拒否していただろう。 【ルシアス】 「人形師のことなら何でもわかるからこそ、世界第二位の人形鑑定士か……」 クロードに対して手放しで感謝は出来ないが、ここまで俺のことを考えてくれているのならばと、素直に旅行を楽しめる気分になれた。少なくても今だけは。 【リチェル】 「ルシアス様、遺跡の公開が行われていることをクロード様から伝えるように言われております。 3年前に発見されたアデルフ遺跡です」 【ルシアス】 「ああ、それがここなのか……。 俺達と関わりの深い場所なのに、一度も訪れたことは無かったんだな……」 【リチェル】 「クロード様からルシアス様に同行するよう言われております。私の力が必要でしょうか?」 俺はホテルの豪華なテーブルに置かれていた、遺跡についての観光案内が書かれたパンフレットをリチェルの手から受け取って目を通す。 【ルシアス】 「そうだな……一人でいい。俺だけで行くよ」 【リチェル】 「了解いたしました。私はホテルで待機します」 【ルシアス】 「遅くなるかもしれない。その時は先に休んでいていい」 俺はパンフレットを片手に遺跡へと近づいた。 遺跡は多くの人で賑わっていた。 客層では特にカップルが目立つ。 リチェルを連れてきたくない理由の一つがこれだった。 【ルシアス】 「今の俺にだって手に入る……。 この程度の幸せは……」 だが、求めてはいけない。 そのような約束を彼女と交わしたわけではない。 だが、出会い、心を通じ合わせたのが彼女だったから。 溜息をつき、この遺跡最大の展示物である『祈請の柱』がそびえ立つ位置へと移動する。 ☆遺跡内部 夕☆ 多くの観光客カップルが、柱へ手を当て、目を閉じていた。 パンフレットに書かれているとおりだ。 【ルシアス】 「二人の願いが共に互いを幸せにする時、柱は大いなる力を持って、叶えるであろう……か 流行るのも無理はないな……」 古代は加持祈祷による政教一致体制、神話によって権力者の正当性を大衆に信じ込ませていたような迷信深い時代ではない。 無から有を生み出し、大地を宙に浮かべ、天に旅し、星すらもその手に掴んだほどの技術文明を成立させていたという証拠が続々と見つかっている。 しかし、その文明はいつしか崩壊した。 戦争などによって滅んだのか、この星を捨てて出て行ったのか、原因は未だにわかっていない。 古代文明の技術を再現する試みも為されており、いくつかは復元することが出来た。 俺の作る人形もその一つだ。 しかし、大半の遺物が意図的に古代人によって壊されているとしか思えないことから、文明の完全復活は不可能とされている。 【ルシアス】 「あわよくば、願いが本当に叶うかもしれない、か……」 しかし、この遺跡で願いが叶ったという実例はない。 それに、俺には互いに幸せになるための条件となる、もう一人の存在を永遠に失った……。 俺はこの先、ただ惰性に流されて人形を作り、年老いていくだけの人生しか残されていないだろう。 周囲からは『悲しみ続けても死んだリチェルは喜ばない』と何度も聞かされた。 俺自身は、そんなことには当に気付いていた。 【ルシアス】 「悲しいから落ち込んでいるんじゃない……。 意味が無くなっただけなんだ……」 俺は人形師になるための修行を積み、ただそれだけのために生きてきた。 あらゆる技を極め、あらゆる同業者を負かした。 全ての栄誉を手に入れた。 もはや挑戦するべき目標がなかった。 自分を満足させるための最後とも言える仕事。 それが、愛したリチェルの複製を製作し、その人形と共に幸せに生きることだった。 それが失敗に終わった今、もう、自分の人生で目標を全て失ってしまったような気がして……。 でも、自分には人形師としての力しかなく、その人生しか歩めない……。 周囲の人達も、人形師としての俺に期待している……。 【ルシアス】 「今の俺なら……死んでも文句は言わないだろうな……」 俺は一人で柱に触れに行くのが嫌で、幸せそうに柱に触れて祈る2人組達をただ見つめていた。 リチェルより美しい人は、その中に誰もいなかった。 ☆遺跡内部 夜☆ 静寂が遺跡を支配していた。 この場にて二人で幸せを願える人は、今現在、互いに幸せな時を送ることができる証明であろう。 俺はただ一人、柱を見上げる。 古代文明の栄えていた時期は、現在では想像も付かないほど豊かだったと認識されている。 不幸な歴史上の出来事の記録が一つも残っていないのだ。 【ルシアス】 「そんな彼等が、当時どんな幸せを願ってこの遺跡を作ったんだろう……。 俺のような人が、当時もいたんだろうか……」 古代人にも宗教はあったが、それはあくまでも倫理文化に関わる程度のもので、ここまで大規模な建造物を作るほど、もてはやされていないはずである。 俺は一見石造りに見える、外見がすべすべとした柱に手で触れた。 石でなくセラミックだった。製作に機械の手を借りている。 それこそが、芸術的な目的で作られた可能性も低いことを意味していた。それならば……。 【ルシアス】 「奇跡を……信じてみてもいいかもしれない……」 ☆背景 黒☆ 俺は、手のひらを柱に当てて、目を閉じた。 【ルシアス】 「人形師は魂の存在を信じない……。 なぜなら、魂を操ることができないからだ……」 【ルシアス】 「でも、俺達より賢く優れているあなたたちなら。 世界の全てを理解し、利用したのなら」 【ルシアス】 「俺達が間違っていると否定するのかもしれない……。 奇跡の存在を何故疑うのかと笑えるのかもしれない……」 【ルシアス】 「俺は、今の人々に笑われる奇跡の実現を願う。 今一度、俺がリチェルと生きていられる世界が欲しい……。 彼女の最後の願いを叶える力を貸してくれ……」 ▲リチェル視点 ☆遺跡外部 夜☆ 【??】 「奇跡が、必要なのよ」 もはや、それ以外に私の願いを叶える方法は存在しない。 周囲がどれだけ誤魔化そうとも、私はその事実を完全に把握していた。 だからといって、今の私がこんな大それたことをしようとするのは馬鹿げていると笑われるだろう。 それどころか、私がついに自暴自棄になったと考えて、二度と館の外に出られないように軟禁するかもしれない。 願いが叶う確率など、どれだけ低くてもいい。 私の直面している問題からしてみれば、奇跡の確実性など何の意味も為さないのだから。 私は料金を先払いした馬車を飛び降りると、祈誓の柱へと向かった。 ☆遺跡内部 夜☆ まだ、遺跡の調査が不十分なことから、どのような条件で願いが叶えられるのかはわかっていない。 しかし、全ての可能性に手を伸ばす。それだけだ。 私は噂で聞いた方法を元にして、柱に手を触れて目を閉じる。 なぜだろう……この場に来たことが初めてでないような……そんな懐かしい感じがする……。 ☆背景 黒☆ 【??】 「私の……叶えたい奇跡は……残された命を……」 ▲ルシアス視点 ☆遺跡内部 夜☆ 【ルシアス】 「古代文明でも運命の存在は信じていなかったかな……」 柱にも周囲にも自分自身にも、特に変わったところは見受けられない。 現実に引き戻されてしまったというわけか……。 【ルシアス】 「せめて……彼女と出会いさえしなければ……。 ここまで、苦しむこともなかったんだろうけどな……」 帰ろう。クロードには悪いが、明日にでも予定を切り上げて、工房に帰っていつもの生活に戻ろう。 そうしてさえいれば、俺が人形師であることを喜んでいた彼女の気持ちに応えることができるから、少しは気が楽になる……。 俺が柱から離れて遺跡の外に出ようとすると、何か違和感を抱いた。 気配がするような……。 ☆遺跡外部 夜☆ こんな時間に人か……? しかも女の子……? ここには明かりになるような物がないので、月明かりでしか人影を把握できない。 だが、髪の長さや背の低さからして女の子だろう。 【ルシアス】 「おい……! 君! 観光地だからって、こんな時間に女の子が出歩いていいわけないだろう。 帰りの馬車は用意してるのか?」 振り返った女の子に警戒心を抱かれないよう、俺はゆっくりと近づく。 【ルシアス】 「ここで待っててくれれば、すぐに俺の泊まっているホテルから、馬車を手配してあげるよ。 それなら、安心だろ?」 この言葉掛けに安心したのか、女の子は逃げ出す様子はない。 俺が近づくにつれ、服のシルエットがよく見えてくる。 観光地に来るには過剰なほど装飾が施されたドレスだ。 レースたっぷりの姫袖、膨らんだスカート、フリルが施されたヘッドドレス……。 これじゃ、変質者にとって絶好の的だな。 早く、安全なところに連れていかないと……。 俺は、彼女から数歩の所まで近づき、月明かりに照らされた顔を見た。 【ルシアス】 「リチェル……? 何でここにいるんだ? ホテルから外に出ないように言ってあるはずだろう。 しかも、観光地なのにその服装はなんだ?」 【リチェル】 「あっ……! もしかして屋敷の人……!? 私が逃げ出したのを、見てたってわけ……!? ごめんなさいっ! 見逃してっ!」 リチェルは指を組んで懇願するポーズを取る。 【ルシアス】 「今度は誰に、変なことを吹き込まれたんだ? 基本的に俺の命令を何よりも優先するように言っただろう。 ほら、明日には家に帰るぞ。ついてこい」 【リチェル】 「はあ……? あなた、何様のつもり? なんで私があなたの言うことを聞かなくちゃいけないのよ。 抜け出したのは悪いと思ってるけど……」 【ルシアス】 「リチェル……何があったんだ? どこかおかしくなったんじゃないのか? 確認するぞ。君は誰だ?」 【リチェル】 「ローラフィールド財閥の一人娘、リチェルよ。 今日は屋敷から抜け出して、遺跡にお祈りしに来たところ。 それぐらい可哀想な女の子だから、見逃してくれる?」 リチェルは手提げバッグから手紙を取り出す。 彼女の父宛に届けられた物のようだ。 手紙の内容は、ごく最近、古代人の願いを叶えるために存在したとされる遺跡が発見されたので、発掘の資金援助を募らせてくれというものだった。 ということは、つまり……? 【ルシアス】 「す、すまない、暗かったからわからなかったが、よく顔を見たら同じ名前の人違いだったみたいだ」 【リチェル】 「そうなの? でも、あなたが本当に人違いをしたとしても、どこかでお父様に聞かれたら、今日のことを話すかもしれないわよね?」 【ルシアス】 「そう疑われても、仕方ないだろうね。 俺が君のことを知っていた上で、演技しているんじゃないかとも思ってるんだろう?」 【リチェル】 「そういう頭のいい人、結構好きかな。私は。 何か、身分を証明できる物はある? それさえわかれば、情報が漏れた場合すぐわかるわ」 俺は常に所持が義務づけられている、人形師の営業許可証を彼女に見せる。 【リチェル】 「超一級人形師ですって……!? これ、本当なの……!?」 【ルシアス】 「その凄さが、わかるのか?」 【リチェル】 「超一級人形師は、分業せずに、たった一人で人形を制作できるんでしょう? 世界にも数人しかいないって聞いたことがあるわ……」 【ルシアス】 「そうだな、俺もみだりに身分を正確に明かすと、自分の身の安全が脅かされるから、普段は冗談めかして、世界第一位と名乗ってる」 【リチェル】 「精巧な人形を作れば、権力者を暗殺した後、替え玉を作って、社会に浸透させることも可能ですもんね……」 【リチェル】 「まあ、あなたが関係者じゃないというのはよく解ったわ。 それでは、私は馬車を待たせてますから、失礼しますね」 彼女は、曲がり角に止めていた馬車に乗り込んだ。 引き留めようと思ったが、俺は頭が混乱して、何も思いつかなかった。 ☆遺跡内部 夜☆ 俺は、ひたすら遺跡の中を調べ歩いたが、新たな発見はなかった。 一度、街に戻ることを考えて、遺跡を出ることにした。 ☆遺跡外部 夜☆ 【ルシアス】 「リチェル、君は誰だ?」 【リチェル】 「ルシアス様の恋人であるリチェル・ローラフィールド様の依頼を受けて、ルシアス様が製作した複製人形のリチェルです」 【リチェル】 「行動優先順位の高いクロード様から、手紙がホテルに届けられたため、早く伝える必要性があると考え、ここに参りました」 【ルシアス】 「わかった、もういいぞ。 リチェル、これからお前に与える命令系統を大きく変更することにする」 【リチェル】 「了解、命令系統の書き換えを致します。 新たな命令を指定ください」 【ルシアス】 「工房から俺の命令無しに出ないように。 誰にも、リチェルと俺のことを話さないように」 【ルシアス】 「俺とリチェル・ローラフィールドとの接触、友好関係の成立を何よりも優先しろ。いいな?」 【リチェル】 「了解いたしました」 ☆工房 昼☆ 俺達は朝一番の馬車に乗って工房に戻った。 俺達の不安をよそに、工房はもぬけの殻だった。 人形修理の納期書と馬車料金の領収書の内容は、間違いなく今が3年前であることを意味していた。 【リチェル】 「クロード様、いかがですか?  私が確認した限り、数が足りないように思えます」 【ルシアス】 「確かに、人形製作用の道具がいくつかないな……。 3年前はまだ、特別なボディベースを使っているリチェルの身体を作ろうとはしてなかったからな……」 【リチェル】 「あの道具は職人に頼んで作った特注品です。 製作を依頼しますと、完成までに半年はかかります」 【ルシアス】 「まあいい。特別頑丈なボディのリチェルが壊れたり、調整を要されたりすることはまずない。 なにせ、古代文明で製作された素材だからな」 【リチェル】 「そうなりますと、私の身体を用いて、リチェル様の精神転写を行うことになりますが、問題はありませんか?」 【ルシアス】 「問題は山積みだな。現時点で彼女は人形製作に魅力を特別感じていない。 それに、俺は赤の他人扱いだ。そこを解決しないとな……」 【ルシアス】 「俺は、この時代で1年後の人形製作コンテストで優勝しているが、その賞品として、アデルフ遺跡で発掘されたばかりのリチェルの素材を手に入れた」 【ルシアス】 「リチェルは、古代文明による未知の素材を使用したタリスマン型警備人形を特注の工具で削りこむことでボディを作っている」 【ルシアス】 「その後、精神の中枢となるレイスジェムを埋め込み、精神転写を試みたが、彼女の死を迎えて失敗。 つまり、本来の未来通りに進めると、時間切れになる、か」 【リチェル】 「製作時間が短く済む、既存型の人形を別途製作し、リチェル様の精神を転写するというのを保険とする手もありますが」 【ルシアス】 「そうしたいのはやまやまなんだが、どうしても既存のボディだと、人間と比べて動きに不自然なところが目立ってしまうんだ」 【ルシアス】 「それに、既存型は耐久性が低すぎるし修理が難しい。 消耗品を前提として作っているから、15年も持てばいい方だ」 【リチェル】 「確か、リチェル様は自分の分身が何十年も生き続けることに魅力を感じて、私の製作を依頼しているはずですね」 【ルシアス】 「そういうことだ。動きが不自然なのは目を瞑ってくれても、すぐに壊れる人形を売り込みに行ったところで、相手にしてもらえないだろう」 【ルシアス】 「耐久性とメンテナンス性を重視するなら、別にタリスマン型をボディとする必要性はない。 だが、ボディを俺の技術で別途特注する必要はあるな」 【ルシアス】 「特注のボディはタリスマン型の加工よりは楽だとしても、かなり時間が食われる。 リチェルに精神を上書きした方が確実だろうな」 【リチェル】 「私もその意見が最良かと思います。 人形製作の前に彼女を説得する時間などが必要となる以上、安全策を取るべきです」 【ルシアス】 「いずれにせよ、すでに完成しているリチェルの存在を彼女に知られるのはまずいな……。 予定通り家を出ないようにした方がいいだろう」 【ルシアス】 「問題は、彼女に接触する方法か…… 何か良い方法がないだろうか……」 俺は旅行の時から着ていた外出着を、クローゼットの中に収めようとして、あることに気付いた。 【ルシアス】 「……! リチェル、胸をよく見せてくれ!」 ☆リチェルの館 外部昼☆ 【ルシアス】 「でかいな……リチェルの実家が金持ちだというのは嘘じゃなかったのか……」 俺とリチェルは恋人同士だったが、一度も彼女の家に行ったことはなかった。 リチェルが工房を訪れ、俺が人形を製作しながら、二人の時間を過ごすというのが、いつもの流れだった。 リチェルの精神を人形に転写しようとした場所も病院だったのだから。 俺が塀に埋め込まれている門に近づき、呼び鈴の紐を引っ張ると、男性が門を開けて現れた。 この人は昔見たことがある。リチェルの父親のクルツ氏だ。 【クルツ】 「どのようなご用件でしょうか?」 【ルシアス】 「先日、そちらのお嬢さんらしき方を、深夜にお見かけした後、ある物を拾いまして……。 そのお嬢さんの落とし物ではないかと思いましてね」 【クルツ】 「深夜、ですか……。詳しい話を伺いたいと思います。 館の中へお入りください」 ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「う〜ん、私にお客様ってだれなの……? まだ眠いんだけど……」 リチェルがあくびを噛みしめながら、部屋にやってくる。 【リチェル】 「あっ、あなたは……! あの時の……!」 【クルツ】 「いかがですか? ルシアス様?」 【ルシアス】 「いや……よく見ると違いますね。 私が会ったのはよく似た人だったようです」 【ルシアス】 「それに、リチェル様の空似に出会った時点で、これを身につけていなかったのを思い出しました」 俺はドレスの胸元に取り付けるブローチをリチェルに見せる。 【リチェル】 「あっ、それ……! 昨日からなくて探してたのよ……!」 【ルシアス】 「リチェル様がよく出かけている公園で昨日、見つけました」 【ルシアス】 「空似の人を見かけたのは二日前ですし、その人は公園に入る前からブローチを付けていませんでしたから、間違いなく別人でしょう」 【クルツ】 「確かに、昨日の朝の時点では、リチェルはそのブローチを身につけていたのを私も覚えております」 【リチェル】 「でも、私は昨日、公園には……」 俺は、リチェルに目で合図を送る。 【リチェル】 「あ、うん、確かに行ってるわよ。それで、家に帰って気がついたら、ブローチがなくて……。 特注品だから、大切にしてたのよ……」 【ルシアス】 「それは幸いです。 リチェル様はいつもこれを付けていましたから、きっと大切なものだと思いまして」 【リチェル】 「うん、本当にありがとう…… いろいろと、あなたにお礼がしたいわ……。 まずは、お話をしても構わないかな? いろいろと」 【ルシアス】 「超一級人形師の話がリチェル様の耳に心地よいかはわかりかねますが、私でよろしければ」 【クルツ】 「超一級人形師ですか……! それは素晴らしい……!」 【ルシアス】 「ただ壊れづらくて、より人間らしい人形が作れるだけですよ。それ以上の何者でもありません」 【リチェル】 「ルシアス様は私のお客様よ。しばらく二人でお話ししてもいいかしら?」 【クルツ】 「ああ、ルシアス様に失礼の無いようにな」 クルツ氏は部屋を出て行く。 【リチェル】 「邪魔な人はいなくなったわ。もう、何を話してもいいわよ?」 【リチェル】 「まずは、嘘も真実も含めて、ありがとうと言った方がいいのかしら? それとも、あなたは自分に利益を誘導したいだけなの?」 【ルシアス】 「俺の真意はどうあれ、あなたは少なくても人形を必要としているはずだ。 俺はこう見えても世界一の人形師だからね」 【リチェル】 「お父様と同じで、わかったような口をきくのね……。 私に遺跡で出会っただけで一体、何がわかったの?」 【ルシアス】 「あの日、あなたは馬車を近くに置いていたにも関わらず、俺から走って逃げなかった。 人目を忍んで遺跡に行っていたにもかかわらずだ」 【ルシアス】 「それと、直立していた時の重心のかかり方が妙だった。 馬車をあそこまで近づけていたなら、ろくに歩いてもいないから疲れていたわけでもないはずなのにだ」 【ルシアス】 「つまり、あなたは疲れていたわけじゃなく、身体が生まれつき弱いんだ。 外出が許可されている公園も、歩いて1分の距離だしな」 【ルシアス】 「そんな近いところを、遊び場にするというのはあなたの年齢からして、普通は考え辛い。 親も過剰に心配するあたり心臓が悪いんじゃないのか?」 【リチェル】 「まるで、私を昔から知っているみたいね……。 そうよ、私の命はそう長くないわ……」 【ルシアス】 「今日は多くを語ろうとは思わない。 もし、人形を製作したいなら、俺に頼んでくれ。 他の誰かに頼むよりは確実だ」 【リチェル】 「わかったわ、考えてみる。 でも、一つ聞かせてほしいの。 あなたは世界一の人形師なんでしょう?」 【ルシアス】 「ああ、技術で俺に勝てる奴は存在しない。 もし、違っていたら俺の首をやるさ。物理的に」 【リチェル】 「世界一の人形師が、何故私の人形を作ろうと思ったの? それを聞かせて」 【ルシアス】 「生きているのが勿体ないと思えるぐらい君が美しいからだよ。それだけのことさ」 【リチェル】 「そうなんだ……なら、あなたに頼む価値はあるかもね……お父様とあなたは違うみたいだから……」 俺は今もまだ、彼女の言ったこの言葉の意味がわからない……。 それから俺とリチェルはほとんど言葉を交わすことなく、時間が刻々と過ぎていった……。 ☆工房 夜☆ 【リチェル】 「お帰りなさいませ、ルシアス様。 計画は成功いたしましたでしょうか?」 【ルシアス】 「ああ、俺の読み通りだ。内心ヒヤヒヤしてたけどな」 【リチェル】 「この時代に生きているはずのルシアス様が居ないように、私達が未来から持ち込んだものは、この世界では消滅しているようですね」 【ルシアス】 「あのブローチは、リチェルが死んだ時の形見分けで貰ったものだからな。 お前が常に身につけていてくれて助かったよ」 【リチェル】 「工房は、ルシアス様の命令通り閉めておきました。 私の姿は誰にも見られておりません」 【ルシアス】 「明日から、リチェルの所に通うことにする。 当分の間、工房を休業との張り紙をしておいてくれ」 【リチェル】 「了解いたしました。作戦の成功を期待しております」 ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「ねえ、私はあなたにとって、どう見えているの?」 俺は、椅子に座るリチェルをデッサンする手を止める。 【ルシアス】 「君は、すごく人形として作りやすく見えているよ」 【リチェル】 「人形師としての意見は求めてなかったんだけどなあ……」 【ルシアス】 「正直に言うのは恥ずかしいんだけどね。 君は元から人形みたいだからさ。 そして、女の子が欲しがる人形はどんなものかな?」 【リチェル】 「……そういう風に言われる方が恥ずかしいわよ……。 でも、嬉しい……」 【ルシアス】 「喜んでくれて嬉しいよ。 それじゃ、頬に当てた手を下ろしてくれ。 デッサンを続けるよ」 彼女の顔を綺麗に描き写し、全身の骨格バランスを重視してデッサンをとる。 このデッサンを元に、全身の骨格パーツの形状を予測し、素体から削り出す作業が行われる。本来ならば。 【リチェル】 「ねえ、あなたについて、いくつか聞いてもいい?」 【ルシアス】 「口だけを動かすなら、何でも聞いていいよ 話しながら作業して手元が狂うほど、俺の技術は甘くないからね」 【リチェル】 「あなたは、何故人形師になったの? 世界一になりたいという目的はなんだったの?」 【ルシアス】 「きっかけは俺の祖父が死んだ時だった。 親戚一同で葬式をあげた後に宴会になったとき、祖父そっくりな人形がその場にいたことに驚いた」 【リチェル】 「おじいさんのことが好きだったから、印象に残ってたの?」 【ルシアス】 「いや、それまでは遊びに行ったらお小遣いをくれるという存在ぐらいにしか認識してなかったんだと思う」 【ルシアス】 「でも、死んだ本人の精神を転写された人形が、今までの祖父以上に、生きていることを喜び、宴会ではしゃいでいるのを見ると、良い仕事もあるんだな、って思って」 【ルシアス】 「まあ、その後バカみたいに遊び歩いたせいで部品がすぐに摩耗して8年で壊れたけどね。 それでも、本人は幸せだっただろうさ」 【リチェル】 「じゃあ……私も人形になれば、この先何十年も生きられるの? ずっとこのまま……?」 【ルシアス】 「人形師は魂の存在を信じない……。 信じているなら、人形師失格なんだ」 【リチェル】 「どういうこと……?」 【ルシアス】 「古代文明から人形に魂をそっくりそのまま転写するという技術しか真似することができなかった。 それだけでしかないんだよ」 【ルシアス】 「魂を人形に転写すれば、元の人間の精神は死んで、肉体も死を迎える。人形側は精神も性格も記憶も移植される」 【リチェル】 「でも、それを不老不死って言うんじゃないの?」 【ルシアス】 「元の肉体が空っぽになって、次の器である人形に移し換えられるという前提を念頭に置きすぎるから話がおかしくなるんだ……」 【ルシアス】 「もし、精神を転写する際に最新の記憶の数日分を意図的に削ることができたら?」 【ルシアス】 「もし、移植元の精神が消去されることなく、同じ精神と記憶を持った存在が複製できるとするのなら? その場合はどうなる?」 【リチェル】 「確かにそれは……同じ魂の存在だとは言えないわ……」 【ルシアス】 「古代人は、実際にそれらを実行出来たという文書が残されている。 俺達が真似できたのは、現在使われている技術だけなんだ」 【ルシアス】 「現に、精神を転写する際の事故で、人格や記憶が半分だけ人形に移植されたという事例がある。 だから、魂の存在を信じるのは、モグリだということさ」 【ルシアス】 「リチェル、期待はずれだったかい? 自分の望んでいる未来の当てが外れたかな……?」 リチェルは、穏やかな顔で首を横に振った。 【リチェル】 「首を動かしてごめんなさい。 私はこれで満足よ。 こんな楽しい生活、初めてだもの」 【ルシアス】 「話が戻るけど、俺がなんでこんな救いのない仕事で頂点を目指したのかは今でもよく解らない」 【リチェル】 「人形でも喜んでくれる、遺族の気持ちが嬉しいとか? それとも、人形に希望を託す依頼者の気持ちに応えたいとかじゃないの?」 【ルシアス】 「きっと違うな……ただ、たまたま才能がこっちに向いていただけだと思う。だから、努力も苦痛じゃなかった」 【リチェル】 「この仕事に誇りはあるんでしょう?」 【ルシアス】 「人形師の存在を否定されても、俺は怒れないよ。 事実、そこまで人を救えている仕事じゃない。 満足している人の大半は遺族であって本人じゃない」 【ルシアス】 「本来ならば、遺族が人の死を受け入れることが出来さえすれば、少なくても精神転写の為の人形は必要ないんだ」 俺自身が、それを何より出来ていないけど…… 【リチェル】 「ううん、そんなことないわよ。 私は、この人形製作で救われてるもの。 お父様以上に、喜んでいるという自信があるわ」 【ルシアス】 「まあ……それはさておき、俺は一番になりたいわけじゃなかった。 ただ、下手くそな人形を誇る奴等の鼻を明かしたかった」 【ルシアス】 「俺より技術も感性も劣った奴が、偉そうな顔をしているのが許せなかっただけだよ」 【ルシアス】 「それに、俺は綺麗な人形が好きだった。 誰もが惚れるような人形を完成させたい。 そんなことを繰り返しているうちに一番になってた」 【リチェル】 「そうなんだ……羨ましいな、そういうの……」 【ルシアス】 「他人に目を向けてない、ただの自己愛者さ。 美という概念を通すことでしか、他人の価値を判断できないだけかもしれない」 【リチェル】 「でも、あなたは世間一般的な狭い見識や、その場の感情で何かの価値を判断しないわ」 俺の脳裏に、クロードの傍若無人ぶりが浮かぶ。 【ルシアス】 「確かにそうだな。じゃあ、綺麗な顔が名残惜しいが、後ろ姿のデッサンをとらせてもらうよ」 リチェルは言われたとおり、俺から背を向ける。 【リチェル】 「やっぱり、あなたに頼んで良かったわ」 【ルシアス】 「俺の腕が確かだからか?」 【リチェル】 「いろんな意味で。 あなただからこそ、私の夢は叶えられるもの」 【ルシアス】 「それが何か教えてくれないか?」 【リチェル】 「人形が完成した日に教えてあげる……。 あなたじゃなければ、嫌だから……」 あの大切な時間が再び訪れている。 あれだけ衰えていた俺の技量は、見事に取り戻されていた。 デッサンに描かれたリチェルは、寸分狂わず同じだった。 ☆工房 昼☆ 眠っている俺の瞼にしなやかな指が当てられてこじ開けられる。 【リチェル】 「ルシアス様、目を覚ましてください。 今日は工房を開かなければならない日です」 【ルシアス】 「命令する。今後、俺の目をこじ開けて起こさないように。 例え、クロードの提案が絡んでいたとしてもだ」 【リチェル】 「了解いたしました。 早いですが、食事の準備が出来ております。 すぐに召し上がってください」 【ルシアス】 「今日は、彼女に別な用事があるから、館へ出向けないんだったな……」 時間を無駄遣いしているようで焦燥感に狩られるが……。 それでも、こちらはすでにリチェルの身体が完成している。 焦ることはない。 俺はリチェルを人目に付かないように工房の奥へ隠し、食事を取ることにした。 朝食に口を付ける前に、景気よくチャイムが鳴り、来客を告げる。 【クロード】 「おう、ルシアス! 暇だろ! 暇だな! 暇なはずだ! 俺様が暇だと確信したんだからな というわけで、きりきり働け暇人!」 【ルシアス】 「見てわかるだろ。食べることに忙しいんだぞ」 【クロード】 「嘘をついちゃいけないねえ。 なんで手間のかかるポトフが朝から食えるんだ? 一人暮らしの人間が早起きして作る食事じゃねえよ」 しまった……リチェルが工房の手伝いをしない朝は、手間のかかる物が食べたいという命令を解除するのを忘れていた……。 【ルシアス】 「わかった……で、どんな仕事をすればいいんだ?」 【クロード】 「内骨格アルシノエ22型人形の肉付けだぜ。 表情のみ人工筋肉を植え付けて、後は別紙に掲載されたデッサン通りにボディを形作る」 【クロード】 「期限は明日までだ。あんたなら出来るはずだぜ。 もちろん、特急なだけに料金は弾ませてもらわあ」 【ルシアス】 「ちょっと待ってくれよ!  確かに不可能じゃないが、間違いなく徹夜だ! 明日、人形製作依頼者の所に出向く約束があるんだぞ!」 【クロード】 「そんなこと知らねえよ。 俺様に報告せず仕事を受けるなら、その範囲は自分で責任を持てって言ったはずだよな?」 【クロード】 「誰とどんな契約を結んでるかは聞かねえし、これからの仕事はあんたに聞いてからにするけどよ。 今日の依頼は何としても受けて貰うぜ?」 【ルシアス】 「わかった……確かに俺に非があるよな……。 くそっ、今から取りかかる! クロードが手伝ってくれれば、明日の約束も守れる!」 【クロード】 「悪いけどな、俺様も今日は別な用事があるんだよ。 明日の用事は諦めな。 大丈夫、約束を守れないぐらい許してくれるって」 リチェルの機嫌を損ねたら、後々のことが、まずいんだって! 俺は心の中で訴えたが、人形のリチェルの存在を知られるわけにはいかない以上、詳しい事情を話すわけにもいかない。 【ルシアス】 「わかった! とっとと行ってくれ! 俺は作業に没頭する!」 【クロード】 「はいはい、信じてますぜ、あんたは何せ世界一だからな。 じゃ、これが素体とデッサン資料。明日の朝、受け取りに来るぜ〜」 クロードは頭の後ろで腕を組みながら堂々と工房を出て行く。 本気で俺の実力を信じているんだろう。 【ルシアス】 「くそっ、しかもこんなときにアルシノエ型が依頼されるなんて……!」 内骨格モデルは、素体の削り込みをしなくていい代わりに、外側の肉付けのバランスを取るのが難しい。 更に言えば、肉となるシリコンを大量に使うことになるから、途中で材料の補給が必要となりやすい。 途中で材料の買い足しに行ったら、明日、リチェルの家を訪れる約束の時間には間に合わないな……。 始まる前に買いに行くと、製作機械に火を入れるのが遅くなって作業全体が遅延するから、余計間に合わないし…… 俺はシリコンの材料を引っ掻き集めるが、保管で劣化しないように、大量には買い付けていないため、当然の如く足りなかった。 【ルシアス】 「リチェル! 緊急事態だ! こっちに来てくれ!」 【リチェル】 「命令優先度を確認。命令を一時的にお聞きします」 【ルシアス】 「シリコンの材料を買い足してきてくれ! 俺はその間に機械に火を入れて、製作を続ける!」 【リチェル】 「しかし、私が街の人に目撃されるのは、リチェル様の関係上、問題があるかと思います」 【ルシアス】 「大丈夫だ。俺が人形師の力で変装させる。 今の服も、彼女から貰った服ではないから気付かれないはずだ」 【リチェル】 「それなら問題はないかと思います。 命令を了承いたしました」 俺はリチェルの髪にネットと黒いストレートのウィッグを被せ、眉を書き足し、アイラインを入れて、彼女が絶対にやりそうにない妖艶な印象を作り出した。 これならば、家族どころかリチェル本人が見ても彼女を模した人形とは思えまい。 絶対の自信が俺にはあった。 【ルシアス】 「変装は完璧だと思うが、安全を期したい。 住所が特定される馬車は使わず、徒歩で行け。 人目に付かないよう、できるだけ急いで欲しい」 【リチェル】 「了解いたしました。命令を実行します」 リチェルは工房のドアに向かう時点から走り始めた。 あれなら、すぐに帰ってくるだろう。 俺は、自分の作業に取りかかり始めた…… ▲人形リチェル視点 ☆街中 昼☆ 世間一般的な女性の走る速度である、時速12キロほどを維持。これにより、怪しまれず目的地へ移動可能。 目的はシリコン原料を20キロほど購入。 馬車が使えないことから、原料店でカートを借りて輸送するのが最良と判断。 目標まで、残り2キロメートル。 走り続けて息を荒げないのも不自然と判断。 途中で歩くペースを織り交ぜることにする。 人通りの多い大通に差し掛かる。 通行人と衝突し、謝罪するのは命令を阻害すると判断。 ここで遅く歩くペースを織り交ぜる。 自分に向かい、近寄ってくる女性を認識。 この場からの逃走は逆効果と判断。 女性との会話に移行する。 【女】 「お嬢様! 屋敷を抜け出るのは私も目を瞑りますけど、走るなんて、なんて無理をするのですか! さっきから見てたのですよ!」 会話を円滑にするため、感情を表出するべきと判断。 【リチェル】 「えーと、誰かと勘違いしているんじゃないですか? 私は、お嬢様と呼ばれる人じゃないんですけど……」 【女】 「いーえ、誤魔化しても私にはわかりますよ! 何たって、人の本質を見るお仕事なんですから! ほら、帰りますよ! ついてきなさい!」 手を掴まれる。 抵抗を試みるべきか、服従するべきか確認する。 【リチェル】 「いやです! 離してください!」 【女】 「そんなに暴れるようなら、療養施設に入院することを旦那様に勧めますよ! 今は人形を作っている大事な時期なんでしょう!」 非常に現在の状況は危険。 リチェル様と誤認されている。 抵抗はルシアス様と彼女の接触を断絶する可能性あり。 ルシアス様の命令優先順位を確認。 ルシアス様とリチェル様との接触、友好関係の成立を最優先する必要あり。 この女性に服従するべきと判断。 抵抗を終了する。 【リチェル】 「わかったわ。暴れてごめんなさい……。 大人しく屋敷に戻るわよ……」 【女】 「それじゃ、屋敷まで送ってあげるわ。 あなたは綺麗なんだから、長生きしてくれないと。 私が作ったドレスは生きている間にしか着れないんだから」 女性の職業を仕立て屋と認識。 私の骨格を記憶していたため、露見したと思われる。 女性は、私に付き添い目的地へと移動する。 ☆リチェルの館 外部昼☆ 【仕立て屋の女】 「それじゃ、今日のことは内緒にしておいてあげるから……もう、走ったりしちゃダメよ?」 塀に埋め込まれている門を開かれ、内部に強制移動させられる。関係者に捕捉される可能性あり。危険。 正面からの脱出は、女性に再び見つかる可能性あり。 しばらく、遮蔽物に身を隠すのが最良と判断。 同時に脱出経路を探索する。 ☆背景 黒☆ 屋敷の裏側に生えている草の影を探索。 塀に開いている穴を発見。匍匐で脱出可能。 再び女性に捕捉される可能性低し。 匍匐にて脱出を実行。 ☆背景 白☆ 仕掛け網により、捕獲される。 脱出は不可能と判断。 全面的に服従し、問題を拡大しないよう行動する。 【リチェル】 「あー……泥棒を捕まえるために、一カ所だけ抜け道を作って、そこに罠を仕掛けるのって、本当に効くのね……。 お父様のアイデアもたまには当てになるわね……」 顔に接触する網により、化粧が落ち、ウィッグが外れたのを認識するが、拘束されている現状では修復は不可能。 【リチェル】 「よーし、今捕まえに行くんだからね!  じっとしてなさいよ!」 窓から見ているリチェル様が、こちらへと移動する。 ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「あなた誰? 気味悪いぐらい私にそっくりね……。 とても人形には見えないし……」 現状では丁重な扱いを受けている。 他の家族が外出しているらしく、自分の存在はリチェル様にしか把握されていない。 現時点では黙秘を貫き、相手の反応の変化を待つのが最良と判断。 【リチェル】 「黙ってたらわからないわよ。 はあ……とりあえず、何か飲む?」 紅茶が目の前に出される。 【リチェル】 「飲んでも大丈夫よ。毒なんて入ってないわ」 沈黙を続行。 【リチェル】 「これ以上、黙りを決め込むなら、泥棒だと見なして、出るところに出てもらうけど?」 【リチェル】 「申し訳ありません。私は飲み物が飲めないのです」 【リチェル】 「やっと喋ってくれたわね……。 でも、どうして飲めないの?」 これ以上の詐術の使用は、状況を悪化させると判断。 【リチェル】 「私は人形なのです。飲食物を口にすることは不可能です」 【リチェル】 「えっ……こんなに人間そっくりの人形があるなんて……!」 リチェル様が私を注視する。 【リチェル】 「でも、おかしいわね……額面通りに受け取るなら、ルシアスさんが人形を作り始めたのは昨日よ? いくら何でも早すぎるじゃない……」 【リチェル】 「あー、うーん、そうね。わかったわよ。 つまりは、こういうことね?」 【リチェル】 「ルシアスさんは私のことを昔から知ってて、一目惚れするとかして人形を作ってた変態なんでしょ?」 【リチェル】 「で、私と遺跡で偶然会ったふりをして、ブローチを掠めとって、人形製作の依頼を受けて親しくしつつ、話のつじつまを合わせようと、製作する振りをしてたってわけね?」 【リチェル】 「ねえ、この意見に反論できる? そうでなければ、ルシアスさんにこの屋敷の敷地を歩かせることはできないんだけど」 ルシアス様の命令の優先順位により、真実を伝えることがこの場合は許可されると判断。 【リチェル】 「真実を申し上げます。 ルシアス様と私は未来から来た存在なのです。 詳しくお話しすると長くなるのですが……」 ルシアス様がリチェル様と愛し合った事実を現時点で伝えることは彼女の反発を招く可能性があると判断。 偶然にも我々が、この過去に迷い込んだため、未来を元通りの形で進めるために、リチェル様と接触する必要性があったと話を書き換える。 そして、リチェル様が前の世界では精神を転写する前に死んだため、この世界ではその未来を書き換えたいと願っていることを伝えた。 【リチェル】 「とても信じられないけれど……。 確かに、ブローチを盗める機会はあの日だけだし……。 拾ったにしてはできすぎてるわね……」 【リチェル】 「私の目的は、リチェル様の精神を私に転写して頂くことです。賛同して頂けませんか?」 【リチェル】 「でも、そうなると……」 リチェル様が難色を示していると予測される。 【リチェル】 「私から申し上げるのも恐縮ですが、ルシアス様は人形師として最高の技術を持っております。 彼に不平不満がおありですか?」 【リチェル】 「うん……私も彼のことは信じてるわ。 でも、あなたはそれでいいの? 誰かの代わりになるだけの存在だなんて……」 【リチェル】 「私はそれが使命です。 そこに何の感情が挟まることはありません」 【リチェル】 「あなたは、ルシアスさんと自分の目的のためなら何でもするのね……わかったわ。精神転写の約束をしてあげる」 【リチェル】 「ありがとうございます! これで、私はルシアス様のお役に立つことができます!」 【リチェル】 「なんだ、やっぱり感情があるんじゃない。 そんなに喜んで……」 【リチェル】 「申し訳ありません、あなたの死を喜ぶようで不愉快だったでしょうか?」 【リチェル】 「気にしてないわ。でも、約束して欲しいことがあるの。 あなたの存在が、私に知られていることを絶対にルシアスさんには話さないで」 【リチェル】 「命令優先順位に問題なし。了承いたします」 【リチェル】 「あと、もう一つだけお願いがあるの。 少し、あなたに迷惑を掛けてしまうけど……」 【リチェル】 「条件次第で承ります。お申し付け下さい」 【リチェル】 「それはね……」 ☆工房 夕☆ ▲ルシアス視点 【リチェル】 「申し訳ありません、いつもの仕入れの店にて、20キロ分のシリコンがなかったため、別の店を探して遅れました」 【ルシアス】 「伝票も確かに二つあるな。 大丈夫、作業に穴を開けるほど遅れてはいない。 ご苦労だった」 【リチェル】 「ルシアス様、明日はきっといいことが起きますよ」 【ルシアス】 「リチェルらしくない言葉だな。何かあったのか?」 【リチェル】 「いいえ……ただ、そう思っただけです。 それでは、夕食の準備を致します」 【ルシアス】 「うーん……?」 ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「ルシアス! 一体何してたのよ!」 【ルシアス】 「何って……時間通りに来ただけだけどな……」 【リチェル】 「もっと早く来てもよかったのに……。 人形製作の前にお茶ぐらい嗜むのが紳士らしくて格好良いじゃない」 【ルシアス】 「妙に機嫌が良いな。何かあったのか?」 【リチェル】 「うん! でもルシアスには内緒! でも、いずれわかるわ。だから教えない!」 【ルシアス】 「っていうことは、きっと俺に絡むことなんだな? 期待してるよ。リチェルのことは、結構好きだからな……」 【リチェル】 「もう、そんなこと隠さなくてもいいのよ? 私だって鈍感じゃないんだから……」 【ルシアス】 「たった3日で、俺のことが理解されるなんて運命的なものを感じるな……。 それじゃ、運命的な出会いを永遠にする仕事を始めるか」 俺は巻き尺を首に掛け、リチェルの身体の測量を始める。 【ルシアス】 「それでは、失礼します」 【リチェル】 「別に、許可なんて取らなくてもいいのに……」 【ルシアス】 「それじゃ、いくよ」 【リチェル】 「私が意味してるのは、そういうのじゃないんだけどなあ……」 俺は一番最初にリチェルのスリーサイズを計測する。 上から78、56、80だ。 次に、両腕を床と平行に広げさせ、腕の長さの計測を始める。 【リチェル】 「こんな測量だけで大丈夫なの? 人形を作るなら、私の体に粘土をつけるとかして、型を取るかと思ったんだけど」 【ルシアス】 「それは骨格に直接皮膚を張る外骨格タイプしか使えない。 内骨格タイプを作る場合、測量を元にして、モデルの骨の太さや長さなどを全部予測して作る」 【ルシアス】 「身体を切開して骨を見るわけにはいかないから、人間の筋肉や骨格のバランスなどを、人形の肉付けの段階で経験と勘で取っていくことになる」 【リチェル】 「だから、内骨格タイプは価格が高いのね……」 【ルシアス】 「内骨格型は、ダミーの筋肉を植え付けることで、表情や筋肉の収縮による身体の自然な運動を再現できるという利点もあるし、関節の動きが柔軟なんだ」 【ルシアス】 「また、骨格パーツの重量が少なくなることから、運動で身体にかかる負荷が少ない。結果として壊れづらくなるんだよ」 【リチェル】 「でも、壊れたらその部分を取り替えればいいんじゃないの? 大体のモデルの寿命が10年ぐらいって短いような……」 【ルシアス】 「骨格パーツの素材は何でも使えばいいっていうもんじゃないんだ。 精神中枢からの命令を伝達する素材じゃないといけない」 【ルシアス】 「骨格パーツが摩耗したり、ヒビが入ったりするとそこから精神伝達に過剰な負荷がかかり初め、最後には、精神中枢そのものに異常をきたして修理が出来なくなるんだ」 【ルシアス】 「10年ぐらい経つと、いろんなところが立て続けに壊れ始める。そうなると、直しても直しても、精神中枢の消耗は避けられないというわけさ」 【リチェル】 「でも、私のモデルは、内骨格型とはいえ、桁外れに寿命が長いんでしょ? それはどうして?」 【ルシアス】 「人形師は、古代文明の技術を復元こそしたけれど、当時から比べればレベルの低い素材しか、現在では開発できていないんだよ」 【ルシアス】 「だから、素材そのものの軽量化は現状では不可能だ。 人間の進化によって得られた内骨格を再現することでパーツレベルでの最良の軽量化が可能になる」 【ルシアス】 「さらに、君に使われる素材はアデルフ遺跡から発掘された、今では製作できない古代文明の遺産だ。 精神を伝達する力と、もの凄い頑丈さを備えている」 【リチェル】 「そうなんだ……じゃあ、人形になった私の方が、ルシアスより長生きしちゃうんだね……」 【ルシアス】 「気が早いなあ。俺と一緒に暮らすのを考えるのはちょっと先走ってないか?」 【リチェル】 「誰もが自分の気持ちを真っ直ぐに表すと思ってるの? それが一番いいことだと本気で思ってる?」 【ルシアス】 「君もやっぱりまだ子供だな。 俺がそんなことを本気でわかってないと思ってるのかな? 君から言われたいんだ。俺はね」 【リチェル】 「も、もう……! そうよ、私はあなたが好き……。 たった3日しか会っていないけど、それで十分……!」 【ルシアス】 「わかった、約束するよ。俺が死ぬまではずっと一緒だ。 君から見れば短い命ではあるけれど、君を幸せにする。 その力が今の自分にはあると信じて欲しい」 【リチェル】 「ええっ……! それこそ気が早くない? そんな歯の浮くようなことを言えるなんて……」 【ルシアス】 「君はやっぱり子供だな。 大人の恋は時間がかからないものさ」 【リチェル】 「私がおかしいのかな……うーん……?」 【ルシアス】 「それは、君が次の恋をしない限り、永遠にわからない謎だろうね」 【リチェル】 「なら、わからなくてもいいかな……」 【ルシアス】 「ありがとう、嬉しいよ」 この幸せは夢ではない。間違いなく現実だ。 自分はこんなに幸せでもいいはずなのだ。 古代文明が俺の祈りを認めたのだから。 ☆工房 夜☆ それから、毎日のように俺はリチェルの館で仕事をする振りをした。毎日がこの上なく充実していた。 もう、リチェルとの幸せな未来は約束されたようなものだろう。 焦燥感に身を焼かれるようなことも、もはやなかった。 【ルシアス】 「ん……妙に時間がかかってるな……?」 【ルシアス】 「リチェル、どうしたんだ? まだ、頼んだ本は本棚から見つからないのか?」 【リチェル】 「申し訳ありません、まだです。 しかし、ルシアス様、勘違いをしておられませんか? 旅行の際に鞄に入れたまま、本棚に戻していないのでは?」 【ルシアス】 「そんな馬鹿な。俺は旅行の後、この工房にやってきたその日に、本をさっき伝えた場所に戻したぞ? それから一回も取り出してないんだ」 【リチェル】 「泥棒でも入ったのでしょうか? しかし、毎日鍵を閉じてありましたし、金銭には全く手を付けられておりませんし……」 【ルシアス】 「しかも、人形の図鑑だから、さほど世間一般的に価値があるわけでもない。一体どうなってるんだ?」 何かの勘違いに違いない。 俺はそう思うことにした。 ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「ルシアス、お待たせしてごめんなさい! 今日もよろしくね!」 【ルシアス】 「今日は何があったんだ? この前もこういう日があったと思うんだけど」 【リチェル】 「今日は宝石職人にアクセサリーを作る相談をしてたの!この間はドレスの仕立て屋との相談よ」 【ルシアス】 「そうか……ちょっと今日の俺の用事は時間がかかるぞ。 表情を作る筋肉の動きをスケッチしないといけないからな。 この時間から始めると、夜になるけどいいかな?」 【リチェル】 「もちろんいいわよ。 折角だから、一緒に食事でもどう? 今日は中心街の一流料理人を呼んでるんだから!」 【ルシアス】 「なんだか、申し訳ないな……。 でも、リチェルの好意なら、喜んで受けるよ」 俺はスケッチの準備をしながら、部屋の中を見渡す。 こうやって、改めて見てみると…… リチェルの館は、贅沢品で溢れている。 これ以上の品質がないという物ばかりだ。 スプーンやフォークにいたるまで銀器だし、櫛も水牛の角で出来ている。 リチェルの服も、日常生活では必要ないほど豪華だ。 金持ちの道楽や美術に対する投資という範疇を超えた何かを感じさせる。 【ルシアス】 「リチェル、唐突だけど、俺はそこまで金持ちじゃないぞ? なろうと思えばなれるけどな……」 【リチェル】 「別にそんなこと期待してないわよ? 私が、贅沢好きの浪費家だと思った?」 【ルシアス】 「それを堂々と言えるのは、使う金がないほど貧しい人だけだと思うけどなあ」 【リチェル】 「そんなこと気にしなくていいの! 私はあなたが好きなんだから!」 【ルシアス】 「わかったよ、お嬢様。 好意を素直に受け取ることにするさ」 俺は言葉を収めたが、何か違和感を感じていた。 ここまで恵まれている彼女が、簡単に恋愛至上主義になりきれるものだろうか? 恵まれているからこそ、金で買えない恋愛に憧れる。 確かにそれはあるだろう。 だが、彼女は絶世の美女だ。 寿命が短いことを差し置いても、求婚の誘いぐらいは望めばいくらでもあるはずだ。 わからない。 わからない方が幸せだと思い、俺は思索を打ち切ることにした。 ☆リチェルの館 夕☆ 【ルシアス】 「よし、スケッチはここで一旦区切ろう。 夕食まで休憩を取るとしようか」 【リチェル】 「うん。いろんな表情をそのまま維持するのって疲れるしね……」 【ルシアス】 「口の周りの筋肉が疲れただろう? 無理に今日は俺と話さなくてもいいよ」 【リチェル】 「そうね、本を読むことにするわ」 リチェルは本棚から買ったばかりだと思われる、綺麗な本を取り出す。 【ルシアス】 「何を読んでるんだ? 難しそうな本だけど」 【リチェル】 「あなたのことを、もっとよく知ろうと思って買ってきたの! 昨日作られたばかりの本なんだって!」 俺はリチェルの背中越しに本を覗き込む。 【ルシアス】 「……! これは……!?」 本棚から消えた、人形の図鑑……!? リチェルが盗んだのか……? いや、待て。そうとは限らない。 どう見ても、この本は最近買ったばかりの新品だ。 それに、ページを見る限り、俺の書き込みも全くない。 【リチェル】 「あなたの行きつけの本屋で買ってきたの! ルシアスが絶対買うということで、店の方で1冊だけ仕入れてたんだけど、私が買っちゃった!」 【ルシアス】 「その……店主は、俺じゃなくてリチェルが買うことについて何か反対してなかったか?」 【リチェル】 「私が読み終わったら、ルシアスにあげてもいいし、私から買ったことをあなたに伝えておけば、また仕入れてくれるっていうことで、売ってくれたわよ?」 【ルシアス】 「ということは、つまり……?」 その後、豪華な夕食は、ほとんど喉を通らなかった。 ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「どうしたの? 今日のルシアスは何か元気がないような気がするんだけど……」 【ルシアス】 「いや、人形の完成日がいつぐらいになるか見えてきたから、作業に没頭して疲れただけだよ……」 【リチェル】 「そうなんだ? でも人形が完成しても、私はまだまだ元気だし、精神転写はもっと後でいいでしょ? 魂の存在は信じてはいけないんだから……」 【ルシアス】 「その気持ちはよく解るよ。 でも、リチェルの身に、万が一何かがあったら……」 【リチェル】 「でも、ルシアスの都合で、私の寿命を自由にされたくはないなあ……一体何があったのよ?」 【ルシアス】 「君が心配なだけだよ。本当にそれだけさ……」 真実はとても伝えられなかった。 ☆工房 夕☆ 【リチェル】 「いかがでしたか? ルシアス様」 【ルシアス】 「ダメだ、とても真実を伝えられる状況にない……。 このままだと、リチェルも彼女も……」 【リチェル】 「本日、クロード様からの手紙が投函されておりました。 今回の人形コンテストの賞品が先日、アデルフ遺跡から発掘されたタリスマン型の素体に決定したそうです」 【ルシアス】 「リチェルがこの時代に来ることで、元の身体が永久に消えていることを期待したが、もう逃げ場がないな……」 【ルシアス】 「元の時代に帰ることを考えないといけない……。 そうしないと、リチェルが消えてしまう……」 【リチェル】 「しかし、現時点では帰る方法が見つかっておりません。 それに、リチェル様の精神転写の件を説得しなければ、目的を達することはできません」 【リチェル】 「コンテストでの優勝を狙い、タリスマン型の素体を我々が再び手に入れるという手もありますが……」 【ルシアス】 「それは難しい……3年前の俺はクロードに何度も頭を下げて、美しいモデルの順番待ちをしてたんだ。 今からモデルを依頼しても、他人に雇われてるだろう」 【ルシアス】 「俺も世界一の人形師だから、想像力と感性だけで人形を組み上げることは不可能じゃない。 でも、時間がかかるし、この場合は勝てるかどうか……」 【リチェル】 「そうですね……それに、我々がこの世界に居続けられるという保証もありません。 特定の時期を過ぎると、戻されるかもしれません」 【ルシアス】 「もう一つ、手段はある。 リチェルに、真実を伝えることだ。 今のリチェルなら、納得してくれるかもしれない」 【リチェル】 「それはなりません! 危険の度合いが高すぎます! 最終手段にすべきです!」 【ルシアス】 「あ、ああ、それは百も承知だよ。 これは最後の最後で実行すべきだ。 そうだな、とりあえずは……」 ☆工房 昼☆ 【ルシアス】 「リチェル……行ってくるよ」 【リチェル】 「早まった行動だけは、控えて下さい……」 それ以上、何も言葉を交わすことが出来ず、俺は工房を後にした…… ☆リチェルの館 昼☆ 【リチェル】 「ルシアス、なんか眠そうね? 大丈夫?」 【ルシアス】 「ああ、昨日もちょっとリチェルの人形製作にのめり込んじゃってな。 本当に仕上がりは綺麗になるだろうから期待して欲しいな」 【リチェル】 「そうね……私も、もうそろそろ精神を転写してもいいかな、って思ってるの。 だから、人形が出来上がるのを楽しみにしてるわよ?」 【ルシアス】 「嬉しいけど……家族のみんなはそれで納得するのか? 君自身の寿命が短くなることを意味するんだぞ?」 【リチェル】 「大丈夫よ、お父様は人形のことなんて全然詳しくないから、魂の存在が引き継がれると思ってるし。 それに、私がこのまま生きてても……」 【ルシアス】 「わかった……リチェルが決めたなら、何も言わないよ。 それじゃ、近いうちに……」 その時、部屋の扉が開いた。 【クルツ】 「リチェル! 取り込み中すまないが、話がある! とても喜ばしい話だ! お前の行動は褒められたものじゃないが、目を瞑ろう!」 【リチェル】 「お父様……? 一体何があったというの……?」 【クルツ】 「今更誤魔化さなくてもいい。 それに私は、お前を責めたりはしないよ。 お前に縁談が持ち込まれたんだ。心当たりがあるだろう?」 【リチェル】 「うそ……! 私そんなの知らないわ!」 【ルシアス】 「縁談とは……一体どういうことです? 口を挟んで失礼ですが、クルツ様がリチェル様に紹介したのですか?」 【クルツ】 「私は娘の気持ちを無視するような真似はしないよ。 リチェルが、ときどき館を抜け出して、中心街に遊びに行っていたんだ」 【クルツ】 「まあ、こういうことが前にもなかったわけじゃないんだが、今回はどういう訳か一度も発覚しなくてね。 先方の挨拶があって、初めてわかったんだ」 【クルツ】 「遊び先で、リチェルはその男性と親しくなってね。 是非、一度縁談を兼ねた話をしたいと向こうが申し出ているんだ」 【ルシアス】 「リチェル……? 君は一体……?」 【クルツ】 「先方が、今日一度だけ顔合わせをしたいと言っている。 すぐに準備をしなさい」 【リチェル】 「いや……! 絶対にいや……!」 リチェルは部屋から走って逃げようとする。 【クルツ】 「リチェル……! 走ったりしたら……!」 クルツ氏は、リチェルの袖を慌てて掴んで引き寄せるが、リチェルは大きくバランスを崩しながらもテーブルを掴んで体勢を立て直そうとする。 【ルシアス】 「リチェル、危ない!」 テーブルが傾き、茶の入ったティーセットが、リチェルの位置に滑り降りてきた……! 【ルシアス】 「っ……!」 俺が飛び出してティーセットを腕で弾いたことで、それらがリチェルの身体に直撃するのは防げたが、零れた茶が、リチェルのドレスを下着が透けて見えるまで濡らした。 【クルツ】 「リチェル……! 火傷は……!」 クルツ氏が心配して、腕の力を緩めた瞬間、リチェルは部屋を飛び出していった。 【ルシアス】 「お茶はかなりぬるいので、火傷の心配はないでしょう。 私もリチェル様を探します」 【クルツ】 「いや、そこまでさせるのは申し訳ない。 あなたにも大きく関わりのある話ですから、人形製作を続けて下さい。後日、お話を改めていたします」 【ルシアス】 「わかりました……今日は帰ります」 俺は、思考が完全に混乱していた。 リチェル、君は……一体何が目的なんだ? 俺のことを好きなわけじゃなかったのか……? それと、リチェルが逃げ出した時、何か違和感を感じた。 あれは一体何だったのだろう……? Σ時間経過エフェクト ☆リチェルの館 昼☆ 次の日……。 【クルツ】 「それでは、話を改めさせてもらうよ。 リチェルもよくご存じの、ライスターさんだ。 古代文明科学復元の事業で、大きく成功している方だよ」 【リチェル】 「うん……いろいろと私と親しくしてくれてありがとう……」 【ライスター】 「ルシアスさんのような、超一級人形師の力が借りられて、僕も本当に嬉しく思います」 【ルシアス】 「そう思って頂いて光栄です……それで、リチェル様とはどのようなご関係なのですか?」 【ライスター】 「いえ、僕の方から惚れ込んだだけですよ。 リチェルさんが遊び疲れていたところを、介抱して親しくなっただけに過ぎません」 【クルツ】 「隠さなくてもいいのですよ。 リチェルもあなたと遊んで、楽しそうにしていたのは想像が付くのでね」 【ライスター】 「こういうのも傲慢なのですが、嫌がられているという雰囲気ではなかったですね」 【ルシアス】 「そう、ですか……」 リチェル……? 一体君は何を考えている……? 【ライスター】 「僕としても、婚約を無理に成立させようと思って縁談を持ち込んでいるわけではないのですよ。 よろしければどうかな、というだけに過ぎません」 【クルツ】 「しかし、断る理由は私としてはないのですがね。 ライスターさんとの縁談は、この上ない条件ですから。 しかし……よろしいのですか?」 【ライスター】 「ええ、世界一とも噂される人形師の力が借りられるのであれば、私は気にしません。 私は、リチェルさんの存在があれば満足なのです」 ライスター氏は、人形に魂が引き継がれると信じているのか……? そのことを専門職として伝えようかと思ったが、雰囲気に飲まれたことと、様子を見る必要があったことから、発言することはできなかった。 【リチェル】 「でも……! 私は結婚はしたくないわ……!」 【クルツ】 「リチェル、ライスターさんの前だぞ。 露骨に感情を示すのは止めなさい」 【ライスター】 「いいんですよ。気にしなくても。 僕も無理に結婚しようとは思っていませんし」 【リチェル】 「お父様、私は何があっても、結婚しないわよ。 それだけはしっかりと今言っておくわ……」 【クルツ】 「まさかとは思うが……ルシアスさんに気があるのか? そのあたりを正直に聞かせてくれないか?」 【リチェル】 「それは、その……ルシアス様でも私は……」 【ルシアス】 「リチェル……?」 今のクルツ氏の言葉を否定する必要がリチェルには存在しないはずだ……。 俺は思考が完全に混乱していた。 リチェルは俺に対して演技していたのか? だとしたら、それは何故……? 【ライスター】 「今日はルシアスさんとリチェルさんに挨拶をしたいだけでしたので、これにて失礼します。 それでは、また後日お会いしましょう……」 ライスター氏は、上品に席を立って帰っていった。 【クルツ】 「リチェル……無理に結婚しろとは私は言わない。 だが、ライスター氏とは友好関係を保ってくれないか?」 【リチェル】 「お父様は何が目的なの……?」 【クルツ】 「ルシアスさん、精神転写した人形は……本人とは全く別の存在なのでしょう? ライスター氏から聞きました。 私には、リチェルの人形が必要なのです……」 しまった……魂まで移植されるわけでないことに気付かれていたか……。 【ルシアス】 「リチェル様の死後、人形と結婚させることで、ライスター氏との婚姻関係を結ぶつもりですか……?」 【クルツ】 「そういうことだ……ローラフィールド家の財政も現在ではかなり傾いている。ライスター氏の財産が必要なのだよ」 【リチェル】 「でも……! 私はそんな目的のために人形を作ったわけじゃ……!」 【クルツ】 「リチェル……お前が人形を欲しがった理由は、不老不死を目的としたものではなかったのだろう? もう、文句はないはずだ……」 【クルツ】 「私としても、人形を作りたかったのは、思い出を引き継ぎ、元気に笑って駆け回るお前が見たかったからだ……。 わかってくれ……」 【リチェル】 「なら、私を模した人形が悲しい思いをしてもいいって言うの……?」 【クルツ】 「もちろん、ライスター氏と人形の結婚を強制するということはない。 ただ、現時点で完全拒絶をするなということだ」 【クルツ】 「少なくても、ライスター氏の事業は健全なものだし、身辺調査をしても、黒い噂は聞こえてこない。 仲良くすることぐらい妥協しても構わないだろう?」 【リチェル】 「うん……わかったわ……」 【ルシアス】 「リチェル……それでいいのか……?」 【リチェル】 「お父様……ルシアス様と少しだけ話があるの。 しばらく二人きりにさせて……」 クルツ氏は小さく頷くと、無言で部屋を出て行った。 【リチェル】 「ルシアス……ごめんなさい……」 【ルシアス】 「リチェル……俺のことが好きじゃなかったのか? なんで、遊び歩いてたんだ……?」 【リチェル】 「………………」 【ルシアス】 「黙っていたらわからないよ。 少なくても俺の方は君を信じていた。 何があったのか教えてくれ……」 【リチェル】 「ごめんなさい……ルシアスの頼みでも言えないのよ……。 今はそのことについて何も聞かないで……」 【ルシアス】 「わかった……じゃあ、一つだけ聞かせて欲しい。 君は、ライスター氏のことが俺より好きなのか?」 【リチェル】 「彼のことは嫌いじゃないわ……。 でも、あなたよりは好きじゃない……」 【ルシアス】 「でも……俺とは結婚できないんだろう?」 リチェルは小さく頷く。 【ルシアス】 「もし、生きている君自身が俺と結婚するのが嫌なら、俺は精神が転写された君の人形との結婚でも構わない。 それでも嫌なのか?」 【リチェル】 「うん……人形になった私であっても、結婚はしたくないの……」 【ルシアス】 「じゃあ、君は……嘘をついていたのか……?」 【リチェル】 「そう思われてもしょうがないと思う……。 否定もできないわ……」 【ルシアス】 「わかった……今日は帰るよ。 また、人形の製作に来る。 その時に、気が変わっていたら真実を話してくれ……」 【リチェル】 「ううん……もういいの……。 ここには、もう二度とこないで…… 私のためを思うなら、そうして欲しいの……」 【ルシアス】 「リチェル……?」 リチェルは顔を落とし、涙を流し続けた。 もう、何もこれ以上聞き出すことは出来ない……。 俺は、館を後にすることにした……。 ☆工房 夕☆ 【リチェル】 「ルシアス様……このままでは……」 【ルシアス】 「わかってる……八方塞がりだ。 彼女の精神をリチェルに転写しても、クルツ氏に取り上げられてしまう」 【ルシアス】 「でも、このまま何もしなければ、リチェルはコンテストに負けることで消えてしまう……。 もう、どうにもできない……」 【リチェル】 「ルシアス様……諦めないで下さい……」 【ルシアス】 「リチェル、もういいんだ。 彼女に愛されていないなら、この時代にいる意味は何もないよ……」 【ルシアス】 「俺は確かにリチェルに彼女の精神を転写して、幸せに暮らしたい。 でも、それが本当に正しいことか、今はわからないんだ」 【リチェル】 「彼女の精神を上書きすれば、私が消えてしまうからですか? 私のことを心配する必要は何もありません……」 【ルシアス】 「リチェルを犠牲にするしないの単純な問題じゃない。 それに、今の俺も過去にこだわっているわけでもないんだ……」 【ルシアス】 「彼女との幸せな時間はこの時代でも過ごせた。 俺はその事実にとても満足している。 でも、彼女にとっては違ったんじゃないかって……」 【ルシアス】 「未来で俺が彼女に出会った時には、もう彼女は自由に外へ遊び歩ける身体じゃなかった。 だから、あの時は俺だけを見てくれていたのかもしれない」 【ルシアス】 「リチェル、俺は魂の存在を信じてないけど人形の彼女と一緒にいたかった。でも、彼女がその未来に期待してくれるから、気持ちに応えたかったんだよ」 【ルシアス】 「今、それに気付いたんだ……。 俺は過去にこだわっていたんじゃなくて、約束を守れなかった自分を許せなかっただけなんだって……」 【リチェル】 「確かにそうなのかもしれません。ですが……。 まだ、諦めるのは早いと思います……」 【ルシアス】 「リチェル、勘違いしないでくれ……。 俺は、自分が犠牲になれば全てが丸く収まるとか、そんな浅はかなことを思ってるわけじゃない……」 【ルシアス】 「もう、ここは本来の過去とは違うんだ。 彼女にも新しい人生と価値観がある。 それを邪魔する権利は俺にはないんだよ」 【ルシアス】 「だから、この世界から帰ろう。帰る方法を見つけよう。 今の彼女の幸せは、俺とは関係してないだろうから……」 【リチェル】 「私には納得しかねますが、ルシアス様が言うなら……。 しかし、どうやって元の世界に戻るのですか……?」 【ルシアス】 「アデルフ遺跡を探索しよう。 何か手がかりが見つかるかもしれない」 【リチェル】 「私もその意見に賛成です。 あの時、遺跡に不思議な力を感じていましたから。 私の素体と何か引き合う物があるのかもしれません」 【ルシアス】 「よし……決まりだな」 ☆遺跡外部 夜☆ 俺達は、その日の内に馬車を手配して、遺跡を訪れることにした。 【ルシアス】 「まだ、一般人は立ち入り禁止か……。 深夜に来てよかったな」 【リチェル】 「何かを感じます……。きっと、手がかりを見つけられる。 そのような予感がするのです……」 ☆遺跡内部 夜☆ 【ルシアス】 「祈誓の塔だ……調査が最近になって急に進んだんだろう。以前と違って発掘品が近くに散らばってるな……」 俺は近くにある金属板を拾う。 古代幾何学文字がびっしりと書かれている。 四角形のマスの中に白と黒を複雑に配色した文字だ。 一つの文字の情報量があまりにも多いと考えられ、現在では解読が為されていない。 特別な機械で読み取ったのではないかとされている。 【リチェル】 「ルシアス様……! その金属板をお見せ下さい……! 何かを感じます……」 リチェルは金属板をしばらく眺めたり、胸に抱き締めたりしてみた後、指先を文字に当てる。 【リチェル】 「っ……!」 一度だけ小さく、リチェルが身体を竦ませた。 【ルシアス】 「リチェル……! 大丈夫か……!?」 【リチェル】 「ルシアス様、読めます……! 私の体に、その機能が備わっていたんです……!」 【ルシアス】 「内容にはなんて書かれているんだ……?」 リチェルは、指で次々と文字をなぞっていく。 【リチェル】 「これは、この遺跡を警備し、管理するタリスマン型に読ませる説明書のようです。 初機動の際に、命令を覚え込ませる為のものでしょう」 【リチェル】 「祈誓の塔……これは厳密には願いを叶えるためのものではないのです。 本当の名前は招聘の門。時を超えるためのもの……」 【リチェル】 「しかし、時を誰もがみだりに旅することは、時空の安定を揺るがしかねません。 そのために、制御するための条件が存在します」 【リチェル】 「それは時を隔てた人間達が、どちらか片方を自分の時代に呼び寄せることで、お互いに健全な利益をもたらす時に限られます」 【リチェル】 「そして、それを判断し、時空転移を許可するために、タリスマンが存在するのです」 【リチェル】 「タリスマンが、時を渡る人間に信頼を置き、共に招聘の門に居合わせた時のみ、装置は作動する……。 そう書かれています」 【ルシアス】 「元の世界に戻る方法は書いてあるのか……?」 【リチェル】 「あります……呼び出したもの、呼び出されたもの、その二人のうちどちらか一人でも幸福となって願いが叶えられた時です」 【リチェル】 「そして、もう一つは……。 過去へ戻った人間が、招聘の門を起動させた時を迎えることです……」 【リチェル】 「最後に、招聘の門を起動させた人間のどちらかが死を迎えること……これにより、時空の変更は不可能と見なされ、生存者は強制的に戻されます……」 【ルシアス】 「まずいな……リチェルが結果として俺を呼び出したとするなら……俺もリチェルも、現在幸せだとは思えない」 【リチェル】 「ですが、このままこの時代に居続けたとしても…… 私は消えてしまうか、精神転写をされた後、クルツ様に取り上げられてしまいます……」 【ルシアス】 「それに、万一俺がコンテストで優勝して、タリスマン型を取り返し、ライスター氏やクルツ氏のために、彼女が人形になることを望み始めたとしても……」 【リチェル】 「自分なりの幸せを求め始めた、彼女の寿命が志半ばで尽きることは充分考えられます……。 この結末に期待するわけにはいきません……」 【ルシアス】 「どうすればいい……? 俺達は、何一つ彼女が喜ぶ物を持ってない……」 【リチェル】 「ルシアス様。私が彼女に全てを話してみます。 前の世界で、ルシアス様が彼女を愛していたこと、彼女がルシアス様を慕っていたこと、何もかも全てを」 【ルシアス】 「無理だ……信じてくれるとは思えない。 それに、信じてくれたところで、彼女が考えを変えるかどうか……」 【リチェル】 「それでも、話してみます。 早く行動を起こさなければ……! 当初の目的を叶える可能性は永遠に失われます……!」 【ルシアス】 「リチェル……? どうしたんだ? 今のお前は、どう見ても焦りすぎだぞ?」 【リチェル】 「それは……その……」 【ルシアス】 「今回の時代で、俺だけを愛してくれと言われても、彼女は混乱するだけだよ……」 【ルシアス】 「それに、俺に対する義務感や同情心だけで、彼女の精神を転写してもらったとしても……。 俺はとても幸せになれるとは思えない……」 【ルシアス】 「だから、本来の目的からずれた形で、彼女の幸せを探す方がまだ確実だ。 ライスター氏と彼女の橋渡しをするのも一つの手だろう」 【リチェル】 「ルシアス様……! 冷静になって下さい……!」 【リチェル】 「全てが当初通りうまくいけば、私を本当は作っていなかったことぐらいは確かにごまかせるかもしれません。 でも、招聘の門は必ずくぐる必要があるのですよ?」 【ルシアス】 「それは……!」 【リチェル】 「3年後の世界に送られた彼女は、必ず私の存在を知ります……どのような形であれ、真実は伝えなくてはいけないのです……」 【リチェル】 「それに、私達がこれ以上の接触を諦めることで、ライスター氏と彼女が結ばれて幸せになり、私達が元の時代に帰ったとしても……」 【リチェル】 「その時に、彼女は全ての真実を察知するかもしれません……その時、彼女がどれだけ後悔して悲しむか、ルシアス様はわからないのですか……?」 【ルシアス】 「リチェル……わかった……。 俺が確かに間違ってたよ。 でも……今、真実を伝えるのはどう考えても無茶だ……」 【ルシアス】 「全ての真実を伝えたとすれば、クルツ氏にもライスター氏にも、リチェルがすでに完成していることを知られる可能性が高い……」 【ルシアス】 「そうすれば、リチェルの身体は奪われてしまうかもしれない……。 俺は……意味もなくリチェルを奪われたくはない……」 【リチェル】 「ルシアス様……私のことは気にしなくてもいいのです……ルシアス様が救われるなら、この身がどうなろうと構いません」 【ルシアス】 「リチェル、俺はさ……3年後の世界に生きていた彼女の存在を大切にしようと思っていたから、お前に興味を抱かないようにしてたんだ……」 【ルシアス】 「だけど、今の彼女は本来の歴史に沿った価値観を持っていない……過去をやり直すことが出来なかったなら、ずっとお前には冷たく接しただろう……」 【ルシアス】 「でも、自分の未練を全て解消しようとした、この時代でわかったんだ……俺がいなければ、彼女に幸せが訪れないわけじゃないんだって……」 【ルシアス】 「俺は、彼女を無理に振り向かせようと思わない。彼女にも自分の幸せを追求する権利がある……」 【ルシアス】 「俺が言いたいのはさ……リチェル、お前も俺にとっては今は別人の一人だってことなんだ……」 【ルシアス】 「これまでは、彼女の精神を転写しなければ、お前には価値がないと思っていたし、そのためだけの存在だと思い込もうとしてた……」 【ルシアス】 「そうしないと、俺のために生きようとして無念にも死んでいった、彼女の想いをないがしろにしてしまうような気がして……」 【ルシアス】 「でも、本来の彼女はそもそも精神転写を必要としてなかったんだ。だから今の俺はリチェルそのものの存在価値を認めなくちゃいけないんだと思う……」 【リチェル】 「都合良く解釈するための詭弁だと思います……。 全ての可能性を、我々は失ったわけではありません……」 【ルシアス】 「リチェルは、俺に人間扱いされることを嬉しいとは思わないのか……?」 【リチェル】 「思いません……私は使命のために生きます。 それが、私が求められ、作られた理由ですから……」 【ルシアス】 「リチェル……すまない。 そうなったのも全部俺のせいなんだよな……」 【ルシアス】 「俺があの時点で彼女の死を認めていれば……。 お前に俺の悲しみをぶつけてもしょうがないと、割り切ることが出来ていれば……」 【リチェル】 「私はルシアス様を恨んではいません……。 ですが、ルシアス様がリチェル様のことを諦め、私を人間扱いしてくれるとしても……」 【リチェル】 「私は、素直に喜べないのです……。 ルシアス様の心の痛みや同情につけこんで、自分の存在を受け入れさせるようで……」 【ルシアス】 「俺は、それでもいいと思ってる……。 そうなったとしても、それはリチェルの責任じゃない……」 【リチェル】 「わかりました……ですが、もう少しだけお待ち下さい。 まだ、何か良い情報が手に入る可能性があるのですから……」 リチェルは、やるせない表情で金属板の文字に指を滑らせていく。 【ルシアス】 「どうだ、リチェル……? 何かわかったか?」 【リチェル】 「金属板の状態が悪く、文字が劣化しています……。 漠然とした情報のイメージしか伝わってきません……」 【リチェル】 「タリスマンには招聘の門を管理することよりも最優先すべき使命が存在します……」 【リチェル】 「それがここに書かれているはずなのですが、私にはどうしても読み取ることが出来ないのです……」 【ルシアス】 「そうか……これで手詰まりかな……? あとは、彼女が自分なりの幸せを見つけ出すのを期待するしかないだろうな……」 リチェルは、すがるようにして、俺の手を強く握った。 【リチェル】 「ルシアス様……お願いです……。 リチェル様を振り向かせることを絶対に諦めないでください……」 【リチェル】 「もう一度だけ、考え直して下さい……。 私はルシアス様に不幸を認めさせるために、過去へと送ったわけではないのですから……」 【ルシアス】 「リチェル……」 俺は、その言葉に返事をすることが出来なかった。 全ての情報を得た俺達は馬車に乗り、帰路に就いた……。 その間、お互いに言葉を発することは、一度もできなかった……。 ☆工房 昼☆ 俺は数日の間、何も彼女に対しての行動を起こすことが出来なかった。 リチェルがそんな俺を見て、心配そうにし優しく接してくれる。 今まで、彼女にこんなことは出来なかったはずなのに。 それがとても心地よくて。 乾いた大地に雨が染みいるようで……。 俺は自分の気持ちがわからなくなってきていた。 【リチェル】 「ルシアス様……一度でいいのです。 リチェル様の屋敷に出向いて下さい……」 【ルシアス】 「でも、彼女には拒絶されているんだぞ? 今更、受け入れてくれるとは思えない……」 【リチェル】 「ですが、彼女の真意を探らないかぎり、我々は行動を起こせません……。 ライスター氏の好意を受ける気があるのかどうかも……」 【ルシアス】 「気は向かないが、確かにそうだな……。 彼女の幸せの意味がどこにもないのだとしたら、俺とリチェルは二人揃って元の時代に戻れない……」 【ルシアス】 「彼女の所に行ってくるよ。 でも、リチェル……一つだけ約束して欲しい」 【ルシアス】 「リチェルにとって当初の使命が何より大事であろうと、俺は彼女から本当に愛されなければ、精神を転写する気がないってことだ……」 【ルシアス】 「俺が彼女を求めたのは、そういう理由からだし、リチェルの存在を尊重したいと気持ちは今は確かにある。 だから絶対に自分の判断で精神転写を優先しないでくれ」 【リチェル】 「わかり……ました……」 俺はリチェルの言葉を確認すると、館へと向かった。 ☆リチェルの館 昼☆ 【クルツ】 「リチェル、黙っていないでルシアス様に挨拶をしなさい。 仕事を依頼した以上、お前にも責任がある」 【リチェル】 「……………………」 【ルシアス】 「クルツ様、無理にお話をする気は私にはありません。 私としては人形の製作をこのまま続行していいのか、それさえわかればいいのです」 俺はあえて、製作契約のことを言葉に出した。 何故なら、彼女が現在、自分なりの幸せを見つけていたとしても、人形と誰かの結婚までを拒否する理由が現状では詳しくわからないからだ。 妥当な線としては、例え人形であろうと、自分の精神が引き継がれる存在を自分のために犠牲にしたくないというところだろう。 人形の製作そのものを今では望んでいないとするなら、俺はコンテストで優勝することに望みを掛けて、別の作品を作ればいいことになる。 【リチェル】 「私は……人形の製作なんて、もうどうでもいいわ……」 【クルツ】 「しかし、ライスター氏が人形を望んでいるんだぞ……。 私は彼の財産が何としても欲しいわけじゃない。 人形のお前でも、花嫁姿を見たいだけなんだ……」 【リチェル】 「でも……! 私はそんなのは嫌……!」 【クルツ】 「これは言いたくないんだが、ルシアス様には当家もかなり無理をして多額の契約金を払ってしまっている。 それをライスター氏は肩代わりすると言っているんだよ」 【ルシアス】 「クルツ様、生活のために契約金は私としても必要ですが、本格的な製作には入っていませんから、今までの手間賃だけ頂いて、お返しすることが可能です」 生活費が必要とはいえ、本来は仕事もしてないのに契約金の総取りを図れるほど、俺は厚顔無恥じゃないからな。 【クルツ】 「しかし……ライスター氏は、返還債務を付けずに、当家へ人形製作の資金を全額どころかそれを超えて提供しているのです」 【リチェル】 「そんな勝手なこと……!」 【クルツ】 「当家も、彼の事業と業務上の提携がありますから、ここで、彼の顔を潰すわけにもいかないのですよ」 ライスター氏は、なぜそこまでリチェルと結ばれたいのだろう? まるで、彼女の意志はお構いなしだ。 かといって、このまま人形製作の依頼を引き受ければ、義理堅いクルツ氏は、俺がつけた当初の言い値で契約金を払うだろう。 クルツ氏も事業家としての冷徹さを持っているから、自腹を切って自らを窮地に置くよりも、ライスター氏が提供した資金を崩すことを考えるはずだ。 そうなると、リチェルの意志はどうあれ、人形はクルツ氏の手によって彼の手に渡ることになる。 この結末をリチェルは到底望むまい。 よし……ここは、賭けになるが……。 【ルシアス】 「私は人形師の立場として、依頼人であるリチェル様の意志を最優先したいと思います。 精神を提供する側の意志を重んじるのが義務ですから」 【クルツ】 「しかし、それではライスター氏は納得しないでしょう……」 【ルシアス】 「いいえ、人形製作が停滞していたからこそ、打てる手があるのです」 【ルシアス】 「人形の制作費が莫大になったのは、古代遺跡から発掘された素体を使っているからです。 既存の素材を使えば、桁外れに安く仕上がります」 【クルツ】 「しかし……人形の寿命は?」 【ルシアス】 「私が特注で内骨格型を製作すれば、既存の素材でも70年は持つ人形が完成します。 ライスター氏の寿命よりは遥かに長生きするでしょう」 【リチェル】 「え……それなら……!」 【ルシアス】 「現在の時点では、デッサンに測量、型取りをした程度であり、古代遺跡から発掘された素体には一切手を付けていません」 【ルシアス】 「今からなら、作り替えられます。 そして、料金もクルツ様の私有財産でも余裕を持って払える金額に収まるでしょう」 本来なら、そんなに安くはならないけどな……。 【クルツ】 「だが……リチェルは、それでも反対するんじゃないのか……? どうだ?」 【リチェル】 「う、うん……お父様に心配を掛けていないみたいだから、気が少しは楽になったけど……。 それでも、強引に結婚させられる人形が可哀想……」 【ルシアス】 「そう言うと思いました……。 ですが、ライスター氏がリチェル様の人形の何を必要としているのかはまだわからないはずですね?」 【クルツ】 「確かに……リチェルの気持ちにかかわらず、人形との結婚を希望しているのだから、容姿を気に入っているだけなのかもしれないな……」 【ルシアス】 「リチェル様は、絶世の美女ですからね。 その可能性はなきにしもあらずでしょう」 【リチェル】 「でも、具体的にどうすればいいの?」 【ルシアス】 「とりあえず、有無を言わさず、既存の素材で人形を完成させてしまうんです。 その後で、リチェル様は精神転写を一度拒絶して下さい」 【ルシアス】 「誰かの精神を転写しなくても、人形は独立した意志を持って稼動します。 それで、ライスター氏が納得すればそれでよし……」 【クルツ】 「なるほど、段階を持たせて彼に妥協案を提示するわけだな。それなら行けるかもしれん」 【リチェル】 「でも、それでも彼が私の精神を欲しいと言ったら?」 【ルシアス】 「精神を転写した後は人形に任せればいい。 人形への虐待は立派な罪になる。 クルツ様の目がある以上、酷いことは出来ないだろう」 【ルシアス】 「それに、人形の制作費をクルツ様の私財で払えるのであれば、リチェル様を政略結婚の名目で縛り続ける意味はないはずだからね。いつ逃げても問題ない」 【クルツ】 「そうだな。それに人形と結婚した後も拒絶され続けるという事態を予測できるなら、リチェルの精神を転写していない状態を望む可能性も充分にあるだろう」 【ルシアス】 「その通りです。リチェル様、いかがですか? 全てはあなたの判断に任せます」 【リチェル】 「わかったわ……ルシアス様、人形製作を続けて……」 【ルシアス】 「了解いたしました」 賭けには勝てた。 しかし、俺は多くの違和感を感じていた。 それが何かとははっきりと言えないけれど……。 この流れはどうも不自然だ……。 確かに、ここまでの経緯は現状で手に入る情報を元にすれば、つじつまが合っている。 だが……誰かが嘘をついているような……。 または、本音の中に企みを隠しているのか……? わからない。いったい何が起きている……? 俺は、帰りの挨拶を交わすことも忘れて、工房へ帰った。 ☆工房 夕☆ 【リチェル】 「ルシアス様、お帰りなさいませ。 首尾はいかがでしたか?」 【ルシアス】 「そうだな……かなりの進展があった」 俺は、今日の出来事を語る。 【リチェル】 「人形を製作する依頼が別の形で続行されることになったのは喜ばしいですが……。 問題が根本的に解決されたわけではありません」 【ルシアス】 「リチェルが人形製作を了承したからと言って、それで彼女が幸せになるというわけでもなさそうだからな。 俺の方も然りだ」 【リチェル】 「私自身が、ライスター氏の手に渡らなくなったというだけに過ぎません。 このままでは私が消滅する未来は避けられないはずです」 【ルシアス】 「そうだな……リチェルの幸せの意味がわからない以上は、コンテストに優勝することも考えないといけない」 【リチェル】 「しかし、リチェル様の人形を製作しながら、別途コンテスト用の人形を製作できますか?」 【ルシアス】 「それは不可能だ。モデルなしでコンテストに優勝することそのものが難しいのに、同時に二つを作る余裕はない」 【リチェル】 「リチェル様を模したもう一体の人形を、そのままコンテストに提出するという手はいかがでしょう?」 【ルシアス】 「それも無理だ……リチェルは確かに美人だが、それはあくまでも顔が美しいという段階に留まっている。 彼女の身体は病人だからな……」 【ルシアス】 「心臓病で、あまり成長していない彼女の身体は不健康だ。 コンテストで優勝するための端正な身体を顔にくっつけると、あまりにも実物とはかけ離れてしまう」 【ルシアス】 「それどころか、頭蓋骨と胴体のバランスが不自然になって、結果として醜くなってしまうだろう。 クルツ氏もライスター氏もそれでは納得しないはずだ」 【リチェル】 「それでは……どうすればいいのですか?」 【ルシアス】 「そうだなあ……確かに困った……。 無事に俺達が未来に戻る保証として確実なのはコンテストに優勝することだしな……」 ん……待てよ? 確実なのはコンテスト……? そうか、その手があったか……! ☆工房 昼☆ 【クルツ】 「素晴らしい、リチェルの顔そっくりだ……。 あなたの腕を疑っていたわけではないが……。 ここまでとは……」 クルツ氏が台に置かれているリチェルの人形の顔を撫でる。 【ルシアス】 「これならば、きっとライスター氏も満足するでしょう。 あとは、測量の数値と完成した顔を元に、首から下のバランスを取ります」 【クルツ】 「なるほど、それで、今の時点では首から下を粘土の固まりにしているわけですな?」 【ルシアス】 「そういうことです。 これから測量値を基に、大まかに持った粘土を削りだし、形を作ります」 【ルシアス】 「そして、肉の付き方を原型に近づけた後、中に入っている骨の太さや大きさを予測し、内骨格を製作するというわけです」 【クルツ】 「なるほど……これは仕上がりが期待できそうですな。 いつぐらいに完成しますか?」 【ルシアス】 「そうですね……はっきりとは言えないんですよ。 何故かと言いますと、リチェル様の身体そのものが不健康な形をしていますから……」 【ルシアス】 「古代文明の素材ではなく、脆い既存の素材で作っていますので、不具合のあるリチェル様の骨格をそのまま真似ると、30年ほどの耐久性になる可能性があるのです」 【クルツ】 「それでは、私も困りますが…… 何とかならないのでしょうか?」 【ルシアス】 「問題ありません。身体の形をそのまま崩さないように、骨格を太くして耐久性を上げ、肉付けを微妙に薄くし、バランスを取ることは私なら出来ますから」 【ルシアス】 「お時間を頂くと言っても、遅くても6ヶ月もあれば十分です。 リチェル様が亡くなるまでには十分間に合うでしょう」 【クルツ】 「そうですか。それは安心です。 これなら、ライスター様に自信を持って説明できます」 【ルシアス】 「それでは、わざわざご足労頂いたところ申し訳ありませんが、作業に戻らせて頂きます」 クルツ氏は満足した様子で工房を出て行った。 【ルシアス】 「リチェル、もういいぞ」 【リチェル】 「了解いたしました」 首だけを粘土の固まりから外に出しているリチェルが目を開ける。 リチェルは台から立ち上がり、粘土を身体から剥がして、下着姿になった。 【リチェル】 「ルシアス様、見事でした。 これならば、コンテストに作品を製作した後、リチェル様の人形を作っても充分に間に合うでしょう」 【ルシアス】 「ああ、いくら彼女の骨格が不健康だとは言っても、本来俺はそれを保護するぐらいの加工なら、作業を延期しなくても作れるからな」 【ルシアス】 「それにだ……まだ、彼女の真意がどこにあるのかわかっていないし、考えを変えるという可能性も俺は捨てていない」 【リチェル】 「もし、彼女が考えを変えたとするならば、私に精神転写をするという手が使えることになります。 その後、3年後の世界に逃げ帰ればいいでしょう」 【ルシアス】 「それは、確かに考えているけれど……。 今の俺はその手をあまり使いたくない……」 【リチェル】 「私のことを心配するのはやめて下さい……。 そんなことをされても迷惑なだけです……」 リチェルは感情を必死に表しながら言葉を紡いでいた……。 何としても、俺に確実な幸せを与えようと……。 【ルシアス】 「リチェル……」 彼女が自分の幸せを求めたから。 俺が過去の悲しみを受け入れるようになったから。 それでリチェルの存在を認めてしまったから。 今の俺にはとてもリチェルを犠牲に出来なかった。 コンテストに優勝しよう。 そして、彼女の人形をもう一つ製作して、必ずリチェルを守ろう。 俺は、作業台に座った。 前の世界で、リチェルを作った時に燃え上がった情熱が、今再び身体に宿っている。 【ルシアス】 「見える……全てが……」 人形の身体の一部分を想像するだけで、最も美しい全身の形が、頭の中に自然に映し出される。 俺はただひたすら、頭の中に浮かんだ情報を描き写した。 何かに取り付かれたかのように。 画用紙に書かれた身体はどれもが完璧な美しさだった。 コンテストの優勝基準は、顔の造形が美しく、健康を基準とした、端正な身体であることだ。 昔の俺は、美人で健康なモデルをそのまま描き写し、さらにスタイルを改良して受賞しただけに過ぎなかった。 今の境地から見れば、どれだけ浅はかだったことか。 【ルシアス】 「今の俺なら……作れるはずだ。 俺だけが想像しうる、最も美しい人形を……」 俺は一心不乱に作業に打ち込んだ。 全ての神経を作業台に向けていた。 必ず勝てる。勝てなければおかしい。そう確信できた。 【リチェル】 「ルシアス様……作業中申し訳ありませんが、モデルは雇わなくてよろしいのですか?」 リチェルが発した声にどういう意味があるのかも理解できないほどに集中する……。 今の俺は自分の全てを人形に捧げていた……。 Σ時間経過エフェクト ☆工房 夜☆ 【リチェル】 「ルシアス様、コンテスト人形の製作が三日間休み無く続いております。 たまには外出されてはいかがでしょう?」 【ルシアス】 「俺は別に構わないんだけどな。 今はこっちに集中したいのも確かだし……」 【リチェル】 「しかし、リチェル様のところに定期的に報告に行かなければ、クルツ様も疑い出すかもしれません」 【ルシアス】 「その心配はないだろう。 工房を訪れる時には事前に連絡することをクルツ氏には義務づけているし、こちらを信頼しているのは間違いない」 【リチェル】 「ですが、リチェル様の精神転写を進める説得は必要なはずです」 【リチェル】 「ルシアス様がどのような考えを持っているのか私にはわかりかねますが、当初の目的を忘れるのもまた間違いかと思います」 【ルシアス】 「忘れたわけじゃない。ただ、現状では彼女に会う必要が殆ど無いだけなんだ。 それに、会っていないといっても、まだ3日だぞ?」 【リチェル】 「事は万全を期すべきです。行動して下さい。 私とは別の複製人形を作る以上は、私のことを気に病む必要はないはずです」 【ルシアス】 「あ、ああ……わかったよ。今日は彼女に会いにいくさ」 【リチェル】 「今日だけでなく、可能な限り、毎日顔を出すべきです」 【ルシアス】 「それはいくら何でも無理だ。コンテストに優勝するためには時間を思い切り割きたい。 どんなに妥協しても3日に1度しか行けないぞ?」 【リチェル】 「わかりました……それでもいいかと思います……」 ☆リチェルの館 昼☆ 【ルシアス】 「リチェル、身体の具合は?」 【リチェル】 「うん……! すごくいいわよ。 どこかに遊びに行きたいぐらいにね 今日は、これからその……出かけようと思ってたの」 【ルシアス】 「そうか、機嫌も大分良いみたいだな。 将来に希望でも見えてきたからか?」 彼女はこの場に居づらそうな雰囲気を醸し出していたが、俺は一歩踏み込んで気付かないふりをした。 【リチェル】 「う、うん……そうね、多分そうだと思う…… 今日は何か、特別な用事でもあるの……?」 【ルシアス】 「ああ、やっぱり身体測定値と想像力に頼り切りだと、完成物と実物とのズレが生じることがあるからね。 3日に1度は顔を見ておかないといけないんだ」 適当に嘘をついた。 【リチェル】 「そうなんだ……。もう、用は済んだ?」 【ルシアス】 「よければ、君ともっと話したい。 弱みに付け込むようで悪いけど、結婚できないにせよ俺のことは好きなんだろう?」 勇気を出して、この話題に踏み込んだ。 【リチェル】 「うん……大好き……」 彼女は困惑しながらも、頷いて認めた。 【ルシアス】 「俺はさ、世界一だけど自分の身分や地位にそこまでこだわりを持っていないんだ。 一等賞まで上り詰めたからそうなのかもしれないけどな」 【リチェル】 「どういうこと?」 【ルシアス】 「もし……リチェルさえよければ、新しく完成する君の人形に精神を転写して……。 遠くの国に逃げることもできる……」 そう、3年後の世界に……。 未来に同じ存在がいない人形の身体ならば、連れて帰れるかもしれない…… 【リチェル】 「それは…………」 【ルシアス】 「君がライスター氏から逃げたいなら、それも可能だってことだ。俺は……それぐらい君が好きだ」 【リチェル】 「そんなこと言われても……私には……」 【ルシアス】 「何がダメなんだ? 俺はただ、真実を知りたい……。 それだけなんだ。理由を聞かせて欲しい……」 彼女は身体を震わせて、涙を流し始めた。 【リチェル】 「私……本当はあなたが好き……いつまでも一緒にいたい……」 【リチェル】 「私が歳を取って、お婆さんになって……。 そして、子供達に囲まれて……椅子で安らかに眠っているあなたに気付いて……看取ってあげたかった……」 【リチェル】 「あなたが満足してくれるなら、私は人形になってもよかったと最初は思ってた……。 でも、やっぱり我慢ができなくなったの……」 【リチェル】 「私はせめて生きている間だけでも、あなたを独り占めしたかった……」 【リチェル】 「魂が繋がってるわけじゃない人形に渡したくない……。 全くの別人とルシアスが結ばれるならまだしも、私の偽物と結婚するなんて悲しいよ……」 【リチェル】 「それがどうしても耐えられなくて……。 その悲しみを忘れるために、私は館を抜け出して、遊び歩いてたのよ……」 【ルシアス】 「リチェル……そうだったのか……」 俺と彼女の接触が早すぎて、愛が深まりすぎて……。 未来が変わってしまっていたんだ……。 【リチェル】 「ルシアス……お願いがあるの……。 私の人形の完成を何とか失敗させて……」 【リチェル】 「私の偽物がルシアスに愛されるのは我慢できない……。 でも、偽物とはいえ人形が好きでもない人と結婚させられるのは耐えられないの……」 【ルシアス】 「リチェル……君の頼みでもそれはできない相談だ……。 俺は世界第一位の人形師だぞ……? その意味がわかるか……?」 【リチェル】 「あなたは、名誉にこだわる人じゃないって、さっき言ったばかりじゃない……!」 【ルシアス】 「そうじゃない……世界第一位がいるってことは、その下もいるってことだ……。 依頼を受ける奴は他にもいる。根本的解決にならない……」 【リチェル】 「わざと手を抜いて、すぐに壊れるように作ることは出来ないの……?」 【ルシアス】 「もし、欠陥品をわざと掴ませたとすれば、俺が損害賠償するだけじゃすまない。 クルツ様の立場はどうなる?」 【ルシアス】 「ライスター氏が君の人形を望み続けるからこそ、クルツ様には事業協力が為されているはずだ」 【ルシアス】 「俺が手を抜いたことがバレたら、共犯を疑われるぞ。 リチェルを差し出す気がないのに、囮に出して、自分の利益を誘導したということでな」 【ルシアス】 「そうなれば、リチェルの我が儘で自分の父親まで苦しめることになるんだ。俺はそんな作戦には納得できない……」 【リチェル】 「そう、よね……ごめんなさい……」 リチェルは、涙目で俯いてしまった。 結局、俺は彼女を幸せにする力を持っていなかったことを自覚させられるためにここに来たようなものだ……。 【ルシアス】 「今日は帰るよ。何か解決策を思いついたら、また来ることにする」 その用件でここに来ることは永遠にないかもしれないが……。 【リチェル】 「今日は、見送りはできないわ……。 そんな気分じゃないの……」 【ルシアス】 「わかった……微力ではあるが、俺の方でも人形の製作はある程度遅らせる。 事態が好転する機会が来るかもしれないことを祈ろう」 俺は彼女の顔を見ずにそう伝え、帰路に就いた……。 ☆工房 夜☆ 【リチェル】 「ルシアス様、お帰りなさいませ。 いかがでしたか?」 【ルシアス】 「うまく行かなかった……。 当分、館には出向けないだろう……」 【リチェル】 「そうですか……仕方ないと思います」 【ルシアス】 「随分あっさり現状を認めるんだな。 俺の尻を叩かないのか?」 【リチェル】 「私も……少なくてもこの件に関しては、現実を受け止めましたから……」 【ルシアス】 「そうか……ならいいんだ。明日から作業のみに集中する。 生活面での支援を頼んだぞ」 【リチェル】 「微力を尽くします」 ☆工房 昼☆ 俺は次の日から毎日工房に閉じこもって作業を続けた。 集中力を少しでも乱さないように、作業場にはリチェルすら立ち入らせないようにして。 かなり自分でも無理をしていたと思う。 不規則な生活で目も霞み、体重が落ち、味覚すらおかしくなっていたのだから。 それでも、リチェルがいてくれたことで助かった。 深夜に呼びつけて、急に食事を作らせることについても何一つ不平を彼女は言わなかったのだから。 【ルシアス】 「よし……後は、皮膚を貼り付けるだけだな……」 コンテストにはあと1週間の余裕がある。 最後の仕上げには万全の体調で望みたい。 今日一日、休息を取ることにした。 人形を鍵付きの倉庫に収納し、茶を飲むことにする。 椅子に座って、大きく溜息をついた瞬間、乱暴に工房のドアがノックされた。 【ルシアス】 「すみません、本日は一般の方の依頼はお受けできないのですが……」 俺は扉を開けて応対する。 【ライスター】 「ルシアスさん、大変です……! リチェルさんの容体が急変しました……!」 【ルシアス】 「は……何だって……!?」 【ライスター】 「僕も今、話が届いたばかりです……! 馬車を用意してますから、すぐにクルツ氏の屋敷へ!」 【ルシアス】 「わかりました……! 今すぐ準備します……!」 ☆街中 昼☆ 俺は急いで、伸ばし放題にしていた髭を綺麗に剃り、髪に櫛を通すと馬車へと乗り込んだ。 あんなに数日前までは元気だったのに……? いったい何があったんだ……? ☆リチェルの館 昼☆ 【ルシアス】 「クルツ様……! リチェル様の様子は……!?」 【クルツ】 「今の容体は安定しているし、生活に不自由はないが……。 相当寿命を縮めたのではないかというのが、医者の見立てだ……」 【ライスター】 「いったい、彼女は何をしたんです……? こんなに急に具合が悪くなるなんて……」 【クルツ】 「また、館をたびたび抜け出して、遊んでいたと言っている……。全く、自分の身体を何だと思っているのか……」 まさか、彼女は……自分の死期を早めることで、人形の完成よりも早く死ぬつもりなのか……? 【ライスター】 「ルシアスさん……人形の製作は間に合いそうなんですか……?」 【ルシアス】 「早くても、あと3ヶ月はかかります……。 彼女の命が持つかは、賭けになるかもしれません」 【ライスター】 「こんなことを言うと人格を否定されそうですが…… 例え、僕は精神が入っていなくても、リチェルさんの人形が欲しいのです……」 【ライスター】 「例え、記憶も性格も違っても……。 彼女の姿形だけでもあれば、思い出を失わずに生きていけそうですから……」 【ライスター】 「彼女と共に人生を歩めればいいんです。 せめて、僕が死ぬときまで彼女が生きていて欲しい。 それが僕の一番の望みです……」 【クルツ】 「そうでしたか……。 我々の決断は結果として正しかったようです……」 【ライスター】 「何かあったのですか?」 【クルツ】 「人形の素材を変えて作ることにしたのですよ。 それでも寿命は申し分ないですし、見た目も全くリチェルと変わりません……」 【ライスター】 「そうなの……ですか? それでも、古代の技術を用いたものの方が安心なのでは……?」 ここは、クルツ氏を守るように話した方がいいだろう。 【ルシアス】 「古代文明の素体は、非常に加工が難しいのです。 素材を変更せずに基の素体で作り続けていたとしても、今のリチェル様の寿命には間に合わないでしょう」 【ルシアス】 「彼女の精神を転写する可能性に賭けるならば、素材を変えた、今の人形が間に合うことに期待するしかありません。 それでも間に合うかは五分五分ですが……」 こう話しておけば、リチェルの精神転写をわざと間に合わせないということもできる。 もちろん、彼女が死ぬのを俺は望まないが……。 彼女の最後の願いならば、叶えてあげたい。 【クルツ】 「私としても、リチェルの精神を人形に移し換えたい……。 ライスターさんを結果として騙してしまったようだが、許してくれないか……」 【ライスター】 「はい……クルツさんを今更、恨む気はありません……」 【ルシアス】 「私の方でも人形の製作を急ぎます。 何としても間に合わせましょう」 ☆街中 昼☆ 俺は急いで館を立ち去った。 リチェルに、全てを話さないといけない。 ☆工房 夕☆ 【リチェル】 「ルシアス様……! 何があったのですか……?」 過去に帰って……別の未来を迎えて……。 俺は選んだんだ……。 自分が一番望んでいる結末を……。 【ルシアス】 「リチェル……彼女が……もうすぐ死ぬだろう……」 【リチェル】 「そんな……! それなら、このようなところで油を売っている暇は無いはずです!」 【ルシアス】 「いいんだ……俺は決めた。彼女の幸せを最優先する……。 俺はそれで満足だ……」 【リチェル】 「ですが、それではルシアス様があまりにも可哀想です……! それに私は……!」 俺はリチェルの肩に手を置いて、言葉を遮った。 【ルシアス】 「前にも言ったけれど、この世界に来る前の俺が苦しんでいたのは、彼女の願いを叶えられなかったことを悔やんでいたというのが大きいんだ……」 【ルシアス】 「人形の彼女が居てくれれば俺の幸せは続くのかもしれない。でも、それは彼女がその未来を望んでいてくれればの話なんだよ……」 【ルシアス】 「彼女が泣いてまで、人形の自分と俺が結ばれることを拒否したのなら……。 俺はそんな彼女と一緒に暮らしても喜べない……」 【リチェル】 「ですが、ルシアス様……!  それで、本当に幸せなのですか……?」 【ルシアス】 「リチェル……お前が犠牲になってでも、俺の幸せを優先したがる気持ちはよく解るつもりだ……。 俺がそう生きるように仕向けていたんだからな……」 【ルシアス】 「俺はさ、確かにこの時代でも彼女に愛されていたんだよ。それだけで、ここに来た元は十分取れたと思う。 俺は今、幸せなんだよ。過去の呪縛からも解放されたんだ」 【リチェル】 「まさか……ルシアス様……」 【ルシアス】 「そうだ、俺達はいつでも元の世界に帰れる。 その自信がある……」 【ルシアス】 「もちろん、俺は彼女の最期を見届けたい。 彼女が俺を愛しているのなら、看取ってあげたい。 願わくば最後の時まで幸せでいさせてあげたい……」 【リチェル】 「ルシアス様……最後の許可を下さい。 私が彼女の説得を試みます。 結果、クルツ氏に存在が知られようとも構いません」 俺はあまりにもおかしくなって小さく笑った。 【ルシアス】 「リチェル……無機質無感情になるように、お前と接していたつもりだったけど…… 俺とリチェルは似たもの同士だったんだな……」 【ルシアス】 「なんだかんだと、大切なもののためには、自分を犠牲にせずにはいられないんだ……。 割とお似合いなのかもしれないな……」 【リチェル】 「ふざけないでください……! 私は、彼女に伝えなければいけないことがあるのです……!」 【ルシアス】 「リチェル、この時代に俺が呼ばれたのは、彼女と俺の幸せを成り立たせるためのはずだ。 そして、お前はその管理者だろう?」 【ルシアス】 「これは、俺と彼女がどう思っているかが問題なんだ。 だから、リチェルの力は必要ないんだよ」 【リチェル】 「……………………」 【ルシアス】 「でもリチェル……お前の気持ちはすごく嬉しかった。 こんなことを言うと、気が狂っているように思うかもしれないけど……」 【ルシアス】 「俺はリチェルに酷い仕打ちをしたはずなのに……。 俺の幸せのために、どこまでも尽くしてくれて……」 【ルシアス】 「俺はそんなリチェルのことを好きになっているのかもしれない……。 この時代で、彼女の本心を知ってわかったんだ……」 【ルシアス】 「俺と彼女は、元の時代で果たせなかった願いを叶えられる環境に置かれた……。 だから、気付くことが出来たんだ……」 【ルシアス】 「俺と彼女が、自分自身の幸せを見つけたとするならば、それは、俺と人形になった彼女が一緒に生きるという結末じゃないんだって……」 【リチェル】 「それは詭弁です……元の時代で、ルシアス様の人形がリチェル様の死に間に合っていたら、私は存在しないことになるのですから……」 【ルシアス】 「そうだな、それは否定しないよ。 でも、これだけは信じて欲しい……」 【ルシアス】 「俺は、この時代の彼女に拒絶されたからリチェルに心が動いてるんじゃない。 リチェルにはお前にしかない魅力があるんだ……」 【ルシアス】 「確かに、彼女とは本来の約束があったから、それに最優先で応えようとは思った。でも、それが必要なくなった今は、リチェルが一番大事なんだよ……」 【リチェル】 「ルシアス様……」 【ルシアス】 「愛してる。リチェル。少なくても今の彼女よりは。 そして、正しい時代へと戻り、君だけを永遠に」 【リチェル】 「……駄目です、ルシアス様……。 私は、その思いを受け取れません……」 【リチェル】 「リチェル様は、自分の死を直視して、自分の気持ちを遠慮しているだけなのかもしれません……。 きっとそうに違いありません……」 【リチェル】 「彼女は死の運命から逃れれば、ルシアス様を誰よりも愛していたのかもしれないのです……。 それを差し置いて、私だけが……」 【ルシアス】 「そうだな……そう言うと思っていたよ。 だから、俺は自分のエゴで、最後の賭けに出ることを今決めた……」 【ルシアス】 「前言撤回だ。彼女に全てを話そう。 俺と彼女が歩んだ本来の過去、リチェルの存在、今の俺の気持ち、何もかも全てを」 【ルシアス】 「彼女に全てを伝え、彼女に全てを選ばせる。 そうすれば、誰も後悔することはない……。 過去に囚われることもないはずだ……」 【ルシアス】 「リチェル、俺はさ……お前に愛されるにせよ、彼女に愛されるにせよ……妥協の末に選ばれるなら、意味がないと思っている。それだけ、お前のことも大切なんだ……」 【リチェル】 「ルシアス様……私、私は……」 【ルシアス】 「これが俺の出せる最大の譲歩だ……。 俺の気持ちを一部分でも、リチェルが受け入れてくれるなら……賛同してくれ……」 【リチェル】 「わかり、ました……ルシアス様……」 【ルシアス】 「ありがとう……明日、彼女に会おう。二人で一緒に」 俺は、人形製作の疲れが抜けきっていない身体を今日は早く休めることにした……。 ☆背景 黒☆ リチェルと元の世界で幸せに暮らしている夢を見た……。 そのリチェルの中身は一体誰だったのだろう……。 ☆リチェルの館 外部昼☆ 次の日、俺はリチェルを彼女の所へ連れていきたかったが、変装をさせても、周囲の人間に見破られる可能性があることを危惧した。 現在の俺達が、元の時代に逃げる条件を備えているとはいえ、それにはリチェルの力が必要だ。 クルツ氏に捕まってしまえば、その機会は永遠に失われる。 それを考慮すると、彼女の容体が心配だとはいえ、工房に呼び出す必要があるだろう。 俺は彼女宛の手紙を郵便受けに投函し、その内容を見て、深夜に館から抜け出してきた彼女を、馬車で工房に連れて行くという作戦を実行することにした。 ☆工房 夜☆ 【ルシアス】 「リチェル、覚悟はいいか?」 【リチェル】 「はい……全てを伝えます……」 今回の彼女との接触で、クルツ氏が後を付けてきていたら、これまでの苦労が全部水の泡になる……。 俺はリチェルに、俺が帰ってきても、合図があるまで絶対に奥の部屋から出てくるなと指示を与えて工房を出た。 ☆リチェルの館 外部夜☆ 彼女は、俺が館に着いてからしばらくした後、隠れながら門の外に現れた。 俺は、人目に付かないように気をつけながら、駐めておいた馬車に彼女を乗せる。 【ルシアス】 「身体の具合は大丈夫か……? 無理はするなよ?」 【リチェル】 「うん……大丈夫よ。お父様も今日はいないし……。 それに、無理をしてでも、最後にあなたとはちゃんと話さなくちゃって思ってたから……」 【ルシアス】 「わかった、急ごう……」 ☆背景 黒☆ 馬車に揺られながら、無言の時間を過ごす。 自分が、リチェルと彼女、どちらを本当に好きになれるのかは、全てを伝えるまではわからない。 彼女に真実と、彼女とリチェルと俺、全員の望んでいた未来を伝えあって、誰もが納得できる形を導き出したいと思う。 俺が2人を目の前にして、どのようなことを話そうかと思っていたところ、急に馬車が止まった。 【ルシアス】 「ん……? 何があった……?」 【リチェル】 「この馬車に、足音が近づいています……」 【ルシアス】 「そんな馬鹿な。リチェルの外出が知られないように借り切ったんだぞ? 途中の客を何があっても乗せるはずが……」 俺達の疑問をよそに、馬車はびくともしなかった。 ☆街中 夜☆ 【覆面の男】 「動くな。一緒に工房まで案内してもらおう」 馬車を降りた瞬間にクロスボウを突きつけられた。 威力の小さな護身用のものだが、矢に毒か麻酔薬を塗られているのだろう。 その証拠に肩を撃たれただけの御者が運転席にぴくりともせず突っ伏していた。 ここは下手に逆らうわけにはいかない。俺は両手を挙げた。 【覆面の男】 「中のお嬢さんも、一緒に来てもらおうか。 それに、逃げようにも彼女は逃げられないだろう?」 こっちの事情は全部把握済みか……。 陽動作戦で勝機を窺うという手も使えないな……。 俺は小声で馬車の中のリチェルを呼び、降伏を促した。 【覆面の男】 「それじゃ、二人仲良く俺の前を歩いてもらおうか。 命を奪う気はないが、抵抗すればその限りではないぞ」 俺の工房の位置は、誰でも調べればすぐに分かるはずだ。 だとすると、こいつは工房の中の何かが欲しいということになる。 約束を違えて俺達を殺すにせよ、それは工房で目当ての物を手に入れるまではそれを実行するとは思えない。 ここは従っても問題はないだろう。 ☆背景 黒☆ 人通りのない裏通りを歩き、工房の中に入る。 ☆工房 夜☆ 俺は工房の奥にいるはずのリチェルを呼ぼうかと思ったが、思いとどまった。 こいつの目的がわからない以上は、迂闊に動かない方がいい……。 【ルシアス】 「さて、工房に着いたけど、お前の望みは一体なんなんだ?」 【覆面の男】 「倉庫を……開けてもらおう……」 【リチェル】 「……? なんで目当ての物を話せないのかしら……?」 【ルシアス】 「わかった、ちょっと待ってろ。 倉庫の鍵を開けてやる……」 俺は壁に据え付けられているレバーを引く。 それと連動して、天井から鎖で吊されているフックが大きな弧を描き、男の頭を軌道の中に捉えた。 【覆面の男】 「――っ!!」 男は必死に躱そうとしたが、肩にフックの直撃を食らい、クロスボウを取り落とす。 あの打撲ではもう右腕は使い物になるまい。 だが、それでも男は目を見開いて痛みに耐え、無事な左腕に懐から取り出したナイフを持ってリチェルに襲いかかり、首に刃を押しつけた。 【リチェル】 「きゃあっ……! ううっ……」 【覆面の男】 「随分と舐めた真似をしてくれたが……。 それでも、俺の勝ちみたいだな……!?」 苦痛に身体を震わせながら男が息巻くが、すでに俺は工房で使うナイフを左手に三本握っていた。 【ルシアス】 「いや、勝っているのは俺の方さ。クッキー」 俺の投げたナイフが、テーブルに一枚だけ置かれていた、食べかけのクッキーの中心を貫く。 覆面から覗く男の目が、驚愕に見開かれる。 このような事態は全く予想していなかったのだろう。 【ルシアス】 「人形師は、とかく犯罪に巻き込まれることが多いのさ。 犯罪者や死体、権力者の替え玉を作らせようとする奴等に接近されることが多いんでね」 【ルシアス】 「だから、ある程度の戦闘術をこなすのが義務になっている。お前が首を斬ろうとするより訓練された俺のナイフの方が早い」 男が焦りを露わにして、息を荒げる。 【ルシアス】 「試してみるかい? ライスター様。 あんたの行き当たりばったりの行動のおかげで、違和感の一つがようやく解消されたよ」 【ルシアス】 「おおかた、あんたは俺が投函した手紙を盗み読みしたんだだろう? そして、リチェル様が外出することを知って襲撃したんだ」 【ルシアス】 「彼女は人質としてうってつけというだけじゃない。 あんたは、この工房に来る本来の目的での口実を失ってるから、目的の物を騙し取る方法は使えなかったんだ」 【ルシアス】 「普段、俺は工房に厳重な施錠をしているし、何より男だ。 まともに襲撃を仕掛ければ逃げられる可能性がある。 それだけあんたは脅迫の成功率を上げる必要があった」 【覆面の男】 「ふん……! 何のことだ? 俺は知らないね」 【ルシアス】 「シラを切るつもりか。なら、いいことを教えてやる。 あなたから真実を得るまでは、ひと思いに殺すわけにもいかないからな……」 【ルシアス】 「ここには、アデルフ遺跡から発掘されたタリスマン型の素体はない。もともと、俺は持ってなかったのさ。 リチェル様に人形製作を依頼させるための大嘘だよ」 【ルシアス】 「人形を長持ちさせる頑丈な素体を持っているという条件をちらつかせれば、間違いなく食いつくからな。 その後で、加工するのは無理でしたと素材を変えればいい」 俺の勘が正しければ、必ずこの嘘に反応を示すはずだ……! 【覆面の男】 「それならなぜ……! アデルフ遺跡からタリスマン型が発掘されることを知っていた……! っ……!?」 【ルシアス】 「ボロが出たな……あなたがリチェルと結婚したがった理由は、その人形が欲しかったからなんだ……」 【ルシアス】 「ライスターさんの事業は古代文明の復元だよな? だとしたら、タリスマン型が招聘の門を起動させる鍵になっていることを、どこかで知っていてもおかしくない」 【ルシアス】 「古代文明は、情報科学が発達していた時代だ。 招聘の門の情報が、アデルフ遺跡にしか残っていなかったということはないだろう。だからあなたは知ってたんだ」 【ルシアス】 「だが、アデルフ遺跡はすでに発掘の大半が済んでいた。 そして、タリスマン型は現在研究のため、人形ギルドで世間から秘密裏に保管されている」 【ルシアス】 「そして、人形コンテストの優勝賞品として、勝者に与えられることになっていた。 それを知らなかったから、あなたは俺の所に来たんだ」 【ルシアス】 「リチェル様が死んだら、あなたは人形を手に入れる口実をどのような形でも永遠に失う。 だから、無理にでも人形を入手しようとしたんだろう?」 【ルシアス】 「いずれにせよ、あなたはリチェル様が好きだったわけじゃないんだろう」 【ルシアス】 「招聘の門を買い取って、大儲けでもするつもりだったんじゃないのか? 公開すれば誰でも、あの力を借りたがるだろうからな」 【ライスター】 「違う……! リチェルさんのことを僕は本当に愛していた……!」 【ルシアス】 「認めたな……? なら、お前の企みは何だったんだ?」 【ライスター】 「僕は、昔からリチェルさんが好きだった……。 だから、病気を治してあげたいとずっと思ってた……!」 【ライスター】 「君は知らないんだろう? 彼女の病気を完治させる唯一の方法を……」 俺は頷く。 【ライスター】 「彼女の心臓病は先天的なもので、症状が後になってだんだん現れてくるというものだ。発見が困難な上に、大人になってからだと、身体が持たなくて治療できない」 【ライスター】 「だが、幼児期のころに早期発見すれば外科治療で治せるんだよ。そして、普通の人と変わらない寿命を手に入れる」 【ライスター】 「この時代のリチェルさんが死んで、僕が相当に歳を取ってから過去に戻って彼女を治せば、寿命を延ばした彼女と長く一緒にいられる……」 【ライスター】 「そう、僕が帰らなければいけない時間を迎えるまではね……その時には僕は寿命で死んでいるだろうけど、それでも治った彼女と一緒にいられれば幸せなんだ……」 【ライスター】 「精神転写をした人形もいいけど、魂の繋がりはないからね。偽物の彼女に愛されて満足できるほど僕の自尊心は安くないんだよ……」 こいつ……狂っているのか……!? 俺は、ナイフを持つ手が思わず震えた。 【ライスター】 「リチェルさん……わかってくれたかな……? 僕は君が好きなんだ。 できれば、この時代でも愛して欲しいんだけどね……」 ライスター氏はリチェルを気味が悪いほど優しく抱き寄せる。 【リチェル】 「いやっ……!」 リチェルは身をよじる。首筋が少し切れて、血がかすかに流れた。 【ルシアス】 「ライスター! リチェルを離せ! 離さないと本気であんたを殺すぞ!」 【ライスター】 「僕を殺す気かい? 確かにそれは困るけれど、もう少し君達も後のことを考えた方がいいんじゃないのかな?」 【ライスター】 「僕が死んでも、僕の会社は残る。そうすれば、部下がいくらでもタリスマン型のありかを探ってくれるさ それこそ、どんな汚い手を使ってもだ」 【ライスター】 「何故かというと、部下は経営者としての僕の才能を必要としてるからだ。それこそ、僕の精神を転写しただけの人形であったとしてもね」 【ライスター】 「君がタリスマン型を嘘をついて隠し持っているのか、本当に人形ギルドに保管されているのか、はたまた、クルツ氏が預かっているのか……いくらでも調べてくれる」 【ライスター】 「そして、手に入れたタリスマン型で人形を製作し、過去へ部下と人形を送り……僕をその人形に精神転写するという流れになるんだよ」 【ライスター】 「部下の手にタリスマン型さえ渡ってしまえば、彼等の時空転移の目的がどれだけ邪であろうと、人形を調教して認めさせることが出来るだろう?」 【ライスター】 「今回、僕が一人で行動したのも、部下はあまりにも過激すぎる作戦しか提案できなくてね。 僕一人で解決しなければ、誰かを殺したかもしれないのさ」 【ライスター】 「僕としても、殺しはしたくない。 そんな不祥事を抱えてしまえば、僕は責任を問われないように、外国に逃げるしかないからね」 【ライスター】 「僕を殺せば、部下を止める人間は誰もいないよ。 そうすれば、君達は無事じゃいられないってことさ。 さあ、どうするね?」 くそっ……俺とリチェルは元の時代に逃げられるが、彼女やクルツ氏の身が危うくなる……! 俺にはとてもそんな未来は選べない……! 【ルシアス】 「わかった……お前の要求を……っ……!?」 俺が屈服して要求を聞こうとした時、リチェルはライスターの腕を力強く掴んだ。 【リチェル】 「ルシアス……! こんな人の言うことを聞いちゃ駄目! 私のことは構わないで!」 【ルシアス】 「馬鹿! リチェル、暴れるな! 危ないっ!」 力まかせにリチェルはライスターの腕を振りほどこうとするが、ライスターも全力でナイフを引き戻す。 【リチェル】 「ライスターさん……! あなたはどの過去に行ってもルシアスに勝てないわ……! ルシアスは、どんな現実でも受け入れて、幸せを探しているもの……!」 【ライスター】 「僕は、君の苦しみを根源から救おうとしてるんだ……! 彼に勝てないなんてことはないはずだ……!」 【リチェル】 「いいえ、あなたができるのは自分に都合の良い未来を作ることだけよ! 健康になった私が、あなたを好きになるかなんて決まってないわ!」 【リチェル】 「今の私にこんな仕打ちをできるあなたが、過去に行って私の命を救っても……! 私があなたを拒絶したら、それを受け入れられるの!?」 【ライスター】 「黙れ……! リチェル……!」 【リチェル】 「ルシアスは私の幸せを優先してくれた……! その上で、自分が一緒に幸せになる道を探してた……! だから、私はルシアスを愛してる……!」 【ルシアス】 「リチェル……!?」 リチェルが手足を振り回して暴れ、ライスターは渾身の力で彼女を押さえ込もうとする。 その瞬間、 彼女は大きく足を前に踏み込んだ。 首に深々と 刃が差し込まれていく。 【ライスター】 「あ、あああ、ああああああっ!」 ライスターはトーンの跳ね上がった叫び声を上げて、一目散に工房から逃げ出した。 俺はリチェルを抱きかかえた。 ライスターを追っている暇なんて無い……! 【ルシアス】 「リチェル……! なんでこんなことを……! お前、わざと斬られたな……!? リチェル……!」 溢れ出す血を俺は拭った。 だが、間違いなく、この傷の位置は致命傷だ……。 助からない……。 【リチェル】 「ルシアス、様……心配しないで、下さい……」 【ルシアス】 「ルシアス……様……?」 そういえば、この血は……粘り気もなければ、鉄の匂いもしない人形用の血糊……? ということは……? 【リチェル】 「私です……ルシアス、様……。 リチェル様とこうやって……ときどき入れ替わっていたんですよ……」 【リチェル】 「私は……外出した時に、彼女に見つかってしまって……。 それで、精神転写を条件に、彼女の真似をすることを教え込まれたのです……」 【リチェル】 「そして、彼女が夜遊びする時に、館にいたり……。 館に先回りしてルシアス様の応対をしていたのです……」 【ルシアス】 「そうか……だから、ときどき彼女の主体性や記憶に食い違いがあるように見えていたのか……」 お茶を浴びて服が透けたリチェルに違和感を感じたのも、計測したスリーサイズと僅かに違っていたことを、俺が無意識に感じていたためか……。 彼女の寿命が急激に縮まったのも、コンテスト人形製作の際にリチェルと入れ替わって、工房に住んでいたからだろう。 あの時の俺は、不規則な時間にリチェルを呼びつけて、食事を作らせるという不健康な生活をさせていた。 味覚が狂ったと思ったのも、料理の味付けが違ったからだ。 【リチェル】 「私は……悩みました……。 ルシアス様の当初の目的を果たすために、彼女の要求を飲んで、本当に良かったのかと……」 【リチェル】 「私が、彼女の身代わりになりさえしなければ……。 彼女はライスター氏と会うことも、人生の楽しみを他に探すこともなく、ルシアス様だけを見ていたのですから……」 【リチェル】 「ですが……私をリチェル様だと信じて、優しく接してくれるルシアス様の態度が、嬉しくて……。 いけないと何度も思っていたのにもかかわらず……」 【リチェル】 「彼女との精神転写の約束、ルシアス様がくれる幸せ……。 それが大事で、私は自ら真実をルシアス様に言い出せなかったのです……」 リチェルには感情がないわけじゃない……。 感情を理解させないように、俺が接していただけだ……。 彼女が自分の真似をリチェルに教え込ませた時に……。 リチェルは本来の感情のあり方を理解してしまったんだろう……。 【ルシアス】 「そんなことで……ずっと悩んでいたのか……。 俺にとっては、もうどうでも良かったことなんだぞ……」 【リチェル】 「そんな、あなただから……。 私は、ルシアス様によって湧き上がる感情を……。 押さえきれなかったのだと思います……」 【ルシアス】 「リチェル、もうわかった……これ以上喋るな……。 勢いよく斬られたせいで、内骨格に傷が入ってる。 このままだと精神が消耗するぞ……」 【リチェル】 「いいのです……これも全て、考えた末のことですから……」 【ルシアス】 「そんなことを言ってる場合か……! 道具がないこの時代では、リチェルを修理できない……。早く、遺跡に行かないと手遅れになる……!」 【リチェル】 「まだ、大丈夫です……。 だから、私の最後の願いを聞いて頂けませんか……?」 【ルシアス】 「何でも聞く……言ってくれ」 【リチェル】 「ルシアス様……リチェル様の元に行ってください……。 彼女は、体調不良の他、ルシアス様に真実を知られて叱責されるのが嫌で、館に籠もっているのです……」 【リチェル】 「リチェル様が私に精神を転写する約束を守らないのではないかと考え……今日、私は彼女を説得しようとしましたが……彼女は泣いて謝るだけでした……」 【リチェル】 「それで、私は真実を全てルシアス様に話し、信じてもらうために……。 リチェル様の真似をして館から出てきたのです……」 確かに、リチェルがいつも通りの服装で、真実を語ったとしても……。 俺のためを思って嘘をついたのだと思ったかもしれない。 リチェルが真実を述べていると俺が信じたとしても……。 彼女にその事実を問いただして、情報がデタラメだったとすれば、彼女との関係は破局することになる。 人形がすでに完成していることを伝えるわけなのだから。 【リチェル】 「ルシアス様……彼女のために傷ついた私を館に連れて行けば……彼女は自分に責任を感じて、きっと私に精神を転写してくれるはずです……」 【リチェル】 「そして、彼女の精神が宿った私の体を……アデルフ遺跡に連れて行けば、招聘の門は作動します……。 ルシアス様の幸せによって……」 【リチェル】 「本来の目的を果たし、元の時代で彼女の身体を修理し、幸せに暮らしてください……。 それが私の最後の願いです……」 【ルシアス】 「リチェル……本当にそれでいいのか……? 自分を犠牲にするだけの生き方で……」 【リチェル】 「いいのです……後悔はしません……。 私は思い出したのです……タリスマンに与えられた、最も大事な使命を……」 【リチェル】 「それは……人間の幸せを守ることでした……」 【リチェル】 「ルシアス様の、この時代での生き様は私の使命を何よりも誇らしく思わせてくれました……。 私は今、誰よりも幸せなのです……」 【リチェル】 「ルシアス様……この時代、最後の瞬間まで、あなたの幸せのために生きてください……。 私の願いを……聞き届けてください……」 【ルシアス】 「わかった……リチェル……。 俺も自分を含め、全ての人の幸せのために…… 最後の君の願いを果たしてみせる……」 【リチェル】 「ありがとうございます……。 私の身体にも負荷がかかってきたようです……。 精神の消耗を防ぐため、意識を遮断します……」 【リチェル】 「ルシアス様……お別れです……。 リチェル様と幸せに……さようなら……」 リチェルの目が閉じられ、活動が停止する……。 俺は溢れてきた涙を拭うことなく、リチェルの望みを叶えるべく、行動を起こした。 彼女の元へ……行かなくては……。 俺は棺桶型のケースに、大切な人形を収める。 これで……リチェルも俺も救われる……。 今はそう信じよう……。 ☆街中 夜☆ 馬車を呼び、急いで館へと向かった。 ☆リチェルの館 外部夜☆ 何度もしつこく呼び鈴を鳴らすと、彼女がよろめきながら、姿を現した。 【リチェル】 「あ……ルシアス……。 私を許せないからここに来たの……?」 【ルシアス】 「リチェルが……俺の大切な人形が、ライスターに壊された……。彼女は最後まで君と俺を庇って……」 【リチェル】 「そんな……そんなこと……!  全部、私のせいだわ……! 私が、自分勝手な願いを彼女に押しつけたから……!」 【ルシアス】 「俺は、元の時代に戻って彼女を直さないといけない……。 彼女のしたことを無駄にしないために……。 俺はここに来たんだ……」 【ルシアス】 「死に行く君の精神を繋ぎ止めるための人形が、今ここにある……。 この人形の身体を……君に受け取って欲しい……」 彼女は責任を感じているのだろう……。 堰を切って流れ出した涙を拭いながら、小さく頷いた。 ☆リチェルの館 夜☆ 【ルシアス】 「さあ……君の精神が宿る新しい身体だ……。 君の魂があるうちに、心に焼き付けて欲しい……」 俺は棺桶の蓋を開けるが、彼女は中身から目を逸らした。 【リチェル】 「ごめんなさい……私はやっぱり卑怯者なんだわ……。 彼女との約束を破ろうとしただけじゃなく、彼女の痛みを背負う勇気すらないって今になって気付いた……」 【ルシアス】 「リチェル……大事なのは自分の願った幸せの形にしがみつくことじゃない」 【ルシアス】 「どんな不幸な現実でも受け止めて、それでもなお、幸せを新しく形作ることを諦めないことだ……。 だから……目を逸らさず、見届けるんだ」 彼女は頷くと、一度目を閉じてから棺桶を覗き込むように首を動かし……ゆっくりと目を開けた……。 喜んでくれ……その人形は、祝福された君の姿なのだと、俺は信じているから……。 【リチェル】 「これは私じゃない……? 彼女でもない……。 でも、どこか似ているわ……一体、誰なの……?」 【ルシアス】 「でも……綺麗なのは間違いないだろう? 俺も……これほどの美人を見たことはない……」 彼女が頷く。 【ルシアス】 「これは君だよ。今以上に美しい君の姿だ。 少なくても人形の美を競う基準に照らす限りは……」 【ルシアス】 「君が病に冒されず、健康に成長して……。 今の歳を迎えたとするなら、君はこの姿になったはずなんだ……」 【リチェル】 「ルシアス……」 【ルシアス】 「君が何を望んでいるか……リチェルに自分の真似をさせて、何をさせたかったのか……。 俺も何となくわかりかけてきたんだ……」 【ルシアス】 「もし、俺が君のことを理解できているとするなら…… きっとこの身体を喜んでくれると信じている。 君の返事を……聞かせて欲しい……」 【リチェル】 「ルシアスの……意地悪……」 Σ時間経過エフェクト 俺はリチェルを椅子に座らせてモデルをさせながら、人形に皮膚を貼り付ける最後の作業にとりかかった。 【リチェル】 「ルシアス……私はね……。 死ぬ前に沢山夜遊びをしたかったから、リチェルさんに私の真似を教え込んだわけじゃないの……」 【リチェル】 「あなたのことも、私は本当に好きだったわ……。 その気持ちには嘘はないの。それだけは信じて……」 【ルシアス】 「疑ってなんていないさ。君はすでに自分の人形が完成していたことを知ってしまったからこそ、自分の真似をリチェルに教えたんだろう?」 【リチェル】 「その通りよ。ルシアスも、この部屋と私を見ているなら気付いたはず……。 私の心が満たされずに饑えきっていたことをね……」 【ルシアス】 「そうだな……君はあらゆる贅沢を味わい尽くしている。 でもその反面、誰かに与えられる物だけでしか満たされていない……」 【リチェル】 「私、自分だけを必要とされることに憧れてた……。 だから、歌や演技、文学……あらゆる物に手を伸ばしたわ」 【リチェル】 「でも、この病弱な身体では何一つ成し遂げられなかった。 誰かの子供を産んで、血を分けた子に夢を託すことだって私には許されない……」 【リチェル】 「だからなんだと思う……世界でたった一人だけの、最高の人形師である、あなたに惹かれたのも……」 【リチェル】 「そして、世界一のあなたが作る人形だから……。 私はそれに協力することで、自分だけができることを見つけた気になれたのよ……」 【ルシアス】 「やはり、そうだったのか……」 【リチェル】 「私はルシアスが好きだけど、魂の繋がりのない人形に精神を移すことは少し抵抗があったわ……。 でも、あなたの幸せのため、受け入れるつもりだった……」 【リチェル】 「でも、未来から来たあなたは人形を完成させていた。 だから、それを知った私は自分の目的を奪われたような気がしてしまったの……」 【リチェル】 「だから、自分だけができることとして、リチェルさんに私の真似を教え込んだのよ……」 【リチェル】 「リチェルさんが条件に出してきた、精神転写の約束を私は最初から守る気なんて無かったわ……」 【リチェル】 「最後には、騙されていた、あなたの鼻を明かして、彼女の存在価値を認めさせるつもりだった。 彼女だけの人生をあなたに最後は認めさせたかった……」 【リチェル】 「彼女に幸せになって欲しいって思って……。 ここまでルシアスのために尽くせるのだから、感情を理解すれば、きっとあなたを誰よりも愛すると思った……」 【リチェル】 「そうなれば、きっと優しいルシアスはリチェルさんの精神を上書きできないと思った……私の我が儘だったのよ……我慢する自分が悲しくて夜遊びを続けたけどね……」 【ルシアス】 「だから、別の人形が出来たと言っても精神転写を否定したというわけか……。 リチェルと俺を結びつけることを諦めなかったから……」 彼女は目だけ微笑ませて頷く。 【リチェル】 「その通りよ……。 私は、あなたを愛したまま、消えていくつもりだった。 自分の目的を果たしたからにはね……」 【リチェル】 「だから、ライスターさんに私の精神が転写された人形が渡ることも我慢がならなかった……」 【リチェル】 「だから、わざと工房に籠もって寿命を縮めたのよ……。 最後には体調不良になって、館に戻ったけどね……」 【ルシアス】 「君はリチェルに誰かの代わりの存在であってほしくなかったんだな……。 君自身がそうでありたかったように……」 しかし……彼女は、最後まで誰かの代わりであることを望んで傷ついていった……。 俺もリチェルも、そのことを望んではいなかった。 自分だけの幸せを望んで欲しかった。 何としても、そのことに気付いて欲しい。 それが俺とリチェルの願いだ……。 そして、俺とリチェルだけが伝えられることだ……。 俺の作業する手が、さらに精密さを増した……。 最後の場所である顔に皮膚を張る。 ただでさえ美しい表情が、艶やかで滑らかな感触に彩られる。 【ルシアス】 「よし……終わりだ……。 これが全て、君の物だ……。 俺はこれで安心して元の時代に帰れるよ……」 リチェルは目を見開いて完成した人形の美しさに見入っている……。 【ルシアス】 「ライスターは君が死んだと思いこんでいる。 早いうちに警察に訴えて、偽の葬儀を大々的に行い、君が死んだことを世間にアピールするんだ」 【ルシアス】 「彼自身は間違いなく外国に逃げるだろうから心配ないが、タリスマン型の素体の在処を部下がなおも探ってくる可能性がある」 【ルシアス】 「コンテストにこの人形を提出して優勝させ、賞品のタリスマン型を、この時代に新しく現れるであろう俺に渡して処分させるんだ」 【ルシアス】 「そして君は、容姿の違うこの人形に精神を転写して、生きていけばいい。 君の人形が存在することを誰も疑わないだろう」 【ルシアス】 「魂の繋がりこそ無いが……。 この健康で精密な身体なら、演技や文学、作曲など、どんなことでも成し遂げてくれるだろう……」 【ルシアス】 「これで、俺も君も……クルツ様もリチェルも……大丈夫だ……。新しい身体を大切にしてあげてくれ……」 【リチェル】 「ルシアス……ありがとう……本当にありがとう……! あなたは本当に世界一の人形師ね……!」 【ルシアス】 「それじゃ……俺は元の時代に帰るよ。 ありがとう……俺は君に救われた……。 君だから、できたことだ……」 【リチェル】 「ルシアス……お別れね……。 リチェルさんと幸せに……さようなら……」 彼女は俺から見えなくなるまで、手を振り続けて見送ってくれた……。 君と過ごした時間を忘れない。永遠に……。 ☆遺跡外部 夜☆ この時代ともついに別れを告げることになる……。 今以上に、俺が生きていた本当の時代を美しく感じたことはなかったと断言できる…… 彼女の最期を看取ってあげることができなかったこと、彼女の精神を受け継いだ人形の活躍を見届けられないのが、この時代での唯一の心残りだけれど……。 ☆遺跡内部 夜☆ 帰ろう……ここより遥かに幸せな元の時代に。 そこは俺とリチェルが、誰からも祝福されて生きていける唯一の時代だから……。 過去に帰る全ての条件は満たしている……。 この上なく完全な形で……。 自分はこんなに幸せでもいいんだ……。 自分は夢を見ているわけじゃない……。 これは現実だ。多くの決断の上に選び取った大切な……。 俺は抱きかかえていたリチェルの手を右手にとり…… 目を閉じて、左手を招聘の門に当てた……。 ☆遺跡内部 夕☆ 【ルシアス】 「朝日だ……リチェル、帰ってきたよ……」 俺は安らかな寝顔をした、リチェルの頬を優しく撫でた。 【男】 「おーい! ルシアス! どこに行ってんだーっ! 世界第二位の鑑定士による、鋭い感性から導かれる勘によると、感傷的なお前はここに訪れると決まってんだ−!」 駆け足で遺跡にやってきた男はクロードだった。 【ルシアス】 「ここだーっ、クロード!」 声に呼ばれて、クロードが頭を掻きながら駆け寄ってくる。 【クロード】 「ったく、俺様も休暇が取れたから、旅行に便乗しようと思って手紙送ったのに、ホテルに居ねえんだもんな……。 なにやってんだよ……」 【ルシアス】 「お前……今の俺の状況を見て、何とも思わないのか? しかも、すごく無神経なような……」 首が派手に切れているリチェルを、俺が抱き締めているというのに。 【クロード】 「そりゃ何とも思わねえよ。俺様はこう見えてもロマンチストで信心深いからなあ。あ、古代文明に神秘はねえか。 まあ、不思議な体験でもしたんだろ?」 【ルシアス】 「あっさり信じるんだな……根拠ぐらいはないのか?」 【クロード】 「あんたの目が、たった一晩で恋をしてる。 世界一の美を作り出す輝きを取り戻してる。 この現状を悲しんでねえ。それで十分さ」 【クロード】 「っと、それ以上何も言わなくてもわかるぜ。 とっとと帰る準備を整えてやるよ 恋をしてる相手がわからねえほど、俺様は鈍くねえからな」 クロードは口の端を歪め、歯茎をむき出しにして笑った。 ☆遺跡外部 夕☆ 【ルシアス】 「ありがとう……クロード」 【クロード】 「高く付くぜ? この貸しはよ」 【ルシアス】 「自分の乗ってきた馬車を貸すだけで貸しにするのか?」 【クロード】 「今のあんたは、絶対に払うさ。 それに、貸しはそれだけじゃねえだろ? 誰が企画したネタだと思ってんだ? 世界第二位だぜ?」 ☆背景 白☆ 俺は置かれていた馬車にリチェルを乗せて、工房へと向かった。 2人分の料金を気前よく払って……。 ☆遺跡外部 夕☆ 【クロード】 「俺様としたことが、無償労働、しちまったな……。 時給換算すると……くそったれ、いくらになるんだ?」 【クロード】 「招聘の門を起動させるには『最低一人』が時空を超え、それによって、幸せになれる『最低二人』が必要だからな……」 【クロード】 「まあ、いいってことにするか。 天に宝を積むのも悪くねえ。 天を掴む才能を積んでやれば神様も喜ぶだろうよ……」 ☆工房 昼☆ 俺はリチェルの身体を修理していた。 間違いなく取り戻した、世界一の技術で。 傷痕一つ残すまい。 リチェルは誰よりも大切な女性だ。 だから、独り占めしたいほど綺麗にしてあげたい……。 人形に自分の感情を込めること。 作り上げた人形を好きになろうとすること。 俺はこんな大切なことを、少し前まで忘れていたんだ……。 時を忘れているうちに、リチェルの修理が完了した……。 あとは、精神活動を活発化させる薬品を体内の中枢機関に入れれば動きだす……。 でも……。 彼女は、俺の選択を喜んでくれるだろうか? 俺の気持ちを受け入れてくれるだろうか? きっと彼女は自分を犠牲にしようとして、言葉を繕い、自分の過去を責めるだろう……。 それなら、確かめる方法は一つしかない……。 俺はリチェルを立たせて強く抱き締める。 俺はそれだけで、心に麻酔を打たれたかのように、意識がとろけそうになった……。 俺は薬品を口に含んだ。 そして、リチェルに薬品を口移しで流し込む。 彼女の柔らかくしなやかな唇……。 滑らかで心地よい舌……。 俺は全てを吟味するように味わった。 彼女の瞼がゆっくりと開かれていく。 セルロイド製の綺麗な瞳が目の前の俺に焦点を合わせようとする。 【リチェル】 「っ……!? むうっ……」 リチェルは目を見開いて、ついに俺を認識する。 舌を絡められているリチェルは、言葉を発することが出来ず、されるがままだった。 【ルシアス】 「はあっ……っ……」 息継ぎのために少し口を離した瞬間、リチェルは身を弾くように顔を背けた。 【リチェル】 「私は……消えることが出来なかったのですね……。 ルシアス様……あなたは私に同情したのですか……?」 【ルシアス】 「リチェル……俺と君の幸せは、同じ方向にあるのか? もしそうなら、一分一秒でも今はこうしていたい……」 【リチェル】 「ルシアス様……このようなことはやめてください……」 駄目だったのか……? やはりリチェルは、心の底で俺を受け入れることが出来なかったということなのか……? 【リチェル】 「今は人々が地上を支配する時間です……」 【ルシアス】 「は……?」 【リチェル】 「この時間における、この行動に対しては、クロード様がそう言えと申しておりました……」 【ルシアス】 「あはっ、あははははははっ……」 【リチェル】 「私は……ここで笑った方がいいのですか……?」 ☆工房 夕☆ 俺はリチェルに全てを語って聞かせた……。 彼女がリチェルに何を望んでいたのか……。 そして、俺自身がリチェルを選んだ理由を……。 リチェルは、自分の行動で未来が変わったことを悔やんではいた。だが、今の彼女はその現実を受け入れて、自分の新しい使命を確かに探していた……。 【ルシアス】 「俺の幸せを守ることがタリスマンの使命なら……。 いや、使命を盾に取るなんて押しつけがましくて最低だな。 ええと、その……いい言葉が思いつかないけど……」 【ルシアス】 「そうだ、さっきのキス……俺以外の人にされるのが生理的に嫌だって思えたなら……。 俺だけに、その権利が欲しい……どうかな?」 彼女は少し考え込んでから、納得した表情で頷いてくれた。 【リチェル】 「知識もない上に初めてでしたから、少し理解に苦しみましたけど……あなただけでなければ、私は嫌のようです。あなただから、嬉しく感じたと予測できますし……」 まだ、リチェルは新しい感情と知識に戸惑っているけれど。 これから、それを教えていく時間と俺の意識は確かにある。 一緒に生きていれば、リチェルも自分の存在を無条件で祝福できる日が来るだろう。 その日を作るのが、今の俺だけの使命であるはずだ……。 ☆工房 夜☆ 【ルシアス】 「リチェル……もう、空に星が見えるよ……」 【リチェル】 「はい……もう一度、したいのですね……。 私もそう思っていたところでした……」 俺はリチェルを優しく抱き寄せてベッドに腰掛け、自分の膝の上にリチェルを座らせた。 そのまま、俺の身体でリチェルを包み込むように背を丸め、リチェルに口づけをする。 触れあっているだけのキスを飽きることもなく続ける……。 【リチェル】 「ん……くふっ……」 俺はリチェルをさらに欲しくなって。 もっと、自分の心を理解して欲しくて。 リチェルの胸の膨らみに手のひらを被せた。 【リチェル】 「ルシアス……様……そこは……っ」 【ルシアス】 「そうだな……人に触れさせてはいけないところ、見せてはいけないと教えたところだ……。 でも、リチェルがいいと思う人なら、許していいんだ……」 【リチェル】 「でも私……初めてですから……。 どうすればいいのかわからず、混乱してしまって……」 【ルシアス】 「じゃあ……やめようか? 俺も、リチェルに望んでもらえないなら、したいとは思わないよ……」 【リチェル】 「……いいえ。望んでいるかはわかりませんが、 ルシアス様の手が私から離れるのは、寂しいのです……」 【ルシアス】 「ありがとう……リチェル。 俺は君に触れていたいし、離れるのも寂しいよ……。 その気持ちが君にわかるなら……」 リチェルは頷き、俺も頷き返した。 服の上から、リチェルの乳房を包むように掴む。 弾力のある心地よい柔らかさが、俺の鼓動を早めていく。 リチェルも、初めて経験する感情に戸惑いながらも、恍惚の表情を浮かべ始めていく。 その初々しさが、俺にはとても愛おしくて……。 俺の目は潤み始めていた…… 俺は、再びリチェルに口づけをする。 今度はさらに深く舌をリチェルの口に差し入れて。 リチェルの舌を軽く吸い上げ、自分の舌と絡めるように舐め上げる。 同時に今度はもっと強く…… リチェルの胸を指先を立てて掴み、揉み上げる。 その動きと連動して、彼女の舌が動き、俺の性感がさらに高まっていく……。 だめだ……もう、我慢できない……。 リチェルの全てが欲しい……。 例え、彼女にどう思われたとしても……。 【リチェル】 「あっ……」 俺はリチェルをベッドに押し倒し、彼女のブラウスのボタンを荒っぽく外していく。 ビスチェのカップを外して、胸を露わにすると、俺は迷わず乳首を口に含んだ。 そのまま、音を立てる勢いで桃色の先端を吸い上げる。 【リチェル】 「ルシアス様……赤ん坊の真似をしたいのですか?」 【ルシアス】 「そうだな……そういうものかもしれない。 男なら、こうしたいと思うものなんだ」 【リチェル】 「それなら……私もそれらしく振る舞ってみます」 【ルシアス】 「それらしくって……なんだ?」 【リチェル】 「こういうことです。さあ、来てください」 彼女がベッドに腰を掛け、俺を手招きする。 彼女は本当に赤ん坊へ授乳するかのように、俺に膝枕をした。 【ルシアス】 「胸を吸っていいのかな……なんかすごく恥ずかしいのだけど……」 【リチェル】 「はい……ルシアス様の望むままに。 少なくても、私はルシアス様が喜ぶのはこの形ではないかと判断しました……」 【ルシアス】 「わかった……遠慮無く吸わせてもらうよ……」 許可を貰ったとはいえ、おれはおそるおそる舌先を乳輪に這わせた。 こんな赤ん坊そのもののようなことをして、リチェルに幻滅されたらどうしようかと…… 心のどこかで、恐れてもいた。 【リチェル】 「ルシアス様……私は待っているんですよ? 胸を吸って貰えるのを……」 リチェルは俺の頭を抱き、髪を指で撫でる。 その行動に、心はいくぶん落ち着いたが、思わずリチェルの母性で羞恥心を感じてしまう。 だが、それは決して不快なものではなく……。 俺は安らかな心地で、本当に子供に返ったかのように、乳首を舐め、吸い続けた。 柔らかいゴムで出来たような突起を唇で何度も挟み、乳輪の僅かな突起を舌で感じる。 俺はしばらくの間、自分の願望を満たすことに専念していた。思いつく限りのことを躊躇せずに行った。 そんな俺をリチェルは優しい顔で見守っていた。 俺はリチェルのその顔を見るのが心地よくて、飽きることなく、乳首をしゃぶり続ける。 そのうちに、俺よりもリチェルの方が飽きてしまったのか、考え込むような顔をしてしまった。 【ルシアス】 「ごめん、リチェル……! もしかして、退屈させたか……? でも俺ばっかり楽しんでたら、当然だよな……」 【リチェル】 「いいえ、ルシアス様、そのようなことはないのですが……もっと、あなたに喜んでもらいたくて、考え込んでしまったのです……」 彼女は目を丸く見開く。何かを思いついたらしい。 【リチェル】 「申し訳ありません、ルシアス様……。 私は人形ですから、母乳を与えることが出来なくて…… でも、今良い考えを思いつきました。少々お待ちください」 リチェルはベッドの脇に置いてあったティーセットに手を伸ばし、甘く味付けしたミルクを乳房に塗りつけた。 その動作が、とても艶めかしくて…… 俺は息を思わず荒げてしまう。 【リチェル】 「さあ、召し上がれ。ルシアス様……」 リチェルが小振りな胸を俺の口の前に差し出す。 俺は彼女に興奮していることを知られるのが恥ずかしくて、平常心を装いながら、乳首に唇を近づける。 舌を胸に這わせると、甘い味が口いっぱいに広がった。 ただ、味が追加されたというだけなのに、俺の本能はこれ以上にないほど刺激される。 俺は、特別母親の愛情に飢えていたというわけではないが、胸に思う存分吸い付きたい、母乳が飲みたいという嗜好が強かったのは確かだ。 その願望が満たされたことで、俺の頭は霧がかかったようにぼやけていった。 【リチェル】 「さあ、もっとリチェルのお乳を召し上がってください……」 リチェルがミルクをさらに乳房に垂らす。 塗られているミルクを全部舐めようと、軽く乳首を甘噛みして、しごき取るように歯を動かした。 【リチェル】 「どうですか? ルシアス様、美味しいですか?」 【ルシアス】 「ああ……これ以上にないほどだ。ここまで赤ん坊をうらやましいと思ったことはないよ……」 【リチェル】 「私がもし、子供を産むことが出来たら……。 こんなに幸せな気分になれるのですね……」 【リチェル】 「それに、その……すごく気持ちが良いと思えますし……。 今までにない心地よさでした……」 【ルシアス】 「乳房を吸われているだけで、そんなに心地良いのか? リチェルは皮膚の感覚がないんだろう?」 【リチェル】 「きっと、私の精神の根底にある、母性本能がくすぐられているのでしょう……私は永遠に子供を授かりませんが……」 【ルシアス】 「なら、リチェル……俺が赤ん坊の代わりになって、リチェルの胸を毎日吸い続けるよ…… ミルクを出せる機能ぐらいは作れるさ」 【リチェル】 「ふふっ、甘えん坊なのですね。 でも、赤ん坊はこんなに官能的な乳房の吸い方をしないと思いますよ?」 【ルシアス】 「甘えるのは、俺に似合わないかな?」 【リチェル】 「そうですね……ルシアス様には、もっと力強く接された方が私もその気になれるような気がします……」 【ルシアス】 「じゃあ、今日だけだ……だから、思い切り吸わせてもらうよ……」 俺は乳首を舐めたり吸ったりするだけでなく、乳輪を舌先でなぞり、胸の膨らみそのものに舌を押し込む。 唇だけで乳首に触れ、頬で胸の柔らかさを堪能し、正に異性に向ける本能そのものの姿で触れあった。 さっきまでは、性欲よりもリチェルが愛しいという気持ちが強くて陰茎が勃たなかったが、本能に身を任せているうちに、今にもはち切れそうなほど怒張した。 【リチェル】 「ルシアス様……どうしたのですか? ここが、こんなに腫れ上がっています……」 リチェルが俺を膝枕したまま、ズボン越しに股間を撫でる。 それがとても心地よくて、俺は思わず身をよじる。 リチェルは俺のそんな姿を見て、かえって心配そうな表情を浮かべた。 【リチェル】 「ルシアス様……これは、何かの病気なのですか……?」 【ルシアス】 「違うんだ、リチェル……。 好きな人の身体と触れあうと、男はこうなるんだ……。 その人と愛し合うための準備が出来たということなんだよ」 【リチェル】 「これは……ルシアス様の意志とは無関係に起きるのですか?」 【ルシアス】 「ああ……本当に好きな人じゃないと、どんなに望んでもならない。リチェルだから、こうなれたんだ……」 リチェルは、その時、大きく微笑んだ。 【リチェル】 「ルシアス様、私……。 あなたが無理をして、私を受け入れようとしているのではないかと、心の底で思っていたんです……」 【リチェル】 「でも、あなたは自分を納得させているのではなく……。 精神や本能の段階でも、私を求めてくれるのですね……」 【リチェル】 「嬉しいです……愛しています、ルシアス様……!」 リチェルは膝枕している俺の顔を強く抱き寄せ、乳房を押し当てる。 頬全体に弾力が伝わり、俺の陰茎が膨らんで、さらに上を向いた。 【ルシアス】 「それなら、リチェル……。 本当に愛を確かめた男女だけに許されることを…… 今、始めてもいいかな……?」 【リチェル】 「ルシアス様……あなたの気持ちは本当に嬉しく思います。今、幸せです……ですが、私は人形ですよ……?」 【リチェル】 「どのようなことをするのかはわかりませんが……。 そのようなことは、人間の女性とした方が、ルシアス様は幸せになれるのでは……?」 【リチェル】 「私は、絶対に……ルシアス様を後悔させることへの水先案内はしたくないのです……」 【ルシアス】 「ははっ……リチェル、膝が震えてるぞ。 俺を心配しているんじゃなくて、怖いんだろう?」 【リチェル】 「気付いていたのですか……」 【リチェル】 「理由はわからないのですが……ルシアス様の大きくなった股間を見ると嬉しくなった反面、心のどこかで怖くなって……」 【ルシアス】 「いいんだよ。純粋なリチェルなら怖くて当然だ。 俺は、そんな君だから好きになったんだ。 後悔なんてしないよ」 【リチェル】 「わかりました……それなら、その……。 優しくしてください……」 【ルシアス】 「ああ……それなら、服を脱がすよ……」 俺は半分だけ脱げていたリチェルのブラウスとビスチェを完全に外し、スカートを下ろす。 最後にリチェルの股間を覆っているドロワーズを俺はゆっくりと下ろした。 肌が露わになるにつれ、体毛が生えておらず、ぴったりと閉じあわされた股間の割れ目が現れる。 全裸になったリチェルと向かい合い、彼女を膝に乗せて座った。 彼女を真っ直ぐに見据える。 【ルシアス】 「リチェル……自画自賛になってしまうけど、すごく綺麗だ……」 リチェルは俺から背ける。言葉に出来ないほど恥ずかしいようだ。 【ルシアス】 「恥ずかしがらなくてもいい。これが恋人に許されたことなんだから……」 俺は人差し指を2人の間に潜り込ませ、リチェルの縦筋に沿うように撫でる。 リチェルは一度大きく身を竦ませた。 怖がらせてしまったらしい。 【リチェル】 「ル、ルシアス様……いったい、これから…… どのようなことをするのですか……?」 【ルシアス】 「最終的には、俺の勃起した股間を……リチェルの割れ目に差し込んで、気持ちよくなるんだ」 【ルシアス】 「あ、でも……リチェルの皮膚や筋肉には感覚がないから……気持ちよくなるのは俺だけかな……?」 【リチェル】 「それでも私の心は満たされています……。 まだ、戸惑うことも多いですけれど……。 でもルシアス様だけの快楽では決してありません……。 【ルシアス】 「わかった……それじゃ、リチェルの方も準備をさせてあげるよ」 俺はもう一度リチェルの割れ目に指を這わせて濡れ具合を確認する。まだ、これでは足りないようだ。 もちろん、リチェルの身体は人形だが、生理的に興奮すると外部補充型の粘液が抽出される仕組みになっている。 俺は、それを思い出し指を膣内に差し入れた。 【リチェル】 「ああっ、ううんっ……」 【ルシアス】 「リチェル……大丈夫か?」 【リチェル】 「ええ、なんだかわからないのですが、胸が熱くなったかのようで……心の高鳴りが押さえられないのです…… ああんっ……」 【ルシアス】 「心だけでそれだけ感じられるんだな……。 思い切って誘ったかいがあった……」 俺は、リチェルの興奮が醒めやらぬように…… 何度も何度も指を差し込み、割れ目全体を手のひらでほぐすように揉み上げた。 縦筋に沿うように指先でなぞり、幅広く、女性器の外側全体を指の腹で撫で、指を鉤状に曲げて膣内に差し込み、上方部を引っ掻くように動かす。 だんだん、メープルシロップのように粘度と潤滑性のある液体が膣内から染み出てくる。 俺は指に付いた液体を一滴残らず口ですすり上げた。 【ルシアス】 「とてもおいしいよ……リチェル……」 【リチェル】 「そんな……恥ずかしいです……はあっ……」 本当に甘い……粘液には味を添加してあったんだったな。 ずっとこのまま、リチェルの可愛い反応を見ていたいけど……。 このままだと、何もしないまま俺自身が興奮だけで射精してしまいそうだ……。 【ルシアス】 「リチェル……もう、たっぷりと濡れたよ……」 【リチェル】 「ルシアス様……そんなことをわざわざ口に出して言わないでください……」 【ルシアス】 「わかったよ。リチェル。準備は充分に整った。 どうしてほしい? 君が決めるといい」 【リチェル】 「ルシアス様は意地悪です……。 どこまで私を困らせたら気が済むのですか……?」 【ルシアス】 「子供の男女の原理だよ。 こうやって、戸惑うリチェルを見ていたら……。 いじめてでも、素直な感情を見たくなったんだ……」 【リチェル】 「そんな……ルシアス様の……ええと確か、この時は……その……」 リチェルは自分の両頬に手を当てて、俺から目を背ける。 【リチェル】 「ルシアス様の……変態……」 俺はリチェルに非難されたというのに、心をくすぐられたかのような気分になる。 【ルシアス】 「確かに、俺は変態なのかもしれないな……。 リチェルの反応どれをとっても、嬉しく思えるんだから……で、どうする?」 【リチェル】 「意地悪……なんとしても言わせたいのですね……」 リチェルは一度咳払いをする。 【リチェル】 「ルシアス様の……大きくなった股間を……私の割れ目の中に入れてくださいっ……!」 リチェルは言った先から、身体を羞恥でよじる。 【リチェル】 「やだっ……恥ずかしいです……。 ルシアス様……責任を取ってくださいっ……!」 【ルシアス】 「ああ。最高の恋人だけの時間にしよう……」 俺はリチェルの割れ目に陰茎の先端をこすりつけ、充分に潤滑液をまぶす。 リチェルはその動作だけで怯えたらしく、身体をこわばらせた。 俺は彼女を安心させるために、安らかな笑顔を見せ、太股をさすってあげる。 【リチェル】 「ふうっ……ルシアス様……優しいのですね…… くすぐったい……とか言えたらいいのですけれど……」 【ルシアス】 「いいんだよ。リチェルは感覚が無くたって、誰よりも綺麗なんだから……。 もっと、力を抜いて……笑って欲しい……」 【リチェル】 「はい……ルシアス様……。 もっとさすってくれれば、私の心は満たされます……」 俺はリチェルの願ったとおり、太股からリチェルの腹をさする。 内股のこわばりが解け、リチェルは俺に身体を任せ始めた。 よし……始めようか。 運命に導かれた末にたどり着いた、愛の儀式を…… 俺は軽く膣内に陰茎を抽送し、陰茎と膣内全体の滑りを満遍なく広げていった。 柔らかな入り口が亀頭と擦られる。 こんなに美しいリチェルと、このようなことができるという事実だけで興奮は増し、思わず射精しそうになる。 【リチェル】 「ルシアス様……私は覚悟を決めています。 これ以上、待たせないでください……。 あなたに抱かれていないと、寂しいのです……」 【ルシアス】 「わかったリチェル、行くよ……」 【リチェル】 「ルシアス様……来て下さい……」 俺は亀頭を軽く膣口に差し込んだ状態から、思い切り腰を前に動かした。 彼女は痛みを感じないが、もし人間ならば、破瓜の痛みを一瞬にして終わらせるように、どこまでも鋭く。 途中で、純潔の証である擬似的に作られた膜を亀頭が突き破っていった。 膜がはじける感覚が陰茎の先端に伝わる。 リチェルの骨格にも、この挿入は感じられたのだろう。 潤滑液がさらに膣内に抽出され、性器の結合部からも染み出てベッドを濡らした。 【リチェル】 「ルシアス様の股間、すごく熱いです…… こんなに私で感じてくれているんですね……」 【ルシアス】 「わかるのか……? リチェル……?」 【リチェル】 「ちょうど、私の内骨格に摩擦が伝わる場所でしたから……すごく、気持ちいいです……。 くすぐられるながらも、何かが込み上げてくるような……」 【ルシアス】 「そうか、俺もまだまだ人形師として完全じゃなかったってことなんだな……」 【リチェル】 「ルシアス様……口よりも体を動かしてください……。 私を満足させてくれなければ嫌です……」 【ルシアス】 「急に積極的になったな……」 ちょっと、初々しさが失われて寂しいけれど、彼女が喜んでくれるなら、それが俺にとっても一番嬉しい。 俺は性器をつなげたまま腰を上下に動かした。 【リチェル】 「ああんっ……あっ、ああっ……。 ルシアス様っ……私、こんなに気持ちいいのは初めてですっ……!」 リチェルの美しい顔が恍惚の表情に変わる。 もっと喜ばせてあげたい。どこまでも高く。 俺はリチェルの頭を抱き寄せて自分の胸に寄せた。 【ルシアス】 「リチェル……俺の鼓動が聞こえるか……? 早鐘を打っているだろう……? それだけ君が好きなんだ。 誰よりも君が大切なんだ……」 【リチェル】 「私も……精神の中枢であるレイスジェムが高ぶっています……今この瞬間のために、全ての力を使えと言わんばかりに……」 【ルシアス】 「俺も、この瞬間を終えた後に、命を失ったとしても……後悔はしないと思う……。 この時のために生きてきたと思えるから……」 【ルシアス】 「続けるよ、リチェル…… この先を、リチェルと一緒に迎えたい……」 【リチェル】 「はい……ルシアス様となら何があっても怖くありません……恐怖も困難も乗り越えてきたのですから……」 俺は彼女のお尻を掴み上げるようにして持ち上げ、ゆっくりと下ろす。 結合部が外れる寸前の所まで持ち上げた後、奥にあたるほど深く差し入れる。 亀頭の締め上げが、膣口のあたりで緩み、さらに奥に差し込んで締め上げられることで、刺激に緩急を与え、さらに快楽を高める。 【リチェル】 「ルシアス様……中が擦れてっ……! 力が抜けてしまいそうです……ああっ……!」 もっと、リチェルから感じられる限りの性感を味わいたい……。 俺はさっきとはリズムを変え、陰茎の中程が露出するまで浅く持ち上げては、急に手を離すようにリチェルの腰を落としてみる。 勢いが付くことで、本来なら子宮がある位置にまで亀頭が潜り込み、奥にぶつかった感触があった。 【リチェル】 「きゃっ……ああっ……! 奥に……当たってます…… お腹の中が……熱いですっ……壊れてしまいそう……!」 【ルシアス】 「俺もっ……陰茎がリチェルの中のヒダでこすられて……! ちょっと気を抜くと、絶頂を迎えそうだ……」 俺は少しでも性感を貪ろうと、リチェルの背中を強く抱きしめ、胸と胸をあわせて乳房の感触を上半身で味わう。 柔らかな感触が押しつけられ、尖った乳首が俺の敏感になっている皮膚をくすぐる。 俺の表情を見て、心地よさを感じていることを察したリチェルは、さらに胸をこすりつけ、俺に必死に奉仕した。 【ルシアス】 「リチェルの乳首がすごく気持ちいい……っ!」 頭の中が真っ白になり、俺は無意識に脚を爪先まで一直線に伸ばした。 快感が増幅され、俺の全身の筋肉が硬直する。 【リチェル】 「ルシアス様のあそこ……今、すごく固くなって……! 私、体が震えますっ……! ああっ……!」 リチェルの体に力が入り、それに連れて俺の陰茎が強く締めあげられる。 膣内に設置された突起やヒダが、一度陰茎に一斉に触れ、俺はあまりの心地よさに腰が抜けた。 【リチェル】 「ああっ、ルシアス様っ……! 私、もう体が止まりませんっ……!」 リチェルは、俺の動きを待つことなく、自分で激しく腰を動かし、快楽に身を任せていた。 【リチェル】 「こんなに感情を表に出すのは、はしたないことのはずなのに……! ああっ……私はなんて恥知らずな人形なのでしょう……」 言葉では自分を否定しているが、リチェルの体はどんどんペースをあげて動いていた。 ただ、腰を上下させるだけではなく、割れ目を俺の下腹部に擦りつけるように動いたりもした。 【リチェル】 「ルシアス様……私の手を握ってください……! 意識が飛んでしまいそうです……私の心が壊れてしまわないように……!」 【ルシアス】 「俺も……そろそろ限界だ……! で、出るっ……!」 俺は乱暴にリチェルの顔に唇を密着させ、白くなった視界を探るように彼女の唇を探した。 亀頭のカリ首が膨れあがり、我慢の頂点を超え、全てを吐き出そうとしていた。 リチェルも膣内が陰茎に痛みを感じさせるほど締めあがり、身体を反らせて絶頂を受け止めようとする。 【ルシアス】 「うっ……! くうっ……!」 【リチェル】 「あっ、ああああああーっ……!」 彼女の膣内に精液が止め処もなく放出される。 何拍の間もそれは続き、今までにないほどの量が長時間の間に吹き出した。 俺とリチェルは全身の力が抜け、かろうじて手をつなぎながら、性器の結合を離す。 秘裂から、精液が逆流するほど出ていたらしい。 リチェルに隠れて自慰行為をしていたことはあったが、比べ物にならない快感だったということだろう。 【ルシアス】 「リチェル……終わったよ。よく頑張ってくれた……」 【リチェル】 「ルシアス様……私もあなたに近づけたような気がします……今日という一日があっただけでも、私が過去の世界で行った選択は正しかったと思えるのです……」 【リチェル】 「これが、彼女をないがしろにし、ルシアス様の弱みにつけ込んだエゴだとしても……。 私は、この幸せを誰にも譲れません……」 【ルシアス】 「ありがとう……そう思ってくれるなら、俺も後悔することは何一つないよ……」 俺は繋いでいたリチェルの手に口づけをする。 リチェルは、困惑した表情で俺の行動を受け入れた。 【ルシアス】 「リチェル……今の俺は間違いなく世界一の人形師の力を取り戻している。 もう、生活に困ることは何もない。だから……」 【ルシアス】 「リチェル。俺の花嫁になって欲しい。 世界一の人形師には、世界一の技術を施した人形が最もふさわしいんだ……」 【ルシアス】 「リチェルに俺が知っている限りの幸せを教える。 世界がどれだけ喜びに満ちているのか知って欲しい」 【ルシアス】 「これは俺じゃなくてもできることなのだろう。 でも、リチェルには俺だけが教えたいんだ。 それならもう……答えは出ているよな……?」 【リチェル】 「ルシアス様……私は……。 あなたからしか教わりたくありません……!」 リチェルは顔を両手で覆って、目から大粒の涙を流した。 【ルシアス】 「ごめん、リチェル……。 俺はやっぱりまだ、世界一の腕は取り戻してなかったみたいだな……これは本当に情けない……」 【リチェル】 「え……?」 【ルシアス】 「泣けるという機能をリチェルに付けていたことを、すっかり忘れてしまっていたよ……」 【リチェル】 「ふふっ……ルシアス様……」 彼女は涙を拭うことなく、目を潤ませて笑ってくれた。 演じることなく、自らの感情を素直に表して……。 ☆葬儀会場 昼☆ リチェルの身体の寿命は確かだった。 一度も修理をすることなく、今まで生きたのだから。 厳密に言えば、彼女はいかなる修理も拒否した。 シリコンや筋肉が劣化することで外見が老いてゆき、最後は骨格が劣化して、精神が消耗していった。 俺と一緒に老いていき、共に死に近づいていくことで、リチェルは自分に与えられた魂と自分が望んだ使命を尊重したということなのだろう。 俺は、その生き方を、誰の助言もなく一人で選び取った彼女を今でも深く愛している。後悔も何一つ無い……。 【少女】 「おじいちゃん、そろそろ親戚みんなで集まって、ご馳走を食べながらお話するんだって! 一緒に行きましょ?」 俺とリチェルの養子が産んだ孫娘が葬列参加者の中から駆け寄ってくる。 孫娘はまだ若いが、職人学校筆頭の人形師だ。 リチェルの愛情を受け、俺の技術を引き継いだ。 リチェルは過去で出会った彼女に恥じないよう必死に生き抜いたのだ。自分の過去に後悔するのをやめ、逆に感謝出来るようになって……。 【ルシアス】 「ああ……あともう少しで行くよ。 ただ、もう少しだけこうさせていてくれないか……? 大切なことを思い出していた途中だったからな……」 【孫娘】 「それはきっと……招聘の門のお話ね?」 【ルシアス】 「信じてくれなくてもいい……クロードもリチェルも亡くなった今は私だけの思い出だ……」 俺は葬列参加者が囲むリチェルの墓をもう一度眺める。 【ルシアス】 「あれは……?」 リチェルに似ているような容姿……。 しかし、それはあまりにも健康美に満ちていて……。 リチェルとはやはり別人で……。 俺が目を擦ってもう一度墓の周りを見た時には、その人物の姿は見えなかった。 【ルシアス】 「いや……まだ、私だけの思い出ではなかったかもしれないな……」 【孫娘】 「そうよ、まだ部分的にしか聞いてないけど、私はそのお話を信じているもの! だから、一度でいいから全部を聞かせて!」 【ルシアス】 「そうだな……そうしようか。 お前だけに、話してやろう……」 俺は孫娘と一緒にその場に腰を下ろす……。 【ルシアス】 「これは本当の物語……時を超えて、未来を選び取るために生き抜いた……。 誰にも代わりの出来ない、3人だけの物語……」 Ω マージナルアイドル END